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口だけ勇者 ~剣も魔法も使えないので、言葉だけで異世界をひっくり返す~  作者: はなたろう
第7章 王都決戦

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第108話 差し出した手

 同じ夜明けを、ゼンは地下で聞いていた。


 地上のどよめきも、打ち鳴らされる半鐘も、ここまでは届かない。届くのは、手のなかの古びた箱から漏れてくる、雑音まじりの声だけだった。


『撃ったわよ。荒れ地のど真ん中。ちゃんと、誰ひとり傷つけてないからね』


 トランシーバーの向こうで、イルミナの声が得意げに言った。それでいて隠しきれないほど疲れている。極大魔法をただ一発、見せ球のためだけに虚空へ放つ。あれがどれほど魔力を削る芸当か、ゼンには想像するよりほかなかった。


「上出来だ。完璧すぎるくらいだよ」

『でしょう。もっと褒めて』

「あとでいくらでも。それで、向こうの様子は」

『石みたいに固まってる。前衛も、塔の上のふたりも。指の一本も、動かせやしないわ』


 動けない。それでいい。動かせないということこそが、ゼンの引いた盤の目だった。

 狭い地下倉に、リーシャとミレナ、それにノクトが身を寄せ合っている。新星商会の王都店、その床下。下水道から這い上がってきたゼンを迎え入れた、血の匂いのしない、もうひとつの戦場だ。


「会談の使者は、もう城門に着いた頃よ」

 卓に広げた王都の図面を、リーシャが指でなぞる。

「日暮れまで、と伝えてある。ゼン。本当に、王は卓に着くと思う?」


 その問いに、ゼンはすぐには答えなかった。

 右の眼を覆う布の下、かつてそこに宿っていた力は、もうない。人の胸のうちを覗き見て、迷いなく手を打てた頃の自分は、とうに置いてきた。

 いま彼に読めるのは、人の心ではなかった。盤の理屈だけだ。


「着くさ」

 やがて、そう言った。

「着かなきゃ、おかしい」

「考えてもみろよ。あの一発で、王国軍は前にも後ろにも進めない。物流は止めた。兵糧も士気も、もう長くは保たない。そんな手札のまま対話を蹴ったところで、得るものはなにもなく、失うものばかりだ。受けて時間を稼ぎ、こちらの綻びを探すのが、王国に残された、たった一つの道なんだ」


「道、ねえ」

 ミレナが呟いた。壁にもたれたまま、腕を組んでいる。

「相手が、お前ほど勘定の上手い人間ならな」

「上手くなくてもいい。最低限、自分の国を守りたいと思ってさえいれば、答えは一つに絞られる」


 言いながら、ゼンは卓の隅に置いた道具へ目を落とした。

 先代の魔王が遺した声を運ぶための道具、メガホン。その傍らにスラム住人と、獣人の荷運びたちと、セブンセブンに通う者たちが繋がっている。

 数千の丸腰の民。

 それがゼンの最後の切り札だった。


「これは、使わずに済ませたい」

 半ば、自分へ言い聞かせるようだった。

「王を卓へ引きずり出すための、脅しの札だ。剣を持たない人間を、剣を持った軍の前に並べる。そんな手は、最後の最後まで切りたくない」


 リーシャは何も言わず、ただゼンの手の甲に、そっと指先を重ねた。ミレナは目をそらし、ノクトは天井の梁を見上げて、聞こえないふりをした。

 誰も、その「最後の最後」が、すぐそこまで来ていることを、まだ知らずにいた。



     ◇



 王城の議事の間は、朝から灰色に沈んでいた。

 居並ぶ将と文官の顔は、どれも一様に青い。城壁の上から見えたもの。二百年、決して交わらぬはずだった二つの旗が、並んで立つ光景が、まだ誰の眼にも灼きついている。

 王子ゼクスは、玉座のかたわらに立ち、その喧噪を冷えた眼で見下ろしていた。


「結論は、出ている」

 ざわめきを断ち切るように、ゼクスは言った。

「使者を受ける。日暮れを待つまでもない。こちらから卓を整えると、返せ」


 将のひとりが気色ばんだ。

「殿下。魔族と反逆者どもと、卓を囲めと仰るか」

「囲むのではない。引き延ばすのだ」

 ゼクスの声に、熱はない。


「あの一発を見たな。あれと同じ魔法を、向こうは何発でも撃てると言っている。嘘か真かは、どうでもいい。確かめる賭けに、王国の全軍を張れるか。張れまい。ならば、動けぬあいだは時間を稼ぐ。魔族と獣人は、二百年、互いを憎みあってきた。しょせんは寄せ集めだ。時さえあれば、継ぎ目はいくらでも見つかる」


