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口だけ勇者 ~剣も魔法も使えないので、言葉だけで異世界をひっくり返す~  作者: はなたろう
第7章 王都決戦

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第102話 故郷での覚悟

 出発の朝。

 行き先は北東、獣人の自治区エルナ郷。散らされ、奴隷同然に扱われてきた獣人たちをまとめ、連合の旗にする、それを為せるのは、獣人のガランだけだ。

 壮大な計画の、第一歩。

 なのに中庭へ引き出されてきたのは、ごく普通の馬が、三頭だった。


 茶が二頭、黒が一頭。たてがみを揺らして、退屈そうに尾を振っている。どこからどう見ても、馬だ。


「……馬だな」

「馬よ」

 仮面のイルミナが、当然でしょう、という声で言った。

「何を期待してたの」

「いや。魔族領だぞ。ダチョウをでかくした鳥とか、小型の竜とか、そういうのが出てくるもんかと」

「鳥は気性が荒いし、餌代が馬鹿にならない。竜は、小型でも竜よ。自分より弱い人間の言うことなんて、聞くわけないじゃない」

 イルミナは指を二本、順に折った。

「経済と、安全。あなたが一番うるさいやつでしょう」


 ぐうの音も出なかった。

 異世界転生の夢が、また一つ、消え去った。


 問題は、馬ではなく乗る側にあった。

 今までの移動は馬車ばかりだったが、のんびり馬車の旅をするわけにはいかない。

 ガランは、ひらりと鞍にまたがると、それきり馬と溶け合った。獣人だけあって、獣の扱いはお手のものだ。残る二人、俺とノクトは、生まれてこのかた、馬にまたがったことがない。


「余裕だし」

 ノクトはそう言って鐙に足をかけた。相変わらず、口だけは達者だ。

 三秒後、馬が首を振っただけで、「ぅおっ」と妙な声を出して鞍にしがみついた。


「……余裕だし」

「もう一回言っても、説得力ねえぞ」


 結局、出立は半日ずれた。魔王直々の乗馬指南が入ったからだ。


「落ちたら死ぬやつだろ、これ」

「死なないように教えてるの」

 仮面の奥の目が、ふっと細められた。

「落ちそうになったら、格好なんてどうでもいいから、首にしがみつくこと。いい?」

「肝に銘じる」


 門の前で、イルミナは胸に黒い箱を抱えて立っていた。トランシーバー。もう一台は、俺の懐にある。


「一日に一度は、繋ぐこと。報告がないと、心配で遠征準備どころじゃなくなるから」

 冗談めかしてはいたが、半分は本気だろう。

 彼女は、箱を撫でた。


「……なんだか、懐かしい」

 その声が、少しだけ仮面の奥から漏れた素のものになった。

「ゲームのチャットを思い出すわ。毎日、他愛もないことを馬鹿みたいに喋ってたわよね。わたしたち」


 俺は、少しだけ言葉に詰まって、頷いた。

「……今度のは、遊びじゃない。でも、」

 俺は、懐の黒い箱に触れた。深夜、画面の向こうの彼女とくだらない冗談で夜を明かした、あの頃の気配が、指先から蘇る。

「馬鹿なことも、しゃべるかもな。……あの時みたいに」


 仮面の下で、ふふ、と笑った気配がした。

 それが、見送りだった。


 北東へ。乾いた青空の下を、三頭はぎこちなく進んだ。


 俺の茶馬は、どうやら俺を見くびっているらしかった。事あるごとに立ち止まっては、首をねじって振り返る。『お前、本当に乗れてるのか』とでも言いたげに。

「失礼なやつだな」

「ヒヒン」

「ガラン。こいつ今、鼻で笑ったぞ」

「馬に鼻で笑われる人間は、なかなかいねえな」

 前を行くガランが、肩を揺らした。


 その夜。約束どおり、懐の箱のスイッチを入れた。

 雑音の向こうから、ほんの一拍遅れて、声が返ってきた。

『聞こえてる。ちゃんと、繋がってるのね』

 イルミナの声は、少し笑っていた。

『着いたら、すぐ報告すること。いい?』

「ああ」

 たった、それだけのやり取りで、箱を切った。

 どれだけ離れても、声は届く。それを確かめられただけで、なんとなく、足元が軽くなった気がした。


 二日目の昼、事件は起きた。

 道端の藪から、野兎が一匹、跳び出したのだ。たったそれだけで、ノクトの馬が驚いて跳ねた。


「ぅわあああっ」

 小さな体が、ぐらりと鞍から傾く。落ちる、と思った瞬間、ノクトはプライドも何もかなぐり捨てて、馬の首にしがみついた。みっともなく、必死に。イルミナに教わった、まさにその通りに。

