第27話 勇者一行の旅路
ガタゴトと、馬車が揺れ続けている。
車輪が乾いた土を蹴る音。時折、前方から鞭の音が聞こえてきた。
手綱を握らされているのは、ボロ布を纏った獣人だ。
この世界が彼らをどう扱っているか、嫌でも分かる光景だった。
狭い荷馬車の向かい側。太い腕を組んだまま、戦士ガランはずっと動かない。
眉間にシワを刻み、目を固く閉じている。傍らに置かれた大楯の存在感だけが、やけに重い。
ルインの街を壊すのをやめさせ、俺の指示で動かしたこの巨漢。
戦闘力ゼロの俺が「軍師」として偉そうに座っていることに、腹の底では煮えくり返っているのかもしれない。同胞が奴隷として鞭打たれているこの状況なら、なおさらだ。
一つ、細く息を吐く。
俺は目の奥へ、静かに意識を沈めた。
【乗り物酔い】
……酔ってるだけかよ。
俺は思わず天を仰いだ。
この極限の緊張感。いつ斬りかかってきてもおかしくないこの空気。ただ単に、胃袋がシャッフルされるのを必死に堪えているだけだったらしい。
ん?
スキルを解除しようとした瞬間。ステータスの奥底で、何かが一瞬だけチカッと明滅した。
【自責】
瞬きをすると、もうその文字はない。
見間違いか? システムがバグるようなスキルじゃないはずだが。
「あー、クソッ! 歩いた方がマシだぜ!」
唐突に、隣のノクトが荷馬車から、そのまま地面へ飛び降りる。無理もない。人が早歩きする程度の、絶望的な遅さなのだ。
馬車はもっと早いイメージだったが、これが標準らしい。
窓の外を並走しながら、ノクトが鬱憤晴らしに小石を蹴り飛ばした。
「なあゼン、さっきから何書いてんだ?」
並走している少年が、俺の手元を覗き込んでくる。
「ミレナが持たせてくれた、防水加工の手帳だ。俺がルインへ来てからのメモをしている」
ペンを走らせたまま、なるべく平坦な声を出す。
「いつか、暇つぶしで自伝でも書く時のネタにな」
「へっ、リーシャとミレナが読んだら泣いて喜ぶぜ」
ニヤリと笑うノクトにつられて、少しだけ口角が上がる。
……いかん。
俺はすぐに手帳のページをめくり、顔を下へ向けた。
あいつらのことだ。俺がいなくても、しぶとく商売を広げてるだろう。
口ではそう強がりながらも、文字を埋める作業の半分は、街に置いてきた二人の相棒への未練を塗りつぶすためだった。
ふと、ペン先が止まる。
あのリーシャの嗅覚なら、俺が王都にいる間に新星商会をでっかくしているはずだ。そのうち王都に店を出すくらい、あいつならやりかねない。
胸の奥が、じんわりと温かくなる。
「それにしてもさ」
ノクトが前方の景色を睨んだ。
「王都まで二百キロもあるのに、なんでわざわざガレリア鉱山なんて寄らなきゃなんねえんだよ」
「勇者様ご指名の討伐依頼だ。おかげで一週間は野宿コースだな」
俺は手帳をパタンと閉じた。
あの「歩く災害」たちの手綱を握りながらの長旅。想像するだけでこめかみが痛む。
「ゼン、王都ってどんなトコだろうな」
ノクトが遠くを見る目をした。裏路地育ちの彼にとって、それは夢のおとぎの国なのかもしれない。
「大通りは石畳で、噴水があって、貴族様の馬車がいっぱい走ってるって話だ」
「……そうか」
閉じた手帳の表紙を、ペンの裏でコツコツと叩く。
綺麗な場所ほど、影は濃い。
前世のコンサル時代に嫌というほど見てきた。大理石で磨き上げられたビルのエントランスほど、バックヤードには腐った書類と人間関係が山積みになっている。
王都グランゼル。人間の最高到達点。
そこが本当に輝いて見えるなら、俺たちの本当の戦場は魔王領じゃない。
その前に立ちはだかる『光の中』だ。
◇
パチッ、と薪が跳ねる。
日が落ちた街道沿い。俺は薄いスープが入った器を両手で包みながら、少し離れた場所に停まる「二台の馬車」を眺めていた。
前方には、白銀の装飾が施された馬車。
その横で燃える大きな焚き火からは、脂の乗った肉が焼ける匂いと、甘いワインの香りが漂ってくる。
イリアが皿を並べ、エレーヌが無駄に高火力の魔法で肉を炙る。それをレオンが豪快に噛みちぎり、大口を開けて笑っていた。
そして後方。埃まみれの、質素な荷馬車。
俺たちの焚き火の上にあるのは、石のように硬い携帯食と、塩味しかしないスープだけだ。
ノクトがパンを水に浸しながら、「あっちの肉、一切れくらい寄越しやがれ」と恨めしそうに呟いている。
さらに、その奥。
火の気すらない馬車の陰で、御者の獣人たちが身を寄せ合っていた。