 その理屈は、誰にも覆せなかった。覆せないからこそ広間の温度が、わずかに緩む。

 卓に着く。それで少なくとも、今日、灰になる者はいない。


「ならぬ」

 玉座から、低い声がした。


 国王グランゼル三世は、肘掛けに頬杖をついたまま、息子のほうを見てもいない。

「使者には、応えるな。返書も出すな。日が暮れるまで、ただ待たせておけ」


「父上」

 ゼクスは、一歩踏み出した。

「それは、最も愚かな手です。受けるでも拒むでもなく、ただ黙して時を捨てる。得るものが、何ひとつない」


「時を捨てるのではない」

 王の口の端が、ゆっくりと吊り上がった。

「思い知らせてやるのだ。差し出した手が、いつまでも宙に浮いたままだという屈辱を。卓など、はじめからありはしないのだとな」


 ゼクスは、口をつぐんだ。

 父の言葉には、戦を避けようとする者の重さも、勝とうとする者の計算も、何ひとつ宿っていなかった。ただ、対話が潰れること、それ自体を悦ぶような響きだけが、底に揺れている。

 この国の利になることを、ひとつも言わない。

 幼い頃から、父は冷たい人だった。母が逝ったあの年から、ずっと。だから、その冷たさには、慣れていたはずだった。

 なのに、今日のそれは、慣れた冷たさとは、どこか違う。底のほうに見覚えのない飢えのようなものが、揺れている気がした。

 しかし、ゼクスはそれを胸の奥へ押し込めた。


「……御意」

 絞り出した声は、自分でも驚くほど、平坦だった。


 日暮れまで、王国は卓に、誰も送らない。

 送らないと、決まった。



    ◇



 日が、傾きはじめた。


 地下にいても、刻限は知れた。気だるい西日の色が、地上へ通じる階段の縁を、わずかずつ赤く染めていく。

 城門からは、なんの動きもない。差し出された手は宙に浮いたまま、ただ立ち尽くしている。


 ノクトが、音もなく階段を駆け降りてきた。

「ゼン。城門、ぴくりとも動かねえ。使者は突っ立ったまんまだ。それと……」

 角のない額に、汗が滲んでいる。

「フローラ様から、ことづて。御前会議は、もう終わったって。王は返事すら出すなと命じたそうだ」


 ゼンは、答えなかった。

 ただ、ゆっくりと、息を吐いた。


 受けるでも、拒むでもなく、ただ黙殺する。

 それは、ゼンが並べたどの目にも、なかった手だった。受けて稼ぐ。受けて割る。せめて、引き延ばす。国の舵を握る者なら、誰がどう打っても、卓には着くはずだ。

 なのに、その手を選ばない。差し出された手を、握りもせず、払いもせず、ただ宙に浮かせたまま放置する。それは、王国の利を一切顧みない者にしか、選べない手だった。

 舵を握る手は、もう、王国のためには舵を切っていない。

 とうに、分かっていたことだ。あの地下の部屋で、魔力で回る古い家電と、二百年前の設計図を見た、あの時から。王のなかには、戦が終わることを、決して許さない何かがいる。

 それでも、ゼンは賭けていた。万にひとつ、相手が『ただ自分の国を守りたいだけの、人間』であってくれることに。

 賭けは、外れた。


 盤面は死んだ。

 最初から用意されてなどいなかったのだ。


 ゼンは、卓の隅の筒へ手を伸ばした。

 冷たい金属が、手のひらに馴染んでいく。

 札を切る。剣を持たない数千を、剣を持った軍の前に立たせる。ずっと避けてきた手だ。けれど、もう、それしか残っていない。

 ただし、と、ゼンは思う。これは武器ではない。

 あの民を王の前に並べるのは、殺すためではなく問うためだ。日の暮れるその前に、王都じゅうの眼の中へ、はっきりと突きつけるために。

 誰が、差し出された手を蹴ったのか、と。

 祈る丸腰の民を前にして、王は二つに一つを選ばされる。卓に着くか、あるいは衆人環視のなか、その民を焼く者として、自らの正体を、白日の下に晒すか。


「イルミナ」

 ゼンは、トランシーバーに口を寄せた。

「両軍は、動かすな。抑止だけ、保っていてくれ。進むのは武器を持たない連中だ」

『……いいの。あなたの、いちばん嫌な手でしょう』

「ああ。いちばん、嫌な手だよ。プランBを発動する」


 ゼンはリーシャとミレナを見た。

 ふたりは、もう立ち上がっていた。言葉は、いらなかった。

 ミレナが無言で店の裏戸を開け放つ。ノクトが路地へ駆け出していく。

 合図は夕闇を波のように渡っていった。

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