表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
口だけ勇者 ~剣も魔法も使えないので、言葉だけで異世界をひっくり返す~  作者: はなたろう
第1章 「口だけ勇者」誕生

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

12/28

第12話 ささやかな祝宴

 ミレナとの契約を結んだ、その夜。

 俺たちは宿の食堂に集まっていた。


 鼻をくすぐるのは、いつもの麦の焦げたような固いパンの匂いじゃない。

 香草をたっぷり詰めて焼いた魚の油の匂い。テーブルには、結露で水滴がついた冷えたエールが並んでいる。


「ほら、ゼン。今日はあんたの分だけ、特別に肉を多めにしといたから。ちゃんと食べなさいよ」


 ドン、と。

 リーシャが、湯気を立てる具沢山のシチューを俺の前に置いた。

 その顔には、暗い市場の隅で埃を被っていた頃の、焦燥感はない。代わりに、よく通る声と、少しだけ笑顔があった。


「悪いな。でも、どうして俺だけ特別なんだ?」


「あんた、自分が思ってる以上に顔色悪い時があるのよ。頭痛を誤魔化す時、こめかみを押さえるでしょ。私が気づかないとでも思った?」


 リーシャが、呆れたように小さく息を吐いた。


 ギクリとして、俺はシチューの匙を止める。

 スキルを使うたびに襲いかかってくる、脳を削られるような疲労。ひた隠しにしていたつもりだったが、彼女の商人の目には、すっかり見透かされていたらしい。


「冷めないうちに食べなさい。うちの頭脳が倒れたら、私が困るんだから」


 ふいっとそっぽを向いた彼女の横顔を眺めながら、俺は木のジョッキを傾けた。

 冷たいエールが、火照った喉を気持ちよく潤す。


 そこへ、工房の後片付けを終えたらしいミレナが食堂に入ってきた。

 相変わらず、煤と油の匂いをうっすらとさせている。彼女は丸眼鏡を中指でくいっと押し上げると、俺の隣の席にどさりと腰を下ろした。


「おい、コンサル。これを見ろ」


 ぶっきらぼうな声と一緒に、小さな布の包みがテーブルに放られた。

 中から転がり出てきたのは――見慣れたあの無骨で巨大な四角い石鹸じゃない。

 薄く、小さな欠片が連なったような、奇妙な形をしていた。


「なんだ、これは?」

「お前が前に言っていた『携帯性』という言葉が引っかかっていてな」


 ミレナは腕を組み、小さく鼻を鳴らした。


「一回使い切りのサイズに切り分け、薄い蝋紙で包み直してみた。これなら野営の時、荷物の僅かな隙間にもねじ込める。どうだ?」


 彼女の視線が、丸眼鏡の奥から俺を探るように揺れている。

 少しだけ上ずった声。

 あの、他人の言葉なんて一切聞こうとしなかった職人が。俺が何気なくこぼした一言を拾い上げ、自分の技術で勝負に出ようとしている。


「素晴らしい。これなら傭兵だけじゃなく、長旅をする商人にもまとめ売りできるぞ。完璧だ、ミレナ」


「ふん。私を誰だと思っている。これくらい朝飯前だ」


 ミレナはツンと顔を背けた。

 だが、その耳の先が、夕焼けみたいに微かに赤く染まっているのを、俺はつい見てしまった。



     ◇



 すっかりテーブルの皿が空いた頃。

 リーシャがエールの空っぽのジョッキを指でくるくると回しながら、ぽつりとこぼした。


「ねえ。最近、夢みたいだなって思うのよ」

「夢?」

「ええ。たった数週間前まで、私、市場の隅っこで……」


 彼女は一瞬、言葉を詰まらせた。


「あのラド商会に干されて、腐りかけてたでしょ。毎日、夕方になるのが怖かった。売れない品物を荷馬車に片付けてる時が、一番惨めでさ……」


 リーシャは静かに息を吸い込み、ふふっ、と短く笑った。


「でも、あんたを拾ってから全部が変わった。あんたが私の眼を『本物だ』って言ってくれて……私の品物を欲しがるお客さんが、毎日列を作ってくれる。大袈裟に聞こえるかもしれないけどね、あんたは、私の世界を救ってくれたのよ」


