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口だけ勇者 ~剣も魔法も使えないので、言葉だけで異世界をひっくり返す~  作者: はなたろう
第7章 王都決戦

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第118話 三国の夜明け

 調印の席は、三つの国の境がひとつに交わる、貴族たちの社交所として用いられていた王国の施設で行われた。部屋数も多く立派な広間があり、その中心で円い卓を囲んだ。


 条文は三日かけて詰めた。互いの主権を認めること。国境と関税。争いの種が生まれたら、剣より先に使節を送ること。文言はどれも地味だ。地味な文言ほど、あとで効く。

 ただ、最後の一枚だけは、誰も書いたことのない書面だった。


 国の名を記す欄。


 考えてみれば、この大陸に「王国」はひとつしかなかった。名前は要らなかった。世界にひとつしかないものに、人は名をつけない。肩を並べる相手ができて初めて、国は名を持つ。


「アデラ王国」


 最初に読み上げたのはフローラだった。アデラはフローラを命と引き換えに産んだ母の名。署名の肩書は「女王」のひとつだけ。決定権は評議会にある。宰相に権力が集まりすぎれば、それもまた的になる。評議会制を言い出したのは、ゼクス本人だった。休み方を知らない男が、自分の権力の削り方だけは知っていた。


「グランドール王国」


 イルミナの声は静かだった。魔王の国と呼ばれてきた国が選んだのは、潰された共生村の名だ。退位の朝、前の王が最初に口にした、あの村。人と魔族と獣人が同じ井戸の水を飲んでいた村。

 魔王の称号は、調印に先立って返上されていた。素顔の女王は、署名のあいだ、一度も目を伏せなかった。


「ロガル王国」


 ガランは、祖父の名を国の名にした。王位を拒み続けた男が玉座についた理由を、本人は「盾の置き場が要った」としか言わない。あの大盾は玉座の脇に据えられている。一人の背中じゃなく、一国の民を守るために。即位の式はエルナ郷で挙げたそうだ。妹の墓に、いちばん近い場所で。


 三つの名が、初めて声に出して並んだ。誰も拍手をしなかった。代わりに、三人がほとんど同時に息を吐いた。俺は写しを三部そろえて、それぞれの前に置いた。剣も魔法も持たない男の仕事は、署名の順番で揉めないよう、紙を三枚にしておくことだったりする。


 墨も乾かないうちに、イルミナが手を挙げた。

「ひとつ、提案がございます」

「どうぞ、グランドール女王」

「三国の子らが、ともに学ぶ魔法学校を。寮も食堂も共用です。校舎はこの施設を使えば良いでしょう」


 悪くない、どころじゃない。条約は紙だが、同じ釜の飯は紙より強い。フローラがうなずき、ガランが「魔法の使えん獣人の子はどうする」と問い、「剣術科と錬金術科を置きます」と即答が返る。準備のいいことだ。

 ここで終われば、歴史書に載せられる場面だった。


「想像してください。出会いがあり、友情があり、淡い恋があり、ヒロインがいて、悪役令嬢がいて」

「あくやく、れいじょう」

 ガランが眉間に皺を寄せた。

「新しい教職でしょうか」

 フローラが真顔で訊いた。書記をしていたゼクスの羽根ペンが止まる。

 円卓で頭を抱えたのは、俺ひとりだった。やめてくれ。それは前世の物語の中の話だ。イルミナは、前世から、こういう人だった。


 初代の校長には、エレーヌが指名された。

 指名したのはイルミナだ。エレーヌは随員の席から立ち上がり、何かを言いかけて、結局、深く頭を下げた。断る言葉を探して、見つからなかったんだと思う。あの手で子供を育てていいのかと、誰より先に問うたのは本人のはずだ。

 井戸端で、人と魔族と獣人の子が同じ柄杓を回す。彼女が焼く前の、あの村にあった光景だ。それを、こんどは彼女が校庭に作る。赦しになるのかは、誰にも分からない。ただ、その校庭を彼女より真剣に守る人間も、たぶんいない。



     ◇



 半年が経った。

 俺はアデラの渉外官として、月の半分を街道の上で過ごしている。グランドールへ、ロガルへ。条約は紙だ。紙は放っておくと埃をかぶる。だから誰かが定期的に、言葉を運び直す。女神が言った「人の心を汲み、言葉を届ける力」は、馬車に揺られて条文を運ぶ仕事に行き着いた。あの女神のことだ、どこかで笑っていると思う。


 街道が整ったのは、新星商会のおかげだ。グランドールにも、ロガルにもセブンセブンが出店した。新星商会の隊商は三国の市を結び、帳簿はノクトが締める。この前顔を出したら、あの少年は挨拶より先に、関税率の矛盾を二つ挙げてきた。育てた覚えはないのに育っている。


 フローラの手記は、正史になった。スラムの名簿から始まった記録は、「戦が仕組まれた時代」の証言として書き継がれている。書くのは女王自身だ。権力を持たない女王の、それが祈りの形だった。


 レオンは剣を置かなかった。悪魔が眠っても、魔物は出る。日照りや嵐と同じで、理由もなく人を襲う。聖剣は今も、民を守っている。本人は多くを語らない。依頼は断らない、とだけ決めているらしい。そして時々、エレーヌの学校へも師範として出向いているようだ。



     ◇



 グランドールでの会談が長引いて、出立が夜明け前になった。

 城門まで、イルミナが見送りに出た。女王が渉外官ひとりを見送るのは外交儀礼としてどうかと思うが、この女王は聞かない。


「悪魔は、消えていません」


 歩きながら、イルミナが言った。挨拶も世間話も飛ばして本題から入るのは、ゲームの頃から変わらない。


「ええ。眠っているだけです」

「また、誰かの心の穴を探すのでしょうね」

「探すでしょう。だから的をひとつにしない。言葉の通り道を塞がない。穴のそばに、人を立たせておく。それしかありません」

「終わりが、ありませんね」

「ありません。平和は勝ち取るものじゃなくて、続ける営みなので」


 イルミナは少し笑った。

 仮に今、バーサーカーが現れても、以前のように絶望することはない。聖剣の正しい使い方も分かったし、ゼクスもいる。


「あなた、ゲームでもそうでした。クリアしてからのほうが長い人」

「イルさんは縛りプレイを始める人でしたね」

「人聞きの悪い。工夫と言ってください」


 城門が見えてきた。空の端が、薄くなり始めている。


「次に来るときは……」

 『正式に……』と、喉まで出かかったその言葉を、俺はすんでのところで飲み込んだ。

「何ですか」

「いえ。また来ます、とだけ」

「逃げましたね」

「保留です。交渉ごとは、期限を切らないのが成功のコツなので」

「口だけ勇者」

「褒め言葉として受け取ります」


 門を出て、振り返らずに手を挙げた。背中で、笑う気配がした。


 東の空が白んでいく。アデラから見ても、ロガルから見ても、同じ色のはずの夜明けだ。

 悪魔は、いまは姿を見せない。だが、滅びてはいない。いつかまた、誰かの心の隙間を探して、音もなく忍び寄る。だからこの平和は、勝って終わるものじゃない。力を一人に集めない。言葉の通り道を塞がない。守り続ける、ただの営みだ。

 剣も魔法も持たない最弱の男が、言葉だけを武器に始めた物語は、ここに辿り着いた。三つの名が並んで呼ばれる、静かな夜明けに。

 夜が二度と来ないからじゃない。来ても、また朝を繋ぎ直せると、信じられるようになったからだ。

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