第28話 歩く災害
ガタゴト。ガタゴト。
単調な揺れと、車軸が軋む乾いた音。
ガタゴト、ガタゴト。
単調な揺れと、車軸が軋む音。
王都へ続く街道は、見渡す限り森だった。
夏の日差しが馬車の屋根を強く照らし、御者の気の抜けた鼻歌が、じわじわと眠気を誘う。
平和だ。退屈、と言ってもいい。
ドンッ!
唐突な衝撃。
前のめりに体が投げ出されそうになり、荷台の木箱が嫌な音を立てて崩れた。
「おっと……? 止まったな」
隣のノクトが荷馬車から身を乗り出す。
なんだ、盗賊か? それとも落石?
嫌な予感を振り払うように、俺もノクトの肩越しに前方を覗き込んだ。
そして、息を呑んだ。
視界を埋め尽くす、青と緑。
街道を完全に塞ぐように、半透明のゼリー状の生き物がうごめいていた。ざっと五十、いや、百。
夏の光を反射して、ぬらぬらと粘液が光る。透けた体内には、未消化の獣の骨が浮かんでいた。
最弱の魔物、スライム。
だが、これだけの数が集まれば、それはもう生き物というより、波打つ『海』だった。
ドクン、と心臓が……。
指先から急激に血の気が引いていくのがわかった。息が、うまく吸えない。
別に、魔物そのものが怖いわけじゃない。
凶暴なフロッグマン相手でも、立ち向かうこともできた。
でも、こいつらだけは、ダメだ。
この世界に転生した直後のこと。最弱だと侮った俺は、あの強酸性の体液に叩きつけてた太い枝がまたたく間に溶かされ、あやうく腕ももっていかれるところだった。
皮膚の下で肉が沸き立つ音。
腐った肉のようなひどい悪臭。
あの日から三日間、俺は粘液に飲み込まれる夢を見ては、脂汗まみれで跳び起きた。
俺にとって、あのうごめく塊は、前世で言うところの『大量のゴキブリ』と完全に同義だ。いや、明確な殺意と酸のダメージ判定を持っている分、タチが悪い。
胃袋を直接、冷たい手で掴まれたような吐き気。
手すりを握る指先が、カタカタと震えている。
「おいゼン、顔色悪いぜ。……ビビってんのか?」
ノクトのからかうような声。
「……いや。ただの状況分析だ」
震える声を、強がりでねじ伏せる。
落ち着け。ただの動く的だ。前世のコンサル経験と、軍師としてのロジックを総動員しろ。
街道の幅は六メートル。両脇は森。
敵の機動力は皆無。
……よし、リソースの最適化を図ろう。
エレーヌの炎魔法で左右に壁を作り、動線を制限。そこへレオンの『ブレードスラッシュ』を叩き込み、残ったスライムはガランが処理する。
損害はゼロ。最短五分で、この想定外の『障害』をクローズできる。
いける。
完璧なプロジェクト・プランだ。
よし、と指示を出そうと大きく息を吸い込んだ。
「どきなさい、裏方さんたち」
凛とした声。
前の馬車から、濃紺のローブがひらりと舞い降りた。
銀色の髪が、太陽の光を弾いてきらきらと輝く。魔導師エレーヌだ。
まずい。
スライムへの嫌悪とはまったく別の、氷のような悪寒が背筋を駆け上がった。
「待て、エレーヌ――!」
俺の制止より早く、彼女は杖を天に突き上げた。
「灰燼に帰せ。――広域爆破魔法!!」
一瞬、世界から音が消えた。
風も、鳥の声も、すべてが息を潜めたような空白。
キラキラと大気が輝く。
次の瞬間。
太陽が、地上で墜落した。
ドゴォォォォォンッ!!!
