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口だけ勇者 ~剣も魔法も使えないので、言葉だけで異世界をひっくり返す~  作者: はなたろう
第7章 王都決戦

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第103話 獣王の血

 長老が、ガランの前で足を止めた。手が、そっとガランの腕に置かれる。

「よく帰ってきた」

 たった一言。それだけだった。他には何も。


 村の空気は、そう甘くはなかった。

 遠巻きにこちらを窺う獣人たちの目に、戸惑いが感じられる。当たり前だ。ガランはかつて、人間の勇者一行としてこの村を通った男だ。それが今は人間の国を追われ、よりにもよって魔王の側について帰ってきた。

 俺たちの背後には魔族領が広がっている。それが何を意味するのか、言葉にしなくても彼らは鼻先で嗅ぎ取っている。


 俺は長老に向き直って、頭を下げた。


「あの夜、約束しました」

 前にこの村へ立ち寄ったとき、この屋根の下で、長老は俺ひとりに秘密を打ち明けてくれた。

「本人が自分の口で言うまで、聞かなかったことにする、と。その約束を、これから破ります」


 長老はすぐには返さなかった。しばらく俺を見つめ、それからガランの背中へと視線を移す。


「どうしても獣人の力を借りたいのです。そのためにはあの事を伝えたいです」

「よい」

 長老が、ふっと笑った。歯の抜けた口元の、やわらかい笑みだった。

「八十年、誰ひとり口にできなんだものを、おまえは己の勝手で掘り返す。それでよい。お前さんはきっかけを作ってくれた」

 杖の先が、こつ、と地を打った。

「もう、そういう時なのかもしれぬ」


 村のはずれ、風の抜ける丘に、小さな石がいくつか並んでいた。

 その一つの前で、ガランが膝を折った。


 苔の生した石の表面に、たどたどしい字が刻まれている。

 ――ミーナ。


「二十年だ」

 ガランの指が、文字をなぞる。昨夜、盾をなぞっていたのと、同じ仕草だった。

「魔物が出てな。俺はまだ駆け出しの戦士で、それでも妹ひとりくらいは守れると思ってた。守れなかった」

 声が、途中で掠れた。

「ミーナは六つだった。俺を庇って、自分から前に出やがったんだ。最後に笑って言いやがった。『兄ちゃん、おっきいから、だいじょうぶ』ってな」

 風が、丘の草を撫でて通り過ぎる。

「だいじょうぶなんかじゃ、なかった。何ひとつ」


 俺は、何も言わなかった。

 ここで言葉に何の意味がある。気の利いた一言なら、いくらでも口から出てくる男だったはずだ。なのに今は、その引き出しが全部、空っぽだった。

 それでも、どうしても言わなきゃならないことが、一つだけあった。

 俺はガランの隣に立った。


「ガラン。お前は――最後の獣人王、ロガルの孫だ」


 石をなぞる指が、止まった。


「八十年前、王国に首都を陥とされたとき、ロガルは自分の首と引き換えに、獣人の命を救った」

 なるべく静かに言った。

「だが王国は、王の血だけは残させず、皆殺しにされるはずだった。だが、生まれたばかりのお前の父親が、血筋を隠されて、何も知らされないまま育てられて、それで生き延びたんだ」

