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口だけ勇者 ~剣も魔法も使えないので、言葉だけで異世界をひっくり返す~  作者: はなたろう
第7章 王都決戦

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第109話 反戦デモ

 大通りを満たしていく足音は、揃ってなどいなかった。


 軍靴のように刻まれた行進ではない。リヤカーを引くために鍛えた獣人の太い脚も、痩せた裸足も、子の手を引く女の小走りも、てんでばらばらの拍子で石畳を踏んでいく。それでも、数が重なれば、ばらばらのまま一つの大きなうねりになった。


 声も、同じだった。

「戦争反対」

 誰かが言う。すぐには続かない。ひと呼吸おいて、まるで見当ちがいの方向から、別の声がそれを拾う。

「戦争やめろ」

 揃わない。揃わないまま、その願いは大通りの端から端へと膨らんでいった。


 ゼンは、その流れのなかには、いなかった。


 大通りに面した一軒の新星商会の王都店。その雨戸を細く開けた隙間から、ゼンは波の進むさまを見ていた。

 追放された男の顔だ。王都の門という門に、人相書きが回っている。隊列の先頭になど立てば、城へ着くより先に、衛兵の槍がこの喉を探り当てるだろう。歩くわけには、いかなかった。送り出すだけ送り出して、自分は壁の陰で息をひそめる。それが今のゼンに残された場所だった。


 雨戸の隙間から、ひさしぶりの西日が、ひとすじ差し込んでくる。

 布を巻いた右の眼には、もう何も映らない。残った片方を、その細い光が刺した。眩しさに目を細めながら、ゼンは波の向こうに黒く立つ王城の輪郭を見据える。


 手にはメガホン。先代の魔王が遺した、声を運ぶための筒だ。

 出ていくのは、まだだ。この顔も、この声も、ここぞという一点まで、伏せておかねばならない。これから自分がそこへ吹き込む言葉のことを思うと、筒の重さは、握る指のほうへじわりと滲んでくる気がした。


 軍の睨み合いは、ここからは遠かった。


 城を背にして、塀の向こうへいっせいに槍を構えた王国軍。その塀の外、荒れ地を一枚隔てた先に布陣した連合軍。二百年、決して交わらぬはずだった二つの勢力が、いまは一発の極大魔法に足を凍らせて、睨み合ったまま動けずにいる。昼前、イルミナが荒れ地のただ中へ落とした、あの一発。動けば、次がどこへ落ちるか分からない。その恐れだけが、数千の鋼の意志を、ぴたりと押さえつけていた。

 だが、その睨み合いは、すべて城の向こう側の話だった。

 城のこちら側、市街に面した門へ続く道に、軍はいない。高い塀もなければ、構えられた槍の列もない。ただ、武器を持たぬ数千が、城へ向かって押し寄せていくだけだ。


 その数千の、いちばん先頭を、フローラが歩いていた。


 民の名を、一人ずつ帳面に書き留めてきた姫君だ。いまは帳面ではなく、その身ひとつを、流れの先頭に置いている。顔を伏せねばならぬ追放者の代わりに、人前へ立てる者は、彼女しかいなかった。名を記された者たちが、その背中を目印にして、足を止めずについてくる。彼女が一歩を引けば、波もまた退くだろう。引かないことだけが、いまの彼女の役目だった。


 ゼンの隣で、同じ隙間を覗いていたリーシャが、ふいに口を開いた。

「ねえ、ゼン。みんな、ちゃんと来てくれたね」

 声に湿ったところはない。むしろ、いつもどおり軽い。だが、その軽さの底で何かを堪えているのを、ゼンは聞き分けた。

「ああ」

「あんたが、来いって命じたわけでもないのにさ」


 その通りだった。誰にも、命じてはいない。来てくれと、頼んだだけだ。来るか来ないかは、一人ひとりが、自分で決めた。


 だからこそ、あの背中の群れは、見ているだけで重かった。

 誰も彼も、ゼンの言葉を信じて、丸腰のまま、城へ歩いていく。もし、この賭けが外れたら。塔の上の魔法が放たれたら。あの数千は、ひとり残らず灰になる。

 剣を持たぬ者を、剣の前へ送り出して、当の自分は、壁の陰で無事でいる。最後の最後まで切りたくないと言っていたその手を、ゼンは今、隠れたまま、自分の手で切っていた。

 メガホンを握る指に、力がこもる。


 ミレナは、何も言わなかった。隙間の反対側に肩を寄せ、ただ波の先を睨んでいる。その横顔から、いつもの不機嫌が抜け落ちているのを見て、ゼンは、かえって肝が冷えた。あの女が黙りこくっているときほど、事が深刻だということだ。


 ノクトが、店の裏戸から滑り出て波の隙間へ消えていく。後ろの動きを前へ、前の止まりを後ろへ。その細い背中が、隠れたゼンと、表を行く数千とをつなぐ、たった一本の神経になっていた。