鼓膜が破れるかと思った。
凄まじい熱波と爆風。馬車が悲鳴を上げて浮き上がり、俺は反射的に床に伏せた。
ノクトは爆風で五メートルほど転がった。
バラバラと石や土くれが屋根に降り注ぐ。頬に鋭い痛みが走り、生温かいものが伝ったが、拭う余裕すらない。
数十秒。
いや、数分だったかもしれない。
ようやく土煙が晴れた前方を覗き込み――俺は、声を出せなかった。
道が、ない。
スライムの群れはもちろん、敷き詰められていた砂利も、両脇の木々も。
すべてが根こそぎ消え失せ、直径三十メートルほどの巨大なすり鉢状の『穴』が空いていた。
縁から立ち上る陽炎。
焦げた土と、スライムの体液が蒸発したような甘ったるい悪臭。
「……ふふっ。どう? 私の華麗なる魔法は」
クレーターの縁に立ち、エレーヌが杖を肩に乗せて振り返った。
自慢げな、褒めてほしそうな子供のような顔。
俺はゆっくりと馬車から降りた。
靴の裏から、地面の熱がじんわりと伝わってくる。震える膝を気力で押さえつけ、無理やり口角を引き上げた。
「見事だな、エレーヌ」
パチパチと乾いた拍手をする。
「たかがスライム百匹のために、王都へ続く大動脈を一本潰した。実に戦略的な大勝利だ」
「は……?」
エレーヌの笑顔が、ぴしりと凍りついた。
俺は足元に転がっていた、黒こげの石畳を爪先で小突く。
「街道を消し飛ばして、馬車はどう進むんだ? この『国営インフラ』を復旧させるための工期と人件費、それに伴う周辺都市の経済的損失……トータルの赤字額を計算してみろ」
「う……それ、は……」
「お前のその魔法は、一日一発が限度だったな。最小出力でも魔力を半分以上持っていかれる、戦略兵器クラスの大魔法だ。お前は今から、明日のこの時間までこれが使えない。もし、本当に強力な魔物が出てきたらどうする? レオンかガランに任せるか? それとも戦力ゼロの俺か?」
昨夜、エレーヌは、焚火の前で広域爆破魔法の自慢をしていた。
現在、王国で使えるものは一名。つまりエレーヌだけだ。
最高出力を使えば、一度で町が吹き飛ぶという小型核兵器に匹敵する威力である。
強力すぎて使いどころが難しいのは、前世の核兵器と同じである。
一歩、彼女に近づく。
「費用対効果という言葉を知っているか? 雑魚のスライム百匹に、とっておきの切り札を突っ込んだんだぞ、お前は」
「そ、それは……」
エレーヌの顔から、完全に血の気が引いていた。
言い返す言葉が見つからないのか、無意識にローブの胸元をぎゅっと握りしめている。
指の関節が白くなるほどの、強い力。布の下に、何か硬いもの――護符かペンダントのような輪郭が浮かんでいる。
なんだ、あれは?
「……結果が、すべてでしょ」
不意に、彼女が視線を落として呟いた。
絞り出すような、ひどく冷たい声だった。
「魔物は一匹残らず消し去った。被害はゼロ。……感情で計算を狂わせる人間が、一番多くの味方を殺すのよ」
それは俺への反論というより、自分自身に言い聞かせるような響きを持っていた。
――感情で計算を狂わせる人間が、味方を殺す。
まるで、過去に自分のミスで誰かを死なせた人間が、罪悪感から逃れるために唱える呪文。
俺は目を細め、彼女の奥にあるものを覗き込もうとした。
彼女のスキル【感情排除】。いつも通り、強固な鍵がかかっている。
でも、ほんの一瞬だけ。
ノイズに紛れて、泣き叫ぶ子供のような、焼け焦げた何かのような気配が――
だが、それ以上踏み込む前に、エレーヌは乱暴に目元を拭って顔を上げた。
「だ、だから! レオンとガランが土を運べばいいじゃない!」
「勇者と戦士に土木工事をやらせる気か。……穴を掘ったのはお前だ。お前が魔法で何とかしろ」
「やればいいんでしょ、やれば!」
ギャーギャーと抗議するエレーヌから視線を外し、俺は大きくため息をついた。
風が、焦げた森を吹き抜けていく。
遠くで、黒焦げになった小動物が転がっているのが見えた。
間違いない。こいつらは優秀な戦力だ。
けれど、致命的なまでに『コスト意識』と『加減』を知らない。
「課題解決=最大火力で更地にすること」
そんなクライアントが泡を吹いて倒れるようなソリューションを、もし人が住む街の中で使われたらどうなる?
魔物を駆除する前に、護るべき街が物理的に消滅する。
(俺が、この高火力でポンコツなプロジェクトチームのマネジメントをするしかないのか……)
焦げ臭い風を吸い込み、もう一度、深く息を吐き出す。
俺の胃袋は、スライムを見た時とはまったく違う理由で、キリキリと嫌な悲鳴を上げ始めていた。