 長老を見ると、黙って頷きが返ってくる。

「その話を、俺はあのときこの村で聞いた。それからずっと、腹の底にしまってた。お前が自分で背負うと言う、その日まで」


 ガランが、ゆっくりと立ち上がった。

 その顔に、怒りはなかった。ただ、信じられないものを見るような、血の気の引いた白い顔だった。


「……冗談だろ」

 喉の奥から絞り出すような声だった。

「妹ひとり守れなかった男だぞ、俺は。その俺が、王の血だと? 笑えねえよ」

 握りしめた拳が、震えていた。

「いいか、軍師殿。八十年前、獣王は、首を差し出して戦を畳んだ。民を生かすために、自分から王であることを捨てたんだ。なのに、今さら俺が王を名乗ってみろ」

 彼は足元の土を睨みつけた。同胞が今を生きている、この村の土を。

「また火がつく。王国が、潰しにかかってくる。八十年前の、ただの繰り返しだ。ロガルが何のために首を差し出したと思ってる」


 気づけば、丘のふもとに村の獣人たちが集まっていた。

 その中の、白髪まじりの年寄りが、震える声を張り上げた。


「そうだ……! 王なんぞ、いらん!」

 声が裏返る。

「八十年だぞ。貧しいが、誰も戦で死んでおらん。それを、また、あの頃に戻すつもりか!」


 恐れが、伝染していく。

 責められるはずもない。彼らは、王を失って、それでも生き延びた者たちの子であり、孫だ。「王」という言葉そのものが、彼らにとっては滅びそのものの匂いがするんだろう。


 俺は、その恐れのど真ん中へ、一歩踏み込んだ。


「ロガルの降伏は、正しかった」

 まず、それを言った。

「その選択があったから、お前たちは今、ここで生きてる」

 集まった顔を、一つずつ見ていく。

「だが、俺がガランに求めてるのは、降伏じゃない。玉砕でもない。そのどっちでもない、三つ目の道だ」

 俺はガランを振り返った。

「魔族と獣人の連合。撃たれないための、盾。王国が二百年かけて、種族同士に手を取らせまいと焼き払ってきた絵図を、今度はこっちから描く」

 息を継ぐ。

「そのために要るのは、軍を率いて攻め込む王じゃない。皆の前に立って、皆を守る盾だ」


 俺は、ガランの目をまっすぐに見た。

 ここから先は、理屈じゃ届かない。


 昔の俺なら、もっと上手い言葉を選んで、きれいに筋を通してみせたんだろう。いや、たぶん、今は、それをやっちゃいけない。


「お前はさっき言ったな。妹ひとり守れなかった、と。だからだよ、ガラン」

 声に、自分でも熱がこもるのが分かった。

「もう二度と、誰かの妹がたった一人で前に出る。そんな夜を来させないためだ。お前には盾がある。お前にしか、その盾は掲げられない」


 ガランは、長いこと動かなかった。

 やがて、背に負っていた国宝の大盾を外し、地面に突き立てる。

 どん、と鈍い音が、丘の上に響いた。


 顔を上げたとき、もう、その目に迷いはなかった。


「分かった」

 村じゅうの顔に向かって、ガランは言った。

「俺は、王を名乗る。ロガルの血を引き受ける」

 ざわめきが走る。それでも彼は構わず続けた。

「ただし、王としてじゃねえ。お前たちの上に立って命じる王じゃねえ。盾だ。お前たちの前に立って、二度と誰も一人にさせねえための、盾だ」


 しん、と丘が静まり返った。


 その静けさを割って、長老が前へ進み出た。

 懐から、古い革紐に通した一本の獣の牙を取り出す。黄ばんで、先の欠けた、大きな牙だった。

「これは、ロガル様の牙でございます」

 しわがれた声が、震えていた。

「あのお方が首を落とされる、その前に、わしに託された。いつか、血が戻る日のためにと」

 長老は、その牙を両手で捧げ持ち、ガランへと差し出した。

「八十年。長うございました。わしらはずっと、お待ちしておったのですよ」


 さっき「王はいらん」と叫んだ、あの年寄りが、地に膝をついた。

 ロガルをその目で知っている世代だ。震える肩で、声を殺して泣いていた。

 一人、また一人。獣人たちが、次々と膝を折っていく。


 ふと、横を見た。

 ノクトが、獣人の子供たちに囲まれて、何やら身振り手振りで語って聞かせている。

「でな、あの暴竜のでっかい目玉めがけて、爆発石をドン! だ。一発で潰してやったわけよ」

 子らが、わっと沸いた。

 今度ばかりは、嘘じゃない。あの竜の片目を潰したのは、確かにこいつの一投だった。語るほど余裕綽々だったわけじゃなく、半分は腰を抜かしながら投げてたが、まあ、そこは黙っておいてやる。


 魔族の子と、獣人の子。本来なら、王国が二百年かけて引き裂いてきた、二つの種族だ。

 共生村の夢。王国が、芽吹くたびに焼いてきたもの。

 それが、こんな小さなところで、もう、生まれ始めていた。


 その夜。

 丘の上で、俺は懐の黒い箱のスイッチを入れた。

 雑音の向こうから、すぐに声が返ってくる。


『ゼンさん? どう、そっちは』

 俺は少し間を置いてから、言った。

「連合の合意に至った」


 息を呑む気配が、雑音越しに伝わってきた。

『……本当に』

「ああ。獣人の盾が、一つ。お前の盾と合わせて、二つだ」


 しばらく、返事はなかった。

 やがて彼女は、静かに言った。

『すごいわ、ゼンさん』

 その声は、もう、魔王のものじゃなかった。


 黒い箱を切る。

 丘のふもとでは、まだ獣人たちが、新しい王の――いや、盾の周りに集まっている。

 残るは、王都だ。フローラ、リーシャ、ミレナの待つ場所。


 王国の方角から、風が吹いてきた。

 俺はもう一度、突き立てられたばかりの大盾を見やる。

 二度と、誰も一人になんてさせない。そのための、盾を。

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