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口だけ勇者 ~剣も魔法も使えないので、言葉だけで異世界をひっくり返す~  作者: はなたろう
第6章 魔王

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第100話 便箋

 夜が、深くなっていた。

 応接室の片隅、小さな灯りの下で、俺は一人だった。

 懐から、リーシャに託された魔法の手紙を取り出す。

 遠く離れた相手に、文字を届ける道具。ただし、許された通信は、一往復きり。送れるのは一度だけ。返事も一度だけ。それきり、この紙はただの紙に戻る。

 だから、何を書くか、ずっと考えていた。

 ペンを取り、しばらく白い便箋を見つめた。

 書きたいことは、山ほどあった。地の底で見たもの。先代魔王の正体。聖剣の真実。悪魔のこと。国王への、あの推測。勇者一行のこと。

 だけど、一往復きりだ。長々と綴っている余裕はない。

 俺はペンを走らせた。


 『魔族領で暮らすことにした。あとは頼む。そちらの様子も知らせてくれ』


 散々悩んだ挙句、書いたのは無事を伝える一行のみ。

 ここに留まると決めた覚悟。そして、王都の動向を問う、一行。

 国王のこと。レオンのこと。エレーヌのこと。あの推測を確かめるためにも、向こうの様子を知らなければならない。


 ペンを置いた。しばらく書き終えた文字を見つめた。

 短い。あまりにも短いかもしれない。でも、今はまだ、これでいい。

 すると。書いたばかりの文字が、ふっと、淡い光を帯びた。

 青白い光。

 一文字、また一文字。インクの線をなぞるように、光が走っていく。

 そして、紙全体がその光に包まれた。それは静かに明滅し、やがて収まった。

 光が引いたあとも文字は消えず、そのまま紙の上に残っていた。


 送信された。

 俺の言葉は、遠く王都のリーシャのもとへと飛んでいった。あとは返事を待つだけだ。

 十分ほど経過したときだった。

 手の中の便箋が、ふたたび淡く光を帯びた。

 来た。俺は息を詰めて、その便箋を見つめた。


 光の中から、文字が滲み出してくる。

 知っている筆跡、リーシャの字だ。少し癖があるが、几帳面な。

 俺の書いた一行の下に、一文字ずつ浮かび上がっていく。求めていた王都の動向だった。

 そして、読み進めるうちに俺の指先が、冷たくなっていった。


 ——王国で、魔族討伐の戦争準備が始まっている。


 息が止まった。

 目が、その一行に貼りついて動かなくなる。

 戦争準備。王国の方から、魔族領へ攻め込む。そういうことだった。

 二百年、人間は魔族を「悪魔」と取り違えたまま、小競り合いに徹してきた。その均衡が、今、崩されようとしている。

 悪魔の手口が、力ある者の心に潜んで対立を煽ることなら、これは地下で読み解いた推測の、その通りの動きじゃないか。

 一往復が尽きた。


「……っ、待て」

 戦争を止めろ。回避の策を講じろ。国王を疑え。書きたいことは溢れていた。

 だが、ペンで書いても文字は、光らない。

 ただ、黒い文字が、紙の上に乗っているだけで、もう送れなかった。

 魔法の手紙は、ただの便箋になってしまった。


 近況を交わすだけのつもりだった。

 無事を伝えて、様子を訊いて、それだけのはずだった。

 その、たった一度きりの通信が。

 最悪の報せを運んできたきり、連絡の糸をぷつりと断ってしまった。


「ゼンさん?」

 声に、はっと顔を上げる。

 いつの間にか、イルミナがそばに来ていた。素顔のまま、心配そうにこちらを覗き込んでいる。

「どうしたの。顔色が……」

「王国が」

 俺は、掠れた声で言った。

「戦争を、始めようとしてる。魔族領に攻め込むつもりだ」

 イルミナの表情が、強張った。

「それは……確かなの」

「仲間からの報せだ。間違いない。しかし……」

 俺は、もう光らなくなった便箋を、握りしめた。

「もう、返事ができない。通信は一往復きりだった。止めろとも、調べろとも、何ひとつ返せない。糸が切れた」


 焦りが、胸の中で渦を巻いた。

 知ってしまった。動きを知ってしまったのに、向こうへ手を伸ばす術がない。

 リーシャとミレナは王都にいる。戦争の準備が進む城の中に。彼女らに伝えなければならないことが、山ほどあるのに。

 俺の手元には、もう何も残っていない。


