表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
口だけ勇者 ~剣も魔法も使えないので、言葉だけで異世界をひっくり返す~  作者: はなたろう
第7章 王都決戦

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

117/119

第117話 権威と権力

 戦が終わって、十日が経った。


 王都は思ったより早く息を吹き返していた。市場が開き、崩れた城壁に足場が組まれ、朝から槌の音が止まない。謁見の間も半分は工事中で、漆喰の匂いが抜けなかった。歴史に残る発表の舞台にしては、ずいぶん埃っぽい。


 玉座の前に、王が立っていた。

 痩せた老人だ。十六年も悪魔の器にされていた体は、見ている方が不安になるくらい薄い。それでも侍従の腕を払って、自分の足で立っていた。


「余は、退位する」


 ざわめきは小さかった。みんな、どこかで覚悟していたんだろう。


「器であった。操られていた。それは事実だ。だが、事実は罪を拭わぬ。命じた声はこの喉から出た。判を押したのは、この手だ」


 王は一拍置いた。


「グランドール、ワイドランド、ロングケープ」


 空気が変わった。潰された共生村の名だ。王家の人間が公式の場でその名を口にしたのは、初めてのことだった。


「余が潰し、余が焼かせた。死者の名はすべて記録させる。余の、最後の政務として」

 それから、王は娘の名を呼んだ。


「フローラ」

 王女が顔を上げた。


「そなたを、余の後継者に指名する」

 この場の誰より、本人が驚いていた。


「お待ちください、父上」

 声が裏返っていた。民に慕われる王女の、誰も聞いたことのない声だった。


「わたくしには無理です。死んだ人たちの名前を書き留めることはできます。生きた証を残すことも。でも、税を決めて、人を動かして、国を回すなんて」


「その仕事なら、別の人間にやらせればいい」


 言ったのは俺だ。全員の視線が集まる。半分は「誰だこの片目の男」という目だった。気持ちは分かる。


 王がうなずいた。

「ゼン殿」


 末席から一歩出る。すでに追放は解かれていた。


「遠い、東の島国の話をさせてください。その国の王家は、千年以上続いています」

 ざわ、とまた空気が揺れた。この大陸で、王朝は百年もてば長い。

「秘訣は単純です。王は、政治をしなかった」


「それは、王と呼べるのか」


 ゼクスだった。柱の脇の椅子に、座ったまま控えていた。右胸の包帯はまだ取れていない。それなのに書類仕事はもう再開していると聞く。回復が早いんじゃない。休み方を知らないんだ。


「呼べます、殿下。むしろ、それでしか続かない」

 俺は一歩前に出た。


「権威と、権力を分けるんです。民に祈られ、国の象徴として立つ者がひとり。税と軍と外交、嫌われ役の実務を引き受ける者が別にいる。崇敬は女王に、決定は宰相に。ひとつに重ねない」

「回りくどい仕組みだな。なぜ分ける」

「殿下なら、もうお気づきでしょう」


 ゼクスは黙った。分かっていて訊く人だ。だから俺も、全員に聞こえるように言った。


「悪魔は、王に入りました。なぜ王だったのか。この国では、祈られる人と決める人が、一人に重なっていたからです。一人を乗っ取れば、国がまるごと手に入る。的が、ひとつに結ばれていた」


 俺は玉座と、その横の空席を指した。


「的を二つに割る。象徴を乗っ取っても軍は動かせない。宰相を乗っ取っても、民が見ているのは象徴です。これは統治の知恵であると同時に、二度と王が乗っ取られないための備えです」


 謁見の間が冷えた。俺を「不届きな余所者」と見ていた重臣たちの目が変わる。ゼクスは椅子の手すりを握ったまま、まっすぐ俺を見ていた。


 長い沈黙を破ったのは、フローラだった。

「その島国は、今も」

「続いています。俺の知る限りは」


 王女はしばらく床を見ていた。それから顔を上げて、父ではなく、兄を見た。

「お兄様が、引き受けてくださるなら」


 ゼクスの返事は、すぐには来なかった。



     ◇



 即位の朝、ゼクスは鏡の前で宰相の礼服に袖を通した。右胸の傷が引き攣れて、着るだけで汗が滲んだ。


 母が死んだあの日から父は別人になり、妹は「呪いの姫」になった。要塞の村を捨て、スラムを切り捨て、それを合理と呼んだ。凍っていたのだと、今なら分かる。

 化け物になった父の爪が、この胸を裂いた日も。爪は、心臓のわずか手前で逸れた。とどめが刺されるのを、悪魔の中に最後まで残っていた父が、許さなかった。


 即位の式典で、フローラは王冠を受けた。ゼクスは妹の前に膝をつき、忠誠を誓った。


「お兄様」


 宣誓のあと、フローラが小声で言った。式次第にない言葉だった。


「母上が亡くなってから、初めてお兄様とまともに話した気がします」

「……即位式でする話か」

「だって、これを逃したら、お兄様はまた執務室に籠もるでしょう」


 ゼクスは答えなかった。ただ、手に、少しだけ力がこもった。

 祈る妹と、嫌われ役の兄。十六年こじれた兄妹は、和解の抱擁ひとつ交わさないまま、国の背骨として組み直された。それで十分だった。この兄妹には、たぶんそれが正しい距離だった。



     ◇



 前の王が亡くなったのは、即位式から三日後の朝だった。

 その前の晩、王は俺を病床に呼んでいた。呼ばれる理由に心当たりがなくて、柄にもなく緊張して行った。


「今日はフローラ十七歳の誕生日。そして妃が死んだ日だ」

 王は、前置きなしにそう言った。


「あれが余に入り込んだのは。心に開いた穴とは、よく言ったものだ。穴があれば、入ってくるものがある」

「……はい」

「十六年、余は穴の底から見ておった。村が焼けるのを。息子の心が凍るのを。娘が死者の名を書き続けるのを。見ていることしか、できなんだ」


 返す言葉がなかった。慰めは埃だ。テラスの下で学んだばかりだった。


「ゼン殿。そなたの島国の王は、退位したあと何をする」


 不意の質問だった。少し考えて、正直に答えた。

「歌を詠んだり、魚の研究をしたり。まあ、好きに生きるようです」


 王は、ひび割れた声で少しだけ笑った。本当に、少しだけ。

「よい国だな」

「はい、そう思います」

「我々は、この地を大陸などと呼んでおるが、本当はただの島だと、賢いそなたは知っておろう」

「はい、気づいておりました」

「そなたの島国のような国に、わが国を導いてくれぬか」

「善処いたします」


 それが、俺の交わした最後の会話になった。

 翌朝、王は眠ったまま逝った。苦しんだ様子はなかったと、看取った侍医が言った。清算を終えて、国が平らかになって、ようやく許されたんだろう。十六年待たせた人のところへ行くことを。


 葬儀の鐘は、終戦の鐘より長く鳴った。誰が決めたわけでもない。鳴らす側が、勝手にそうした。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