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口だけ勇者 ~剣も魔法も使えないので、言葉だけで異世界をひっくり返す~  作者: はなたろう
第7章 王都決戦

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第106話 竜の置き土産

 奥の小部屋に通される。

 ついさっきまで鼻の奥にこびりついていた地下の湿った匂いが、ここでは乾いた紙と木の匂いに薄まっていた。

 表は封鎖で戸を閉ざしているのに、店の内側にはまだ人の暮らしの匂いが残っている。ミレナが水差しと布を持ってきて、ぶっきらぼうにこちらへ突き出した。


「拭け。下水の匂いがする」

「ご挨拶だな」


 それでも受け取って、頬にこびりついた下水の匂いをぬぐう。

 椅子に腰を落とすと、そこでようやく緊張が抜けていった。

 ノクトはとっくに別の椅子へ飛び乗って、卓の干し果実を勝手につまんでいる。


 向かいにリーシャが腰を下ろした。その視線が、さっきから俺の右目に張りついて離れない。

 地下の暗がりではどうにかごまかせていたものも、灯りの下ではもう隠れようがなかった。さっきは「片目を置いてきてるじゃない」と軽口で済ませていたが、落ち着いて顔を改めてしまえば、訊かずにはいられないらしい。


「ねえ、ゼン。目はどうしたの?」

「後で話す」


 片手を上げて、その先を軽く押しとどめる。


「まず手紙の件だ。そっちが先だろ」

「……こんなときでも、そういうとこは変わんないのね」


 呆れたように息を吐く。それでも、問われれば一拍で商人の顔に切り替わるのが、こいつのいいところだった。


「あんたの手紙、たった三行だったでしょ。『戦の支度を遅らせろ』『スラムの民を戦地へ送らせるな』『後日行く』。やり方なんて、一文字も書いてなかった」

「ああ。そこはそっちで考えてくれると思ってな」

「丸投げもいいとこよ」


 リーシャが肩をすくめ、それから、ふっと得意げに目を細めた。


「でも、二つとも叶えた。しかも、一度にね」


 ここまで来る道々、それらしい気配は感じていた。夜とはいえ、人の気配がまったくなかった。約束どおりこいつらが都の足を止めてくれているのは、見ればわかる。

 分からないのは、その手口のほうだ。


「どうやって止めた。市場を力ずくで押さえつけたんなら、どこかで必ず血が出る。お前たちにそんな手勢はないし、なにより、誰かを傷つけるのだけは避けたかった」


 力に頼らずに都ひとつの足を止める手なんて、正直、俺の頭にも具体的な絵は浮かんでいなかった。だから書かずに放り投げた、というのも、半分は本音だ。


 リーシャが、ちらりとミレナのほうを見た。


「最初の一手を打ったのは、ミレナよ」


 壁際で腕を組んでいたミレナが、面倒くさそうに口を開く。


「高い熱。赤い斑。数日でばたばた人が倒れる。そういう質の悪い病が、東の隊商から持ち込まれた、そういうことにした。それらしい症状の『患者』を何人か仕込んで、本物らしく寝かせておく。あとは噂が勝手に走る」


 リーシャが後を継いだ。


「人はね、剣より病を怖がるの。疫病が出たって噂が立っただけで、誰も市場になんか出てこない」

「一度、役所の検査官が様子を見に来た」


 とミレナ。


「リーシャが看護師に化けて、自分も感染したふりをしてやり過ごした」

「あのとき、本当に大変だったんだから」


 リーシャが恨めしそうに唇を尖らせる。


「念を入れろって、ミレナに薬まで飲まされてさ。おかげで本物の熱が出て、ふらふらよ」

「あれで向こうは完全に信じた」


 ミレナは平然と言ってのける。


「お役所は出兵どころか、自分のほうから先に封鎖を選んだ。こっちが煽るまでもない。向こうが勝手に、都を丸ごと凍らせてくれた」

「……なるほどな」


 ばらばらだった点が、頭の中でつながっていく。

 封鎖されれば、スラムの民は外へ出られない。

 出られないなら、戦場へも、送られない。


 戦が始まれば、真っ先に人足として、盾として最前線へ追い立てられるはずだった、あのスラムの九百八十七人。それを城は、よりにもよって自分の手で柵の内側へ囲い込み、結果として守ってしまったわけだ。

 牢のつもりが、壁になっている。


 戦の支度を遅らせろ。スラムの民を送るな。

 俺が手紙の余白に放り投げただけの二つの願いを、こいつらは病ひとつの嘘で、まとめて引き受けてみせた。


「それだけじゃないの」


 リーシャは指を一本立てた。


「止められるものは、全部止めた。獣人たちのリヤカーも、新星商会の店も、王都じゅう一斉に店じまい。物が動かなくなれば、市場なんてあっという間に荒れるわ。買い占めが起きて、値が跳ね上がって、商いそのものが止まる。兵糧も、武具を運ぶ荷も、人手も、ぜんぶその底に沈んだまま。兵だけ集めたって、戦の支度は一向に整いやしない」

