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口だけ勇者 ~剣も魔法も使えないので、言葉だけで異世界をひっくり返す~  作者: はなたろう
第1章 「口だけ勇者」誕生

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第26話 旅立ち

 勇者たちに「少し時間が欲しい」と告げたその足で、俺はミレナの工房へ向かった。


 重い木の扉を押し開けると、馴染んだ石鹸と七星香の匂いが鼻を突く。

 テーブルの上に、エレーヌから借りた魔王領の地図をバサリと広げた。


 俺は努めて平坦な、いつも通りの『コンサルタント』の声を張り付ける。

 勇者からのスカウト。地図に描かれた紋章。

 ただ事実だけを並べ立てた。


「……というわけだ。個人的な未練を確かめるため、まずは勇者の『仮メンバー』として王都へ同行する。いずれは魔王領へ向かうことになるだろう」


 一拍置いて、俺は二人を見た。


「だが、これは新星商会にとって想定外のリスクだ。俺が長期間不在になれば――」


「バカじゃないの」


 被せるようなリーシャの声。

 俺の理屈を、彼女の呆れたようなため息が軽々と叩き落とした。


 真っ直ぐに向けられた彼女の頭上では、【寂しさ】のアイコンが痛々しいほどに点滅している。

 なのに、その顔はどこまでも強気だった。


「王都で待機だろうが、最終的には魔王領に行くんでしょ? 戦闘力ゼロのくせに、正気の沙汰じゃないわ」


 言い返そうとした俺の言葉を、リーシャが手で制す。


「……でも、あんたのその目。もう絶対に曲げないって決めた時の目でしょ」


 ぐっと、言葉が喉の奥でつっかえた。


「いいわよ、行ってきなさい」


 彼女はふいっと視線を逸らした。

「どうせあんたのことだもの。その『未練』ってやつを放置したままじゃ、今後の商会の経営にも支障が出るんでしょ?」


 リーシャが無理やり用意してくれた逃げ道。

 胸の奥が、ちくりと痛んだ。


 隣に座るミレナは、腕を組んでそっぽを向いたままだ。

 だが、彼女の頭上に浮かぶアイコンは【献身】。


「あんたがいなくても、工房は回す。こっちの事は心配するな」


 短い言葉。けれど、そこには確かな熱があった。


「お前ら……」


 喉の渇きを覚えて、唾を飲み込む。

 二人の不器用な優しさに、何か返そうと口を開きかけた――その時だった。


「ふざけんな!!」


 バンッ!!


