過去にさかのぼって過去の自分を救う (第70話)
ミナは、かねてから気になっていたエカーリアのパニック障害を治す機会を得た。
エカーリアが抱えるガラスの心臓はいつ作られたのか?
初めて読む方へ。下に用語集がついています。
ミナはこうなることを予想していた。
エカーリアが心の中に恐怖の体験を抑え込んでいることを知っていた。
だから、それを解放したのである。
エカーリアをしばらく泣かせながら、ミナは自分の癒しを終えた。これはもう時間がかからないのだ。
ミナはこういう心のコントロールを10年前から教わっていた。
難しい挑戦をすれば、当然困難はやってくる。叱責されることも、反対者に攻撃されることもある。
だから、それを癒す方法を知るのは必須なのだ。
これから、エカーリアの心の不安を取り除く作業をする。
「エカーリア様。心の中の小さな自分はとても怖がっているのですよね。では、その子がそれを初めて感じた場面に戻りましょう。心の中の時計が逆戻りします。そして、そのときのことが見えてきます」
エカーリアは、膝に置いたハンカチを握りしめた。
「あのとき…。あのときです。ずっと前に、お城の中で混乱があって…。お母様が…お母様が…」
「それは何歳のときですか?」
「そ、それはわたくしが…6歳のときです」
それは今から14年前のことだ。
「そのとき、何がありましたか?」
「お母様が…わたくしを置いて、いなくなってしまわれたのです。そのとき、廊下では兵たちがドタバタと走る音がして、怒鳴る声、叫ぶ声。
…敵が来たのだと思いますけど、わたくしは怖くてリラにしがみつきました…。暗い部屋で…。お母様は来てくださらなかったのです。お母様は……そのとき、お兄様と一緒にどこかに逃れたのです…」
エカーリアは声が出ないほど震えて泣いた。
「そうだったのですね…。そのとき、どんな気持ちがしたのですか?」
「お母様はわたくしを置いていった。お母様はお兄様の方が大切なんだわ…。わたくしは守ってもらえない。ひどい。わたくしは見捨てられたのだわ。わたくしはいらない子なのだわ…」
ミナはかがみ込んて震えるエカーリアの背中をさする。
「そうなのですね…。悲しかったのですね…。つらかったですね…」
そう言うと、エカーリアは声を上げて泣き出した。
「いいですよ。思い切り泣いてください。ここにはほかに誰もいません。もう我慢しなくてもよいのです」
エカーリアは泣き続けた。だが、発作は起きない。そのときの小さな自分は、やっとわかってくれる人をみつけたのだ。
ミナはしばらく背中をさすりながら、エカーリアを見守った。30分くらいして、エカーリアはやっと泣くのをやめた。ひくひくとひきつるが、もう声は出なくなった。
ミナが続ける。
「小さな自分は、ここでずっと待っていたのですよ。大きくなったエカーリア様が助けてくれることを。もう一度この子を抱きしめてあげてくださいね」
声が出ないエカーリアは、うつむいたまま、頷いた。
それを見て、ミナが再び続ける。
「そして、小さな自分にこう言ってあげます。わたくしがエカーリア様の代わりに言いますので、聞いていてくださいね。
『大丈夫。もう大丈夫よ。あなたを助けに来たから。もう大丈夫よ。安心してね。あなたを守るのは大きくなったこの私よ。大丈夫』…」
ミナはしばらくこの言葉を続けた。すると、エカーリアの身体が静まり、静かになる。
そして、エカーリアは小さな声で言った。
「これが、わたくしの心の中のガラスの心臓なのですね。これがあるから、わたくしはいつでも怖かったのですね」
「そうですわ。それは、この小さな自分が助けを求めていたからなのです。現在の自分に気づいてほしいからなのです」
「今のわたくしが? この時の自分に気づいてほしい…ということですか?」
「そうです。この二人は、同じ人物のようでいて、違う二人なのです」
「そうなのですね。…よくわかっていませんでした」
エカーリアは少し落ち着いたようだった。
しかし、これで終わりではないのだ。
