第21話 命がけのハッタリ
じりっ、と前髪が焼ける嫌な匂いがした。
鼻先からわずか数十センチ。
眩しく輝く魔法の炎を宿した杖の先端が、俺の顔面を正確に捉えている。
喉がカラカラに乾いていた。瞬きなんてできない。
このまま直撃すれば、俺の頭がこの世から消え去る。
「どきなさい。十秒後にあなたごと焼き払うわ」
ひどく平坦な、事務的な声だった。
冗談でも脅しでもない。
俺の視界の端――魔導師の女の頭上に浮かぶ半透明の文字が、絶望的な事実を突きつけている。
【感情排除】
突きつけられた杖の切っ先。溢れ出す熱線で、前髪がチリチリと嫌な音を立てて焦げた。
膝がガクガクと震え、細胞の一個一個が「逃げろ」と絶叫を上げている。俺みたいな一般人がまともに喰らえば、防御なんか意味をなさない。一瞬で骨の髄まで消し炭だ。
でも、引くわけにはいかない。
喉まで出かかった悲鳴を、コンサルタントの冷徹な仮面の奥へ無理やり押し殺す。そして、その無機質な瞳を、真っ向から睨み返した。
息を吸う。
一か八かのハッタリを吐き出す。
「あの巨大な魔物を見てみろ。体内に爆発性の油を溜め込んでいる。ここで極大魔法を撃ち込めば、大連鎖爆発が起きるぞ」
震えそうになる膝を気力だけで押さえ、氷のような女の目を真っ向から見据える。
「街は全焼。建物の修繕費、数年分の税収ゼロ。さらに国全体の流通に致命的な支障が出る。魔物を倒すために、国力を叩き落としてどうする。そんな赤字確定のプロジェクトが、お前の言う『効率』か!」
沈黙。
空気を焦がしていた炎の魔力が、ピタリと動きを止めた。
そうだ。
感情がない相手には、徹頭徹尾――冷徹な論理で攻めるしかない。
ガタつく膝を無理やり叩き、さらに一歩、彼女との距離を詰める。
近接する熱で頬の皮膚が焼け、ヒリヒリと警告音を鳴らしている。それでも、絶対に目を逸らさない。
ピタリ、と。
魔導師の杖の先端で暴れ狂っていた炎が、嘘のように動きを止めた。
ここだ。逃げ道を完全に塞ぎ、たった一つの正解をねじ込む。
「炎じゃない。対象を凍結させる魔法は使えるか?」
「……消費魔力に対する殺傷効率は落ちるわ」
「なら、氷で足を止めろ。そして斬りつけろ。爆発の連鎖を封じ込め、街の被害をゼロに抑えて対象を排除する。どっちが完璧な効率か、計算してみろ」
永遠にも似た、ヒリつくような数秒間。
やがて彼女は微かに息を吐き――杖から炎の魔力を、完全に霧散させた。
「事後処理のコストや、流通の維持を『勝利条件』に含めるなら、あなたの言う通りね。氷結魔法に切り替えるわ」
「よし。あんたと盾の戦士がコンビだ。氷で足止めし、戦士に斬ってもらえ」」
命がけの、デタラメなハッタリが通じた。
一気に全身の力が抜け、膝から崩れ落ちそうになるのを必死に堪える。冷や汗がどっと噴き出してきたが、休んでいる暇なんて一秒もない。
「だが、ここの魔物を全滅させても根本的な解決にはならない。魔物が裏通りの方から絶え間なく溢れ出してきている。地形のせいでここからは見えないが、発生源がまだ開いている証拠だ」
俺は振り返り、背後にいた相棒へ声を飛ばす。
「ノクト! 屋根に上がれ! 障害物の多い地上からは魔物の位置が分からない。上から状況を把握し、手信号で誘導しろ!」
「マジかよ。一歩間違えたら敵の中にダイブしちゃうじゃないか。人使いが荒いぜ、ゼン!」
ノクトは「勘弁してくれよ」と大げさに肩をすくめた。だが、その動きに迷いはない。身軽に壁を蹴り、一瞬にして屋根の上へと姿を消した。
これで、盤面を俯瞰する俺の『目』の配置は完了だ。
「そこの聖職者。あんた、あのゲートを塞ぐ術は持ってるか?」
一行の最後尾。黒髪の聖職者の少女が、急に話を振られて目を丸くする。
だが、俺の眼差しを正面から受け止めると、こわばっていた表情をきゅっと引き締める。
「はい。……私が魔法陣を展開する時間さえあれば、閉じることができます」
「決まりだ」
現場の分析と、盤面の整理は終わった。間髪入れず、俺は即席のチーム再編成に乗り出す。
「これより作戦を分割する。魔導師と大盾の戦士はここに残れ。魔導師が氷で固め、戦士が砕く。絶対に街の被害を最小限に抑えろ」
「な、なんだ君は!?」
蚊帳の外に置かれていた勇者が、たまらず声を荒げた。その彫刻のような端正な顔に、明らかな困惑と苛立ちが浮かび上がっている。
「我々は王の命を帯びた勇者だぞ! なぜ一般人の君が我々に指示を――」
「俺はコンサルタントだ。お前たちは俺の指示通りに動け」
異世界のコンサルタントなんて、何の法的権限もないタダの肩書きだ。
だが、有無を言わせぬ絶対的な圧力で、俺は勇者の薄っぺらい抗議を力押しで叩き斬る。そして、最も厄介なリスク要因へ、きつく釘を刺した。
「それと勇者。さっきのあんたの大技は、魔物ごと家屋をぶっ壊すから市街地では使用禁止だ。どうしてもという絶体絶命の状況以外は使うな。街を守るために街を壊すような本末転倒な真似は、俺が絶対に許さない」
勇者が、パクパクと金魚のように口を開閉させて絶句した。
これまで誰もがひれ伏し、すべてを無条件で委ねてきた『勇者』という絶対的シンボル。
それに対して一切の躊躇もなく己の『手駒』として扱い、あろうことか必殺技まで禁止する一般人。俺の態度に、彼の脳内で何かがショートを起こしたんだろう。
呆然としている暇は与えない。
「勇者、それに聖職者。俺と一緒にノクトの合図に従ってゲートを目指すぞ。……走れ!」
俺の号令が、煙の立ち込める広場に響き渡った。
ただ街を壊すだけだった最悪の『歩く災害』たち。
そいつらが今、俺の指揮の下で、初めて一つの機能的なチームとして動き始めた。