 工房に、割れるような音が響き渡った。

 ずっと下を向いていたノクトが、テーブルを両手で叩きすえて立ち上がっていた。


 頭上には、今にも張り裂けそうな【恐怖】と【拒絶】のアイコン。

 裏路地の泥水をすすってきた少年が、ようやく見つけた居場所を失うことへの恐れ。


「俺は残らねえ! ゼンと一緒に行く!」


「ノクト、お前な。これから行くのは王都だけじゃない。最終的には文字通りの死地だぞ。お前を巻き込むメリットが――」


「俺はゼンの『目』と『手足』だろ!!」


 喉を掻き切るような、悲痛な叫びだった。


「あんたは頭は回るけど、喧嘩は最弱じゃねえか! 誰があんたの死角を守るんだよ! 誰があんたの代わりに動くんだよ!」


 ノクトの肩が、小刻みに震えている。


「俺が……俺がいなきゃ、ダメだろ……っ」


 最後は、ほとんど泣き声だった。


 損得なんて関係ない。

 ロジックなんかじゃない。

 ただ「離れたくない」という、痛いほどの執着。


 あぁ、くそ。

 俺は大きく息を吐き出し、乱暴に頭を掻き毟った。

 完璧だったはずの計算式が、どんどん狂っていく。


「……チッ。分かったよ」


 ノクトが、祈るような目でこちらを向く。


「お前の機動力が不可欠なのは事実だ。特別手当を出してやるから……俺の手足として、死ぬ気で全うしろ」


「……ほんとにっ?」

 ノクトが袖で乱暴に目元を擦り、顔をくしゃくしゃにして笑った。

「ああ、任せとけ!!」


 その顔を見て、リーシャとミレナの口元も、ようやく少しだけ緩んだ。



     ◇



 翌朝。

 朝霧が肌を刺す冷たい空気の中。

 王都へ続く街道の入り口には、白銀の装飾が施された勇者一行の馬車と荷運びの質素な馬車が停まっていた。


 旅支度を整えた俺とノクトの前に、リーシャとミレナが立っている。


「今後の売上目標と、新商品のアイデアは昨夜渡した資料の通りだ。イレギュラーがあれば、あのマニュアルに沿って――」


「もう、最後くらい仕事の話はやめなさいよ」


 リーシャが苦笑いして、俺の言葉を遮った。

 よく見ると、彼女の大きな瞳が少しだけ潤んでいる。

 ミレナはツンと顎を上げ、頑なに俺と目を合わせようとしない。


「勝手に死ぬな。王都での新しい発明のヒント、待ってるから」


 つんけんとした口調。

 その裏にある確かな体温に触れて、俺の脳裏に過去の記憶がよぎった。


 雨の夜。

 誰にも必要とされず。

 誰に感謝を伝えることもできず。

 冷たいアスファルトの上で、一人ぼっちで終わった人生。


 俺はコンサルタントの仮面を外し、ただの一人の男として、真っ直ぐに二人を見据えた。


「俺の無茶な提案に乗ってくれて……俺を『新星商会』の仲間に引き入れてくれて、本当にありがとう」


「……ちょっと、急に何よ」

 リーシャが顔を赤くして、そっぽを向く。


「俺は必ず生きて戻る」


 自分自身の未練にケリをつけて。


「お前たちの居場所を、俺たちの商会を……絶対に守り抜くために帰ってくる」


 戦闘力ゼロの男が吐くには、あまりにも滑稽な大口だ。

 だが、二人は泣き笑いのような顔で、深く、何度も頷いてくれた。


「ゼン殿、そろそろ出発だ」


 馬車から、レオンの声がした。


「じゃあな。留守は頼んだぞ」

「行ってらっしゃい。バカコンサルタント」


 俺とノクトは、荷馬車に乗っているガランのそばに座ると、すぐに車輪が重い音を立てて回り始めた。

 朝靄の中、手を振り続ける二人の姿が、少しずつ小さくなっていく。

 やがてそれは小さな点になり――完全に、見えなくなった。




     ◇



 車輪の音が完全に途絶えても、街道には冷たい風が吹き抜けるだけだった。


 リーシャとミレナは、馬車が消えた朝靄の向こうを、ただ無言で見つめ続けていた。

 やがて、張り詰めていた糸がふっと緩むように、リーシャがぽつりとこぼす。


「ねえ、ミレナ。戦闘力ゼロのゼンを、あんな災害みたいな連中と行かせて、本当によかったのかしら」


「よくない」

 ミレナは腕を組んだまま、即答した。


「あのバカコンサルタントは、放っておいたらまた全部一人で背負い込む。勇者の手綱を握ってるつもりで、結局自分が一番損な役回りをして、倒れるまで働き続ける」


 理屈と損得で全身を鎧っているくせに、最後は誰かのために、自分の命すらチップとしてテーブルに投げてしまう男だ。


 それに――。

 二人は商人の鋭い嗅覚で察していた。

 ゼンが自分たちのあずかり知らぬところで、何か「底の知れないもの」と対峙し始めていることを。


「ルインの街で、石鹸と七星香をチマチマ売ってるだけじゃ、あのバカを支えきれないわ」


 リーシャが顔を上げる。

 王都へと続く道を見据えるその瞳には、別れの感傷など微塵もなかった。

 あるのは、獰猛なまでの野心。


「王都の巨大な市場を飲み込んで、新星商会を王国一にする。……莫大な経済力で、あいつの背中を無理やり支えてやるのよ。どんな化け物が相手でも、金で殴り飛ばせるくらいにね」


「賛成」

 ミレナが、力強く頷く。


「王都には、最高級の魔導設備と素材がある。ゼンが直面するであろう『理屈の通じない何か』に対抗できる、新しい発明が確実にできる。……追いかけるんじゃない。私たちが先回りして、盤面を整えておく」


 二人は顔を見合わせた。

 さっきまでの涙の跡など、もうどこにもない。

 不敵な笑みを浮かべ、二人は振り返ることなく、自分たちの戦場である街へと駆け出した。



     ◇



 一方、先行する荷馬車の上。

 荷物の隙間にガランが座り、向い合わせで俺とノクトが座っている。

 外の景色を眺めていたノクトが、隣に座る俺を見てニヤリと笑った。


「……あいつら、絶対来るぞ。王都まで俺たちをおっかけて」


「まさか。あいつらは合理的な判断ができるはずだ。軌道に乗った店を放り出してまで、わざわざ王都に乗り込んでくるわけがない」


 俺は即座に否定し、肩をすくめてみせた。

 経営コンサルタントの視点から言えば、今のルインの商流を手放すのは愚策だ。彼女たちなら、そんなことくらい分かっているはず。


「へえ? じゃあ、なんでゼンはそんなに嬉しそうな顔してんだよ」


「なっ……してないだろ」


 図星を突かれ、俺は慌てて外へと顔を背けた。

 ノクトがクスクスと笑う声が聞こえる。俺の顔は、どうしようもないほどの期待と安堵が入り混じった、だらしない表情をしていたに違いない。



 王都へと続く、長い街道。

 俺たちを乗せた馬車がひた走るその数時間後。ルインの街では、驚愕する組合の商人たちを尻目に、山のような荷物を荷馬車に積み込み始めるリーシャとミレナの姿があった。



     ◇



 北の果て。

 凍てつくような魔王城の、玉座の間。

 重苦しい闇の底で、魔王軍幹部・ヴァルドが膝をついていた。


「報告いたします。ルインの街のゲートは閉じられ、フロッグマン・ロードは討伐されました。……街を救ったという奇妙な『軍師』が、勇者一行に加わった模様です。民衆は彼を、こう呼んでいました」


 ヴァルドは少しだけ眉をひそめ、冷たい石の床に声を落とす。


「……『口だけ勇者』と」


 沈黙。

 玉座に深く沈み込んでいた影が、ピクリと揺れた。


「……口だけ、勇者」


 地鳴りのように響く声。

 底冷えするほどの威圧感を含みながらも、その呟きは、どこか奇妙な単語の響きを確かめるかのようだった。


 何も言わない。

 ただ、暗闇の奥で、仮面越しの瞳が一瞬だけ、妖しく光った。

(第1章・完)


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