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口だけ勇者 ~剣も魔法も使えないので、言葉だけで異世界をひっくり返す~  作者: はなたろう
第7章 王都決戦

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第104話 静かな反乱

 その朝、王都はいつもの喧騒で目を覚まさなかった。


 大通りに荷車の列がない。市場のざわめきがない。いつもなら通りを埋めつくす活気がない。

 リーシャは、宿の二階の窓から、その静けさを見下ろしていた。


 ことの起こりは、一通の魔法の手紙だった。

 フローラのもとにゼンから届いた。

 だが、魔法の手紙に書ける量は、ひどく限られている。わずかな余白に彼が遺したのは、そっけない箇条書きだけだった。


  一、できるだけ、戦の支度を遅らせろ。

  一、スラムの民を、戦地へ送らせるな。

  一、後日、そちらへ行く。それまで、頼む。


 どうやるか、は一文字も書いていない。叶えたいことだけが並んでいる。

 あとは、お前たちで考えろ。そういうことだ。


 二つの願い。戦の支度を遅らせること。そして、スラムの民を戦場へ送らせないこと。

 別々の話に見えた。それを一本に繋いだのはミレナだった。薬を扱う女の、目だった。

「“悪い病”が出た、ってことにしたら、どうだ」

 リーシャが、顔を上げる。

「うつる流行り病。そういうことにすれば、お城は怖がってスラムを丸ごと閉じる。封鎖するわ」

「……それ」

 リーシャの中で、二本の線が一本に繋がった。

 封鎖すれば、スラムの民は外へ出られない。つまり、戦場へも送られない。守られる。

 同時に城下の流通は乱れ、戦の支度も自然と滞る。

 ひとつの嘘で、二つの願いが一度に叶う。

 そのうえで止められるものは、すべて止める。ゼンがこの都に張り巡らせた、あの店々も獣人たちの車輪も。都市の血をそっと、せき止めてやればいい。

 こうして三人は、剣も魔法も使わない、戦を止めるための算段を自分たちの頭で組み上げた。


 手紙はもう二度と届かない。あの一枚きりだ。

 糸はそれきり切れている。

 手元にあるのは、三行の願いと彼が「行く」と書いた、その一言だけだった。


「リーシャ」

 階段を上がってきたのは、ミレナだった。薬の匂いをまとっている。

「上げてきたわ。スラムに“病”が出た、ってね」


 リーシャは頷いた。

 昨夜のうちにミレナが城下の衛生役所へ、伝染病発生の報告を届けていた。スラム街で悪性の熱病が確認された。高熱、発疹、そして人から人へ瞬く間に移る、と。

 もちろん、嘘だ。

 誰も病んでなどいない。スラムの民は皆、ぴんぴんしている。

 だが「悪性の病」という四文字ほど、為政者を震え上がらせるものはない。


 果たしてその日の昼には、王都の名で布告が出た。

 『スラム街、封鎖』

 病の蔓延を防ぐため、区画を閉ざし、何人たりとも出入りを禁ず。兵を置き見張らせる、と。


 封鎖。それこそが、狙いだった。


 スラムには、九百八十七人が暮らしている。その大半が、戦になれば真っ先に、人足として盾として、最前線へ駆り出される者たちだ。

 封鎖は、その九百八十七人を兵の手から隔てた。「病人」を戦場へは送れない。誰も彼らに手を出せなくなる。

 牢のように見えて、その実これは壁だった。戦から守るための、壁。


「誰も病んでないのに」

 ミレナが、兵に閉ざされたスラムの方を見て、ぽつりと言った。

「あの中の人たちは、これで戦に取られずに済む。……変な気分」

「あなたの考えた手よ、ミレナ」

 リーシャは薄く笑った。「病を、盾に変えるなんてね」


 スラムの民も、ことの次第は呑み込んでいた。

 あらかじめ、伝えてある。これは芝居だ、閉じ込められるのではなく、守られているのだ、と。

 封鎖の柵の内側では、子供がわざとらしい咳をして、母親に「下手くそ」と笑われていた。寝込んだふりの老人が、毛布の下で、こっそり酒を飲んでいた。

 兵に見えているのは、恐ろしい病の巣。

 柵の内では、誰もが息をひそめて、けれどどこか可笑しそうに、その芝居を演じていた。


 仕掛けは、それだけではなかった。


 同じ日、王都の物流を静かに握っていた手が、いっせいに開かれた。


 まず止まったのは、獣人たちのリヤカーだ。

 城下の隅々へ、野菜を、薪を、水を運んでいた、あのリヤカーの列。王都の暮らしを末端で支えていた者たち。その一台残らずが、動くのをやめた。


 次に店が閉じた。

 新星商会が王都じゅうに広げた、コンビニのセブンセブン。日用品から食い物まで何でも揃う、その全ての店先に同じ貼り紙が出た。


 『休業中』


 全店、一斉に。

 市民は戸惑い、次に慌てた。パンが買えない。油が買えない。干し肉一つ、手に入らない。たった一日で、王都は、自分たちが何に支えられて生きていたのかを思い知らされた。