「私もだ」


 不意に、ミレナが小さな小瓶を俺の前にコトッと置いた。


「なんだ、これ?」

「お前の、その荒れた手のための軟膏だ。新星商会で売る気はない」

 ミレナはまた丸眼鏡を押し上げた。

「私がお前のためだけに、最高級の素材を原価度外視で練り上げた。夜寝る前に塗れ」


 また、ミレナの耳が真っ赤になっていた。


 二人からの、混じり気のないまっすぐな感謝。

 そして、その言葉の奥に隠しきれていない、熱っぽい何か。


 無意識のうちに作動したスキルが、二人の頭上に【信頼】と【好意】のアイコンをノイズ混じりに明滅させた。

 ズキリ、と。脳の奥を、強引に精神力を削り取られる鋭い痛みが突き抜ける。


 胃の奥が、氷を飲み込んだみたいに冷え切っていく。

 前の世界で、深夜のチャット画面の先。イルさんから『ちょっと最近、しんどいかも』と送られてきたあの夜。

 踏み込みたかった。

 でも、もし踏み込んで「重い」と引かれたら? せっかくの心地よい関係が、俺のせいで壊れてしまったら?


 迷って、迷って。

 結局俺が打ち返したのは、『あんまり無理しないでね』という、誰にでも言える安全なテンプレ文脈だった。


 今ここで、俺が彼女たちの気持ちに踏み込めば。

 この温かくて、脆い、心地よい時間は、いつか必ず壊れてしまうんじゃないか。


「二人とも、俺を過大評価しすぎだ」


 俺の口から飛び出したのは、自分でも嫌になるくらい乾いた、平坦な声だった。


「俺はただ、君たちの持っているリソースを最適化して、正しい市場に届けた。それだけだ。ビジネスパートナーとして、当たり前の仕事をしたまでだよ」


 リーシャの瞳が、一瞬だけ大きく揺れた。

 見えた。傷つけたのが見えていた。

 それでも、俺は冷たいジョッキの縁へむりやり視線を逸らした。


「相変わらず、可愛くないわね」


「照れてるのか? そういうところも、なんだか『らしい』けど」


 二人はすぐにいつものように笑って、再びエールを口に運んだ。

 俺はただ、ぬるくなったエールを見つめていた。


 言葉の罠を張って市場の人間を操れるくせに。

 自分の感情だけは、いつも、こんなに不器用で、臆病で、届け方がわからない。情けない。


 ――その時だった。


 食堂の入り口の重い扉が、軋む音を立てて少しだけ開いた。


 隙間から、三日月のバッジを胸につけた男がこちらをみて、

 チッ、と。

 あからさまな舌打ちを残して、夜の闇の中へ再び姿を消した。


 俺は、シチューの匙を止めた。

 背筋の冷えが、一気に全身へ回る。


「なあ、リーシャ」


 ジョッキを置き、俺はできるだけ声を低くした。


「ラド商会っていうのは、この街でどれくらい力を持ってるんだ?」


 リーシャの顔から、すっと笑みが消え失せた。


「ルインの仕入れ先の、七割を押さえてるわ。大通りの一等地も、主要な倉庫も、ほとんど全部よ」

「逆らった商人は?」

「私が知ってる限りで、三件。翌月には廃業してた。一人は夜逃げして、一人は火事。もう一人は……理由も分からないまま、ある日突然、店が閉まってたわ」


 横で、ミレナが小さく息を呑む音が聞こえた。

 リーシャの声には、怒りがない。

 ただ、巨大な壁を前にしたような、長い間その狂気と隣り合わせで生きてきた人間の、諦めしかなかった。


 俺は頭の中で、昼間の帳簿の歪んだ数字と、今の情報を照らし合わせた。

 仕入れ先の七割。証拠を残さない火事や夜逃げ。

 そして今の、あからさまな監視の目。


 もう、動いている。

 新星商会という異物を排除するための、巨大なシステムが。


「そうか……」


 俺は短く息を吐き、冷めたシチューを口に運んだ。


 ただの片隅の商人として、平穏に稼いで生きたかっただけなんだが、どうやら無理らしい。

 妙に嫌な胸騒ぎがする。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