 馬が落ち着いて、ノクトはそろそろと体を起こした。顔が真っ青だった。


「……今の、誰にも、言うなよ」

「言うわけねえだろ」と、俺。

「言いふらすに決まってんだろ」と、ガラン。

「おい、毛玉ァッ!」


 ガランの笑い声が、街道に響いた。

 だが、その笑い声は、日が経つにつれて減っていった。

 正確には、ガランの口数が、だ。郷に近づくほど、彼は前を向いたまま、何も言わなくなった。手綱を繰る手は巧いのに、その背中だけが、少しずつ重くなっていく。


 昔の俺なら、頭上のアイコンで、それを視ていただろう。【自責】が、いつだったか【贖罪】に変わった。

 だが、その目は、もうない。竜に焼かれて、無くしてしまった。

 それでも、この男が何を抱えて故郷へ向かっているのかは、視えなくても分かった。


 三日目の夜。火を囲んで干し肉をかじっていると、ガランがぽつりと言った。


「前に来たときは、勇者一行として、来た。妹の墓に、詫びるためだった」

 炎を見たまま、ガランは枝を一本、火にくべた。

「今度は、同胞を戦に誘いに、だ。……勝手なもんだよ、俺も」


 火の粉が、ぱちりと爆ぜる。


「俺はずっと、誰の上にも立たねえように生きてきた。妹ひとり守れなかった男が、人を率いるなんざ、できやしねえ」

 傍らに立てかけた、国宝の大盾。その縁に刻まれた古い打ち傷を、ガランは親指で、ゆっくりとなぞった。

「だから、盾でいい。誰かの前に立って、守る側でいられりゃ、それで充分だと思ってた」

 なぞる指が、止まる。

「なのにお前は、その俺に、皆をまとめてこいと言う。逆だろ、軍師殿」


 責める声では、なかった。

 俺は、串を火から外した。

 なぜ、この男でなければならないのか。その本当の理由を、俺はまだ言わないと決めている。


「前に言ったよな。盾は、下ろさなくていいって」

「……言ったな」

「あれは変わらない。今度はその盾を、誰のために掲げるか、って話だ。誰の上にも立たねえために構えてきたものを、今度は、誰かの前に立つために使う。それだけだ」


 ガランは答えず、長いこと、火を見ていた。

 やがて、ふ、と鼻で笑った。


「……相変わらず、口だけは達者だな」

「なんせ『口だけ勇者』だからな」


 ノクトは、いつのまにか毛布にくるまって、寝息を立てていた。

 それきり、誰も、何も言わなかった。


 四日目。あたりの景色に、覚えがあった。

 道の脇の、痩せた畑。鎌を手にした者が、手を止めてこちらを見る。子を背負った女が、井戸端で振り返る。みな、獣人だった。首輪のない、獣人たち。

 風に、干し草と獣脂と、煮炊きの煙の匂いが乗っていた。いつか王都の闘技場で嗅いだ、血と鉄と、檻の匂いとは違う。生きている者の匂いだ。

 ここでは、彼らは暮らしている。痩せていても、怯えてはいない。

 前に、勇者一行で立ち寄ったときと、何も変わっちゃいない。辛うじて、息をついているだけの自治区だ。

 変わったのは、こっちの立場のほうだった。あのときは、通りすがりの客分だった。今度は――この連中を、戦に引き込みに来た側だ。


 ガランを見て、何人かが、はっと息を呑んだ。知っている顔なのだ。

 尻尾の短い子供が一人、畑から弾かれたように駆け出した。郷の方へ、一目散に。報せに行ったのだろう。


「……足の速いガキだ」

 ガランの声に、ほんの少しだけ、何かが滲んでいた。


 道は、緩やかな丘を登り始めた。登りきった先に、それはあった。

 エルナ郷の屋根の連なりが、あの日のまま、そこにあった。

 そして、その入り口に。

 一人の老いた獣人が、杖をついて立っていた。

 あの子供が報せるよりも、ずっと前から、そこで待っていたかのように。


 長老だった。

 二十年と、五年と、八十年の時を知る、ただ一人の影が。

 ガランの馬が、止まる。

 長老は何も言わなかった。ただ静かに、帰ってきた男を見上げていた。

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