表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
口だけ勇者 ~剣も魔法も使えないので、言葉だけで異世界をひっくり返す~  作者: はなたろう
第1章 「口だけ勇者」誕生

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

18/25

第18話 深淵への門

 ラド商会のトップ、エグバートが姿を消して五日。


 すり減った靴底が、また一つ石畳を硬く叩いた。

 朝から晩まで路地裏の泥を這いずり回り、あちこちで聞いて回る。そんな徒労の五日間。


「見つからないな」


 ノクトの横顔には、いつもの飄々とした空気が欠け落ちていた。

 声の端が、ささくれ立っている。


「浮浪者のねぐらまでひっくり返したんだ。誰も見てないなんて、まるで最初から煙だったみたいじゃないか」


「お疲れ。今日はもう休もう」


 俺は手元の帳簿から目を離さずに返した。

 店の奥からはミレナが木材をカンカンと叩く小気味良い音が響き、厨房の方からはリーシャが煮込むスープの匂いがふわりと流れてくる。


 いつもと変わらない、穏やかな夜。


 だけど。

 俺の胃の底には、冷たい鉛のような違和感がどろりと沈み込んでいた。


 あの日、エグバートが残していった不自然な『空白』。


 追い詰められた経営者が最後に切るカード。

 再起か、破滅か。

 いや、一番恐ろしいのは――道連れだ。


 もし、藁にもすがる思いの彼に、甘い毒を囁く存在がいたとしたら。

 この静寂は、盤面を根底からひっくり返すための、最悪の仕込みの時間。



     ◇



「ゼン、起きて!!」


 乱暴に肩を揺さぶられ、俺は弾かれたように身を起こした。

 薄暗い部屋。

 ノクトの顔が、張り詰めた弓の弦のように強張っている。


「鳥が、鳴いてない」


 その一言で、背筋にぞわりと冷水がぶちまけられた。

 耳を澄ます。


 ……無音。


 夜明け前なら必ず聞こえるはずの、虫の羽音も、風が葉を揺らす音すらない。

 街全体が、息を殺している。


「来る……っ。魔族の感覚だ。すぐそこ、隣の空き地から何か来る!」


 ベッドから跳ね起き、上着を引っ掴んで表へ飛び出した。

 頬を叩く夜気が、やけに冷たい。


 隣の空き地。

 そこだけが、ゲームのバグみたいにぐにゃりと歪んでいた。

 青白く、胃液がせり上がってくるような禍々しい光。

 それが、ドク、ドクと心臓のように脈打っている。


 光の中心。

 そこに立っていたのは――エグバートだった。


 両手で赤ん坊のように抱え込んでいるのは、どす黒い石。

 石の表面の青白い文字が拍動を繰り返し、周囲の空気を歪ませている。


「新星商会を……あの小娘の店を、叩き潰す……出でよ、フロッグマン!」


 喉の奥から絞り出したような、掠れた呪詛。

 直後、虚空がガラスのようにピキリとひび割れた。


 ぬらり。

 嫌悪感をぐつぐつと煮詰めたような肉の塊が、裂け目から這い出してくる。


 反射的に、俺はそいつの頭上を『視』ていた。


 ……何もない。


 感情がない、というレベルじゃない。

 俺のスキルが読み取るべき『心』という概念が、そもそもあいつらには備わっていない。


 指先から急速に熱が奪われていく。

 俺の唯一の武器である『交渉』も『感情の可視化』も、こいつには一切届かない。


 人とカエルを混ぜ合わせた生き物が一体。

 それだけでも、俺たちの小さな店を更地にするには十分すぎる。


 だが、嫌な汗が背中をどっと伝い落ちた。


 空間の裂け目が、閉じるどころか、さらにメリメリと押し広げられていく。

 底知れぬ深淵へと続く門。

 そこから、二体、三体と、名状しがたい絶望が這い出してくる。


「違う! 一体だ! 私は一体と契約したはずだぞ!」


 エグバートの顔面が、ぐしゃりと崩れた。

 必死に黒い石を押さえ込もうとする指の隙間から、ジリジリと空間を焼くような異音が漏れる。


「閉じろ! なぜ閉じない……! 話が違う!」


 叫び声は、どこまでも滑稽で、ひどく哀れだった。


「納品数は一のはずだ、契約違反だぞ……! 騙したな、悪魔ぁッ!!」


 黒く焼け焦げていく彼の頭上に、最後のアイコンが浮かび上がった。


 【契約】


 三十年。

 人生のすべてを懸けて商会を築き上げた男が、死の淵で縋ったのは、恐怖でも後悔でもない。

 商人の骨の髄まで染み込んだ、たった一つの作法だった。

 それが、エグバートという男の『墓標』だ。


 しかし、そんなビジネスの理屈なんて、連中には欠片も通じない。

 商人の悲痛な抗議は、カエルに似た異形の無機質な咆哮に、あっさりと踏み躙られた。


 ボワッ、と。


 黒い石が限界まで赤熱し、エグバートの腕がジュージューと嫌な音を立てて焼けていく。

 召喚? 違う。

 最初から、この男はただの『鍵』。

 奴らが現世に溢れ出すための、使い捨ての門に過ぎなかったんだ。


「ひっ……!」

「きゃああああっ!」


 遅れて飛び出してきたリーシャとミレナが、凄惨な光景に息を呑み、悲鳴を上げる。


 溢れ出す、圧倒的で理不尽な暴力の波。

 コスト管理も、リスクマネジメントも、ここでは紙屑以下の価値しかない。


「逃げろ!!」


 喉が裂けるかと思うほどの声で吠えた。


「中央広場へ走れ! 何があっても振り返るな、命が最優先だ!」


 足がすくんで動けない彼女たちの背中を叩き、強引に前へ突き飛ばす。

 エグバートを助ける?

 無理だ。俺にそんな力はない。それに、そんな義理もない。


 背後で。

 空気を引き裂くような断末魔が響いた。

 群がったフロッグマンの山の下から、バキバキと、太い生木をへし折るようなひどく不快な音が続く。


 一瞬だけ、振り返ってしまった。


 視界に映ったのは、広がる血だまりと、ズタズタに引き裂かれた高級服の切れ端だけ。

 さっきまでそこでわめいていた人間の痕跡は、もう、どこにもなかった。


 狂気に染まりゆく街の底へ向かって、俺たちはただがむしゃらに駆け出す。


 盤面は、最悪。

 おれのの論理ロジックなんて一切通用しない。

 純粋な悪意のゲームが、今、始まったんだ。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