 やがて、流れは、王城前の広場へなだれ込んだ。

 石畳の広場が、みるみる埋まっていく。端から端まで、丸腰ばかりだった。剣もない。盾もない。掲げるものは、ただ「やめてくれ」という、それだけの願いだ。

 門の左右に立つ衛兵たちは、槍を手にしたまま、動けずにいた。散らせ、という下知が、城の上から、いつまでも降りてこない。たとえ降りてきたところで、武器を持たぬこの数を、しかも先頭に王女を戴いたこの群れを、どう散らせというのか。ある若い衛兵は、押し寄せる顔のなかに見知った者を見つけて、立ちすくんだ。荷運びをやめて出てきたらしい、隣区画の男だった。ある古参は、最前列に立つ子どもから、そっと目を逸らした。


 雨戸の隙間で、ゼンは、息を詰めていた。

 広場は、埋まった。城門は、すぐそこにある。

 あとは、王が、どう出るか――そこに、すべてが懸かっていた。



     ◇



 門の上から見下ろすと、広場は、人で埋まっていた。


 第一王子ゼクスは、欄干に手をかけたまま、その光景を眺めていた。

 数えようとして、すぐにやめた。数百ではない。千でも、きかない。石畳の見えるところなど、もうどこにも残っていなかった。それだけの数が、誰ひとり、武器を持っていない。


 二百年、互いを憎みあってきたはずの種族が、同じ広場で肩を並べている。獣人の毛皮と、人の貧しい身なりとが、見分けもつかぬほど混じり合って、ただ一つの願いを、ばらばらの拍子で繰り返していた。

「戦争反対、戦争やめろ」

 その声が、石壁を伝い、足の裏から這い上がってくる。


 その人の海の、いちばん先頭。城門のま下に立って、まっすぐにこちらを見上げてくる姿に、ゼクスは気づいた。

 フローラだった。

 妹が、丸腰の数千を背に負って、誰よりも前に立っている。


 ありえない、とゼクスは思った。

 これだけの民を動かすには、組織がいる。金がいる。脅しか、さもなくば、よほどのカリスマ性がいる。追放されたはずの『口だけ勇者』が、いつのまに、城下にこれだけのものを育てていたのか。

 舌を巻く、というのとは違った。背の中ほどを、冷たいものがひとすじ伝い落ちていく。

 話し合いに応じればよかったのだ、と思う。受けて、引き延ばし、継ぎ目を探す。ただそれだけのことが、何故できなかった。


 父の姿をゼクスは見た。


 国王グランゼル三世は、欄干にも寄りかからず、まっすぐに立って足元の人の海を見下ろしていた。

 その顔には、何もなかった。怒りも、恐れも、これだけの民に背かれた為政者の動揺すら、ない。

 ただ、見ている。

 最前列に立つ娘の上を、その眼は何のひっかかりもなく滑っていった。そこにいるのが実の子だと気づいてすらいないように。


 舵を握る者の眼ではなかった。これだけの数を前にすれば、誰だろうと算盤を弾く。どう散らすか、どう宥めるか、どう時を稼ぐか。父の眼には、その計算の影すら差していなかった。

 代わりに、底のほうで、何かが揺れている。

 あの議事の間で「ならぬ」と言い渡されたとき、名をつけられないまま胸の奥へ押し込めた、あの飢えのようなもの。それが今、隠そうともせず、表情の抜け落ちた父の顔の底で、ゆっくりと身じろぎしていた。


 父はこの民を、どう散らすかなど考えていない。

 この民が今、こうして一所に集まっていることを待っていた。


 ふいに王の眼が動いた。

 足元の人の海を越え、広場の向こう城の塔の上――そこに立つ、ただ一人の魔導士へと、まっすぐに据えられる。


 エレーヌ。

 王国が抱えた、ただ一人の極大魔法の使い手だ。


 それで、ゼクスは察してしまった。

 受けるでも拒むでもなく、ただ差し出された手を宙に浮かせて時を捨てると言ったとき、父が本当のところ何を待っていたのか。

 民を散らすためではない。民がこうして一所へ集まる、その瞬間を待っていたのだ。焼くために。


 気づいたときには、ゼクスは欄干を蹴るようにして、一歩前へ出ていた。

「父上っ」

 抑えていたはずの声が、裏返って飛び出した。

「なりません。あの先頭にいるのはフローラです。あなたの娘だ。あとは皆、剣も持たぬ民でしょう。ここで焼けば、王国は二度と民の前に顔を上げられなくなる。反逆と断ずるにしても、せめて剣を取らせてからになさい。なぜ丸腰の今でなくては、ならんのですか」

 利を説くなら、これ以上の正論はないはずだった。冷徹に算盤を弾くことにかけては、ゼクス自身、誰に引けを取るつもりもない。

 だが、父は、振り向きもしなかった。

 息子の声など、はじめから、そこになかったかのように。塔の上のただ一人を見据えたまま、国王グランゼル三世の唇が、ゆっくりと動く。


「あの者どもは、反逆者だ」

 それが、ゼクスへの答えだった。あの娘も、この数千も王にとっては、その一語ひとつに塗りつぶされて、消える。


 ひと呼吸あけて、命じた。

「一気に焼き払え」


 その一語は、もう誰にも引き戻せなかった。

 祈る数千の頭上を越え、塔の上の、たった一人の手元へ届けられた。

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