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口だけ勇者 ~剣も魔法も使えないので、言葉だけで異世界をひっくり返す~  作者: はなたろう
第1章 「口だけ勇者」誕生

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第22話 最善のルート

 裏路地には、胃液がせり上がってくるような異臭が淀んでいた 。

 濃密な死の気配と、フロッグマンが撒き散らす有毒なガスだ 。


 瓦礫の陰に身を潜め、俺と、勇者レオン、聖職者のイリアは、魔物が湧き出すゲートを目指す 。

 しかし、歩き出してすぐに足が止まった。


「なぜ隠れて進む必要がある。この先の大通りを真っ直ぐ突き抜けるのが最短距離だ!」


 苛立ちを隠そうともせず、レオンが白銀の鎧をガシャンと鳴らして大通りへ出ようとする 。

 俺は背後から手を伸ばし、その肩口の冷たい金属をガシッと掴んだ 。


「待て。そっちには敵の群れが密集している。こっちの路地だ」

「群れがいるなら斬り伏せればいいだろう! 迂回などしていては――」

「声が大きい。落ち着け、勇者」


 喉の奥を冷たく引き締め、低い声で押さえつける 。

 そして、立て続けに畳みかける。


「あんたは『戦闘』を、無条件に正しいと勘違いしている」

「いいか、今回の勝利条件は魔物を倒すことじゃない。敵と一切遭遇せず、無傷で聖職者をゲートまで送り届けることだ」

「市街地で剣を振り回せば、街が壊れるリスクが跳ね上がる。さっきも言った通り、あんたの技は街中では劇薬すぎるんだ 」

「敵との交戦は『不要なコスト』だ。理解したか?」


 真っ向から常識をへし折られ、レオンは忌々しげに舌打ちをした 。だが、広場での論破が効いているのか、反論は呑み込み、路地の暗がりへと身を沈めた 。

 俺が絶対の自信を持って迂回ルートを選べるのには、理由があった 。

 見上げた先。三階建ての廃屋の屋根から、小さな影がひょっこりと顔を出している 。

 ノクトだ 。

 音もなく屋根を伝い、眼下の路地を俯瞰しながら、素早い手信号を送ってくる 。


『正面の交差点、三匹。右へ曲がれ』


 小さく頷き、俺は合図を足の動きに変換する 。


「止まれ。三秒後に右の路地を抜ける。走るぞ」


 息を殺して角を曲がる。

 その瞬間、心臓が大きく跳ね上がった。


 別の路地から、はぐれた二体のフロッグマンがぬるりと姿を現した 。

 距離はわずか数メートル。完全に鉢合わせた。逃げる隙間なんてない 。


 「チッ!」


 レオンの手が反射的に剣の柄に伸びる 。

 やめろ。ここで剣を抜けば、金属音と血の匂いで群れが殺到する。計画が終わる 。

 その時だった。

 頭上から放物線を描いて飛んできた小さな石ころが、フロッグマンの背後にある雨戸をコツンッと鳴らした 。

 即座に振り向く魔物たち 。俺たちに気づくほんのコンマ数秒前、ぐるりと首を回し、音の鳴った方角へ一目散に駆け出していく 。


 屋根の上を見上げると、ノクトが「早く行け」と顎をしゃくっていた 。

 息を止め、無言で危険地帯を駆け抜ける 。


 路地の奥に辿り着いた時、レオンは剣の柄から手を離し、信じられないものを見るような目で俺を見つめていた 。

 彼の顔には、明確な驚愕が張り付いていた 。

 一度も剣を抜かず、血の一滴も流さずに、敵の包囲網を抜けたのだ 。力ずくの正面突破しか知らなかった勇者が、情報を使った戦い方を初めて目の当たりにした瞬間だった 。



     ◇



 ゲートが目視できる距離まで近づき、崩れかけた商店の裏手で足を止める 。


 額から汗がボタボタと滴り落ちていた 。

 ミレナの工房から広場へ、そしてまた工房の方向へ戻る道中 。たかだか往復二キロちょっとの距離だ 。なのに、極度の緊張と運動不足な体には、肺が破れそうなほど過酷だった 。

 膝に手をつき、必死に酸素を吸い込む 。

 そんな俺の背中に、ずっと無言だったイリアの声が落ちてきた。


「なぜ、あなたはここまで過酷な真似を?」


 漆黒の髪を揺らし、深い茶色の瞳が俺を真っ直ぐに射抜いている 。


「あなたには、私たちのような力がない。一歩間違えれば死んでいたかもしれない。それなのに、どうして?」


 言葉に、詰まった 。


 なぜ。

 この街にはリーシャがいる。不器用なミレナがいる。さっき命がけで石を投げてくれたノクトがいる 。

 俺の今の居場所。それを壊されたくなかった。ただ、それだけだ 。


 だけど、そんな青臭い本音を初対面の相手にひけらかす 趣味はない。

 ゴクンと唾を一飲みし、ひねくれたコンサルタントの仮面を被って鼻で笑う 。


「勘違いするな。これはただの『仕事』だ」

「仕事?」

「ああ。俺のクライアントが危機に瀕している。なら、契約を果たすためにやる。それだけのことだ」


 イリアは目を丸くし、やがて何かを察したようにふっと口元を綻ばせた 。


「あなたは、不思議な人ですね」


 少しだけ間を置き、彼女は手にした杖をそっと握り直す 。


「私たちが戦う理由は、もっと単純なんです。魔王が命じれば、魔族も魔物も悪魔も動く。だから魔王を倒せば、世界の脅威は消える。……勇者様は、ずっとそう信じています」


 疑いのない、綺麗な確信だった 。

 俺は何も返さなかった 。

 五日前に見た、エグバートの【空白】のアイコン。そこへ染み込んでいった、ひどく不自然なノイズが脳裏をよぎる 。

 あの男を狂わせた声は、本当に『魔王』の命令だったのか 。


 その直後、路地を抜けた先。ぽっかりと空いた空き地が視界に広がった 。

 かつて商会連合の会長が立っていた場所 。今はただ、青白く脈打つ空間の歪み――『ゲート』だけが、薄気味悪く揺らめいている 。


「着いたぞ。イリア、あんたの仕事の番だ。あのゲートの息の根を止めてくれ」


「はい! すぐに魔法陣の展開に入ります!」


 イリアが杖を強く握り、空き地の中央へと駆け出す 。

 光る文字が宙に浮かび、魔法陣の展開が始まった 。


 これで終わりだ。盤面は完全に俺のコントロール下にある 。

 そう確信し、次の指示を出そうと屋根の上を見上げた、その時だった 。


 視線の先。

 ノクトが、顔を真っ青にさせながら両腕を激しく交差させていた 。


『ヤバい、ヤバい、逃げろ!』


 狂ったような手信号 。

 直後。俺たちが抜けてきた路地とは反対側、広い大通りの方から、ズシン、ズシンと胃袋を揺らすような地鳴りが響いてきた 。


 建物の陰から、ぬっと姿を現した巨大な影 。周囲の空気を圧迫するほどの質量 。

 広場の近くにいたはずの、あの巨大個体 。

 フロッグマン・ロードが、街を徘徊した果てに、最悪のタイミングでこの空き地へ辿り着いたんだ 。


 通常の三倍はある巨体。パンパンに膨れ上がった、爆発性の有毒ガス 。

 完璧に組み上げたはずの俺の計算式が、音を立てて崩れ去った瞬間だった 。

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