毛布もなく、冷たい黒パンの欠片を分け合っている。一人が、さっきから小さく咳き込んでいた。
光の当たる勇者たち。薄闇に座る俺たち。そして、完全に闇へ追いやられた奴隷。
たった一つの夜営地に、三つのくっきりとした断層ができている。
個々の武力がいくら異常でも、この連中には「チーム」という概念がすっぽり抜け落ちている。俺という接着剤がなければ、この歪な構造は遅かれ早かれ崩壊する。
ふと、ガランが立ち上がった。
巨漢は自分の黒パンを半分にちぎると、音もなく馬車の陰へ歩いていく。
獣人たちの前にしゃがみ込み、何かを短く口にしてパンを差し出した。
驚いて顔を上げる奴隷たち。彼らは震える手でそれを受け取り、何度も頭を下げる。ガランは咳き込んでいる一人に、自分が使っていた毛布を無造作に被せた。
明かりの届かない闇の中。
それでも、俺の右目ははっきりと捉えていた。ガランの頭上で一瞬だけ灯った文字を。
【自責】
見間違いじゃない。朝の馬車と同じだ。
同胞が物言わぬ道具としてすり減っていく中、自分だけが「戦士」として火のそばにいる。
その事実が、あの寡黙な男の胸の内側を、ギリギリと削り取っている。
炎を見つめたまま、俺は手帳を開いた。
走り書きする。
『ガラン:車酔い。……それだけじゃない』
◇
「お疲れ様です、ゼンさん」
ふわりと、背後から甘いハーブの香りがした。
振り返ると、聖職者のイリアが湯気を立てる木製のカップを二つ持っている。彼女は俺の隣にそっと腰を下ろし、温かいカップを押し付けてきた。
「見張り、代わりますよ。少し眠った方が」
「いや、平気だ。……ありがとう」
指先に伝わる熱が、妙に心地よかった。
イリアは両手でカップを包み込み、焚き火の炎を見つめながら柔らかく微笑む。
「あなたって、不思議な人ですね」
「不思議?」
「ええ。剣も魔法も使えないのに、気づけば誰よりも皆を導いている。レオン様もエレーヌ様も、あなたの言うことなら聞くんですから」
炎に照らされた横顔。
黒い髪、深い茶色の瞳。顔のつくりは、俺をここに放り込んだあの「女神」に似ている。
けれど、明るく笑う女神と違い、イリアの微笑みにはどこか影がある。
俺は無意識に、目の焦点を彼女の頭上に合わせていた。
【関心】
ドクン、と心臓が、大きく鼓動する。
一瞬で呼吸が浅くなる。カップを握る手のひらに、じわりと冷たい汗が滲んだ。
『ちょっと最近しんどいかも』
脳裏でノイズが弾ける。
暗い部屋。青白いモニターの光。チャット画面に流れた、相棒「イル」からのSOS。
あの時、俺は気づいていたのに、踏み込まなかった。
重いと思われたくない。この居心地のいい距離感を壊したくない。
そんな吐き気がするような自己保身から、当たり障りのないスタンプ一つで茶を濁した。
結果、彼女のログは二度と点灯しなくなった。
怖い。
自分に向けられた、生温かい感情の熱。それに触れるのが、ひどく恐ろしい。
俺はただ言葉を並べて世界を騙している、空っぽのペテン師だ。
誰かの心に踏み込んで、その泥水を一緒にすする覚悟なんて、持ち合わせているわけがない。
震えそうになる奥歯を噛み締め、顔の筋肉を強引に引き上げた。
コンサルタントの、完璧な作り笑い。
「買い被りだ、イリア」
温度を抜いた声が、自分でも驚くほどすんなりと口から出た。
「俺は雇われた軍師として、この盤面を整理しているだけだ。お前たちが効率よく動けるよう、リソースを管理しているに過ぎない」
一息継いで、決定的な杭を打つ。
「そこには、それ以上の感情も、特別な意味もない」
パチン、と。
薪が一つ、大きく爆ぜた。
彼女は目を見開き、やがて、すっと温度を消したように視線を落とす。
「……そうですか。余計なことを言って、ごめんなさい」
立ち上がったイリアは、「おやすみなさい」とだけ言い残し、前方の馬車へ戻っていった。
遠ざかる衣擦れの音を聞きながら、俺はすっかり冷え切ったハーブティーを見下ろしていた。
見上げると、月は分厚い雲に飲み込まれている。
臆病者が。
いっちょまえに世界を動かすような口を叩くくせに。
自分の心にだけは、いつも最悪の選択肢しか選べない。
焚き火の向こう。
毛布を手放したガランが、寒さに身を縮めながらじっと火を見つめている。
あの男が抱える重さも。イリアの微笑みの奥の影も。王都という街のドブの底も。
俺はまだ、何一つとしてめくってすらいない。
逃げ癖のついた前世の記憶を引きずったまま。
どうしようもなく息苦しい旅が始まっていた。