 仮病で働けないスラムの人たちの食料は、フローラが用意してくれた。

 リーシャは商人たちの間を渡り歩き、噂を丁寧に育てていた。病のせいで流通が止まった、もうしばらく品は入らない、と。半分は本当で、半分は種だ。

 市場は混乱した。買い占めが起き、値が跳ね上がり、商いそのものが止まった。


 そして最も大きく狂ったのは、軍の支度だった。

 侵攻に要る武具。兵糧。荷を運ぶ人手。そのことごとくが、止まった物流の底に沈んだ。集まらない。動かせない。

 兵は揃っても、その兵を食わせる兵糧が、最前線へ届かない。


 誰一人、斬っていない。誰一人、死んでいない。

 ただ、都市という巨大な体の、血の巡りを、そっと止めただけだ。

 王都は、音もなく凝固していった。


 その滞りは、やがて王城の高い一室にまで届いた。


 王子ゼクスは、報告に上がった文官を冷たく見下ろしていた。

「もう一度、言ってみろ」

「は……出陣の支度が、滞っております。物資が集まりませぬ。武具を運ぶ荷も、人手も。城下の流通が、ことごとく止まっておりまして……」

「なぜ止まる」

「ス、スラムに、悪性の病が出たとかで……封鎖の煽りで市場が荒れ、そこへ、よろず屋の一斉休業まで重なり……」

 ゼクスは、指で肘掛けを叩いた。とん、とん、と、苛立ちが規則正しく刻まれる。


「病だと?」

 その声に、わずかな疑いが滲んだ。

「ずいぶんと、都合よく湧いたものだな。よりによって、こちらが兵を出そうという、この時に」

 文官は首をすくめた。

「い、いかがいたしましょう」

「決まっている」

 ゼクスは立ち上がった。

「病が本物かどうか、検査させろ。封鎖など、たかがスラムの話だ。さっさと解いて人足を狩り集めろ。下民の流行り病ごときに、この国の戦が止められて、たまるものか」


 その一手が、何ひとつ実を結ばぬとも知らずに。


 ゼクスの命を受けた検査官が、その日のうちにスラムへ向かった。病が本物かどうか、その目で確かめるために。

 もし中へ踏み込まれ、ぴんぴんした「病人」たちを見られれば、すべて露見する。

 だから、こちらから見せてやることにした。


 封鎖の柵の前。検分官を迎えたのは、看護師に扮したリーシャだった。

 白い布で口元を覆い、額に汗をにじませ、それでも気丈に、患者の世話に立ち働くふりをしている。

「奥へは、お通しできません。今、運び出している最中で……」

「どけ。確かめねばならん」

 検分官が、柵に手をかけた。その、瞬間だった。


 リーシャの手から、抱えていた桶がすべり落ちた。

 彼女は喉を押さえてよろめき、膝から崩れ落ちる。

 まくれた袖から覗いた腕には、赤黒い発疹が点々と散っていた。額には、玉のような汗。触れずとも分かるほどの、熱。

 それは、ミレナの薬で出させた、本物の熱だった。発疹は、ミレナが練った塗り薬。だが検分官に、それを見抜く余裕などなかった。


「せ、世話をする者まで……!」

 その声が、裏返る。

 健やかなはずの看護師が、目の前でばたりと倒れた。意味することは、ひとつしかない。この病は、看る者すら容赦なく喰らう。


「お逃げください! あなたに移る前に!」

 ミレナが、駆け寄りながら叫んだ。


 検分官は柵から飛びのき、転がるように引き返した。

 その背へ、ミレナが、よく効く殺菌石鹸を一つ、手渡す。

「薬用石鹸です。お城へお戻りの前に、よくよく手を!」


 兵の姿が見えなくなってから、リーシャはゆっくりと身を起こした。汗まみれの顔で、力なく笑う。

「……熱、ほんとに出ちゃった。これ、いつ下がるの」

「明日の朝には。よく効くでしょう」

「効きすぎよ」

 リーシャは、額の汗を拭った。

「でも、誰も傷つけてない。これでいいわ」


 三日が、十日になった。

 王都は、自らの足を自らの仕掛けで縛られ、もたつき続けた。


 夜。

 リーシャは、書き写したあの三行を、また広げた。

 たった、三行。けれど最後の一行を見るたび、胸の奥が少しだけ、温かくなる。


 後日、そちらへ行く。


 彼が今どこにいるのかは、分からない。糸は、切れたままだ。

 それでも、その一言があるだけで、まだどこかで繋がっている気がした。彼が願ったとおりに、王都は止まった。やり方は、自分たちで見つけた。それでいい。言葉は、彼がいなくても、ちゃんと届いている。


「……頑張ってるよ、ゼン」

 リーシャは、誰にともなく、そう呟いた。


 王都が、自らの仕掛けに足を取られ、もたついている、その頃。


 はるか北。

 魔族領の城門の前に、これまで決して並ぶことのなかった、二つの旗が翻っていた。

 魔王の旗と、獣人の――盾の旗。

 連合軍は、出撃の支度を、とうに整えていた。


 支度の遅れた王国を、置き去りにして。

 戦の天秤は、誰の血も流れぬまま、静かに傾き始めていた。

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