「エカーリア様は、お母様が自分を置いていったと思われたのですよね? では、お母様はそのとき、どこに行っていらっしゃったのかを見に行きましょう」
「え? そんなことができるのですか?」
「ええ、できます。目を閉じたままでいてくださいね。この出来事の少し前に戻りましょう。…場面が変わります」
ミナがそう言うと、エカーリアの脳裏に浮かぶ絵が変わっていく。
「お父様が、お母様とわたくしに何かを言っています。何か危ないことが起きたみたいです。
それで、お母様はわたくしをリラに抱かせて……いつもは入ったことのない部屋に入りました…。よくわかりません。ここはどこかしら?」
「お母様はどんな表情をしていらっしゃいますか?」
「怯えた表情です。お母様も怖いんだわ」
「では、お母様の身体の中に入ってみましょう。自分を意識だけの存在にして、お母様の中に背中から入ります。そして、お母様の目で、今何が起きているのかを見てください」
「今、お城の中に賊が入り込んできました。領主一家を暗殺しようとしています。それで、カリディオン様が逃げるようにおっしゃったので、幼いエカーリアを連れて、これから隠し部屋に入るのです。
……リラに後は守らせて、わたくしは領主様のところに戻ります。そして、一緒に立ち向かわなくてはなりません。
小さなアンドリオンも戦おうとしています。まだ10歳だというのに、父上を助けるのだと言っています。わたくしも魔道具を持ちだしています。わたくしは戦います…」
「あなたはエカーリア様を見捨てたのではないのですね?」
「もちろんです。大切な子を守るためにわたくしも戦うのです…」
そう言いながら、エカーリアは再び泣いた。両手で顔をおおい、そのまま泣き続けた。
ミナはそのまましばらく時間が過ぎるのを待った。
そして、エカーリアがつぶやいた。
「お母様はわたくしを見捨てたのではなかった…。お母様はお兄様だけが大切なのではなかった…」
「そうですね」
ミナはまた背中をさすった。
「またお母様になって、目の前の小さなエカーリア様を見てください。この小さな子がこう言っているんです。聞いてくださいね。
『お母様。わたくしはこんな小さな部屋に閉じ込められて、お母様に来ていただけないし、わたくしはお母様に見捨てられたのだと思ったのです』
すると、それを聞いてお母様はなんとおっしゃいますか?」
エカーリアが母親になったまま、答える。
「まあ、何を言うのかしら。わたくしの愛しい子。あなたを…守るために…危険の中へ飛び込んだというのに…。わたくしは…あなたをとても愛しているのに…」
そこまで言うと、エカーリアは唸るように声を上げた。
「ううううう…。お母様……。ごめんなさい。わたくしが勘違いをして…。勝手にお母様を…。お兄様もごめんなさい…。お兄様が戦っているのに、私はお兄様を悪く思っていました…。ご、ごめんなさい…」
エカーリアは嗚咽しながら、謝罪の言葉を続けた。そう言わずにはいられなかった。
「もう大丈夫ですわ。小さかったから、状況がよくわからないまま、心が凍り付いたのですよね。誰も責めたりしません。ただ、お母様やお父様、お兄様の愛情を受け取ればいいのですわ」
そう言って、ミナは背中をさすった。
「は、はい…。これからはそうします…。――お母様、本当にごめんなさい――」
こうして、エカーリアの凍り付いた心は解け始め、真実の愛で満たされたのだった。
いつもお読みいただき、ありがとうございます!
次回、アンドリオンに「今すぐ金を作れ」と言われたミナが考えた策は…。
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用語集
ミナ … MBAを取得したあと、異世界に来て、自由港を作り上げようとしている。
エカーリア … アンドリオンの妹でパニック障害を持つ
アンドリオン … ミナが住むブリア領の若き領主
リラ … 侍女
カリディオン … 前ブリア領主でエカーリアの父