「スラムの飯は」

「フローラが回してる。柵の中で飢えさせちゃいないわ。子供がわざとらしく咳き込んで、母親に笑われてるくらいよ」


 しばらく、言葉が出てこなかった。

 誰も斬っていない。誰も死んでいない。

 ただ、人が病に抱く恐怖、それひとつを梃子にして、王都という街の息を、そっと止めてみせた。剣も、魔法も、女神の力もいらない。俺が余白に放り投げただけの二つの願いを、こいつらは自分たちの頭でより合わせて、誰ひとり傷つけずに形にしていたのだ。


「……上等だ。正直、驚いた」


 ようやく口から出たのは、それだけだった。


「願いは二つ書いた。叶え方は、何ひとつ書かなかった。なのにお前たちは、二つまとめて叶える一手を、自分の頭で見つけ出した。どこかで自慢して回りたいくらいだよ。剣も魔法もなしで、王都ひとつ手玉に取ってみせたって」


 リーシャが、ふん、と得意げに鼻を鳴らした。その頬が、ほんのり赤い。


「当然でしょ。誰がやってると思ってるのよ」

「べつに。手間ではあった」


 ミレナはそっぽを向く。けれど、組んだ腕の、その指先だけが、所在なげにとんとんと動いていた。

 ひとしきり褒めおわると、リーシャの声から、すっと温度が抜けた。


「で。さんざん人を働かせておいて、自分だけ知らんぷり? その目、どうしたの」


 逃げ道は、もう塞がれている。

 俺は水を一口含んでから、できるだけ何でもないことのように答えた。


「竜に、持っていかれた」

「……竜と、戦ったの」


 卓の上のリーシャの手が、知らず、きゅっと握り込まれた。

 看護師に化けて検査官の前に倒れてみせたときでさえ、この手は震えなかったはずだ。いつもは眉ひとつ動かさずに損得を弾く女の、その指先だけが、今は白い。問い返す声も、最後のところで、ほんの少しだけ掠れていた。


「ああ。倒した」


 吐かれた炎を、顔の右半分でまともに浴びた。火傷のほうはイリアの魔法で治ったが、目だけは戻ってこなかった。

 そこまでは、言わずにおく。

 俺は、干し果実を頬張るノクトのほうへ目をやった。


「そのとき、こいつが大手柄でな。ノクトがいなけりゃ、俺はここに座っちゃいない」


 名前を出された途端、ノクトが得意げに鼻の下をこすった。


「俺が爆発石で、竜の目ん玉つぶしたんだぜ。あんなにでかい図体でも、目だけは柔らけえからな。一発で大暴れさ。そこをレオンがすぱっと、よ。ま、ゼンはいつもどおり口だけだったけどな」


 いつもの言い合いに、リーシャの肩から、ようやく力が抜けていく。

 その隣で、ミレナの手がふと止まった。


「なんだ、その爆発石ってのは」

 仏頂面のまま、こちらを見ている。


「エレーヌが作ってくれたものでな」

 俺は答えた。

「ただの石ころに、あらかじめ魔力を込めておくだけのものだ。それだけなんだが、強い刺激――殴るとか、叩きつけるとかが加わると、込めた魔力が一気に弾けて、爆発する」


 ミレナの仏頂面は、いつもどおり崩れない。

 崩れないのに、目の奥だけが、ふっと色を変えた。地下から這い出てきた俺を見ても、戻らない右目を見ても動かなかったものが、今、はっきりと前へ傾いだ。


「……興味深い」


 組んでいた腕をほどいて、ミレナが卓へ一歩、近づいた。


「詳しく教えてくれ。石の種類は選ぶのか。込める魔力の量で威力は変わるのか。どのくらいの刺激で爆ぜる。手で握っているだけで暴発したりは――しないのか」


 立て続けの問いに、ノクトが「お、おう」と気圧されながら身を乗り出す。

 さっきまで人の安否ばかり気にしていた女が、急に別人みたいに食いついてきたものだから、リーシャもさすがに意外だったらしい。


「ミレナ。あんた、そんな顔もするのね」

「……薬も、毒も、魔法も、理屈は地続きだ。なにとなにを混ぜれば、なにが起きるのか。それを知らずに錬金術師は名乗れない」


 そっけなく言って、ミレナはノクトの隣の椅子を引き寄せ、腰を据えた。どこからかペンを取り出して、卓の隅に何やら書きつけはじめる。本気で聞き取るつもりらしい。

 その横で、リーシャがそっと身を寄せてきて、声を落とした。


「……エレーヌさんって、そんなものまで作れるのね」

「ああ。あいつの火の腕は本物だ。本人は、その腕をちっとも喜んじゃいないがな」


 かつて炎で大勢を焼いた指が、今度は石ころに小さな火を仕込む。それを作るとき、エレーヌがどんな顔をしていたのか、それは、訊かないでおいた。

 ありもしない病を一から仕立て上げ、役所まで欺いてみせた錬金術師が、今度は石ころ一つの理屈に、同じ熱量で食らいついている。爆ぜたときの音、煙の色、ノクトから一つずつ聞き出しては、卓の隅に書きつけていく。あの仏頂面がこんなに前のめりになるところを見るのは、初めてだった。


 このときの俺は、その様子をただ少し可笑しく眺めていた。

 卓の隅に走り書きされていくそれが、いずれ俺たちの命運を分ける一手になるなどとは、この時はまだ、思いもしていなかった。

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