 その時だった。

 応接室の卓の上、雑多に積まれた紙の束に、イルミナの目が留まった。

 彼女は、その中から一枚を、何の気なしに手に取った。

「……ねえ、ゼンさん。これ」


 フローラ王女が、王城で俺に渡してくれた手記の中に挟んであった手紙だった。

 お守りのように、ずっと懐に入れていた。


「それが、どうかしたか」

 イルミナは、その紙を灯りに透かして、ふと、首をかしげた。

「これ、もう一枚あるじゃない」


 俺は、眉を寄せた。

「何を言ってる。それはフローラの手紙で……」


 言いかけて。

 言葉が、止まった。


 イルミナが透かしているのは、フローラの手紙だ。それは間違いない。

 だけど。

 その紙の——質感。

 今しがた、送った魔法の手紙と全く同じだった。


 心臓が、跳ねた。

 俺は、フローラの手紙を奪うように受け取って、灯りに透かした。

 間違いない。同じだ。フローラの手紙は、その紙で書かれていた。

 俺は、呆然と呟いた。

「これは、ただの紙じゃない。あの魔法の手紙と、同じだ。対になるもう一枚がフローラの手元にあるはずだ」


 フローラは、魔法の手紙だと知っていて書いたのだろうか?

 俺がいつか気が付くと想定し。

 俺は、震える手でペンを取った。

 フローラの置き手紙の、余白に今後やってほしいことを二つだけ書いた。あとは、向こうに丸投げとした。これはリーシャへの信頼もあるが、完璧な解決策をすぐに思いつかなかったからだ。

 最後に、新星商会のリーシャへ必ず届けてほしいと締めた。


 文字が、ふっと滲んだ。

 リーシャの魔法の手紙と同じように文字が光っていく。

 俺は、息を詰めて待った。届いてくれ。頼む。

 わずか五分ほど経って、紙の上に、新しい文字が滲み出してきた。

 丸みのある、優しい筆跡。

 フローラの、字だった。


 『——必ず、リーシャに伝えます』


 迷いのない一行だった。これで往復した。もう、ただの便箋に戻った。

 状況を察したんだろう。何が起きたのか、まだ何ひとつ説明していないのに。それでも、フローラは、たった一行で応えてくれた。

 断たれたはずの糸が。

 別の一本で、たしかに繋がり直した瞬間だった。

 俺は、その文字を見つめたまま、ふっと、肩の力を抜いた。

 まだ、終わっていない。

 届く先が、ある。



     ◇



 同じ頃、天幕の中。

 灯火がひとつ、机上の地図を黄色く照らしていた。

 エレーヌは、その机に向かい、一枚の魔法の手紙にペンを走らせていた。

 ゼクスに命じられた、戦果報告だった。彼女は、事実だけを並べようとした。


 魔王軍の幹部を、二名討った。だが、魔王本人は取り逃がした。

 そして、イリアは死亡、ガラン、ゼン、ノクトの三名が敵に寝返った。

 それだけだ。それだけを書けばいい。

 なのに、ペンを持つ手が、途中で何度も止まった。


 書けないことが、あまりにも多かった。

 魔族が、『センシュボウエイの掟』をかたくなに守りつづけていたこと。攻めてくる勇者を、ぎりぎりまで殺さずにいたこと。

 魔族領の街が、人間の街と何ら変わらず——いや、それ以上に穏やかで、子どもが笑い、市が立ち、ただ静かに暮らしていたこと。

 そして。

 灰になった二つの村のこと。あの日、自分が放った魔法で消えた、無数の命のこと。


 どれも、報告には書けなかった。

 書けば、これまで信じてきたものの、土台が崩れる気がした。

 ペン先が、白い紙の上で迷うように震えた。


 結局、彼女は、最初の三行だけを書いた。

 ——幹部二名、討伐。

 ——魔王、取り逃がし。

 ——イリアは殉職、ガラン、ゼン、ノクトは寝返った。

 それだけを、淡く光らせて、送った。


 返信は、すぐに来た。

 文字が紙の上に浮かび上がる。ゼクスの筆跡だった。

 短い一文。


 『幹部二名は評価する。速やかに帰還せよ』


 エレーヌは、しばらくその文字を見つめていた。

 評価する。帰還せよ。それだけだった。

 イリアのことも、寝返った三人のことも、何ひとつ、問われなかった。まるで、すべてが些末なことであるかのように。


 命令の文面が、彼女の喉の奥に小さな棘をひとつ残した。

 飲み込もうとしても消えない。

 いつまでも、そこに刺さったままだった。

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