侵略されない自由港を目指す (第61、62話)
ミナは、行政顧問として、ブリア領を自由都市、ブリアにあるコブルー港を自由港とするために、ブリア領主アンドリオンに請われて村娘から官僚となった。
その自由港とは…?
ヴェネツィアはもともと、ゲルマン民族が大移動してきた四世紀から六世紀のあいだに、その侵略から逃れようとした住民が、そのころ人の住まない潟であったヴェネツィアの地に移住したのが始まりだ。
そして、そこから地の利を生かした海洋貿易をはじめ、商人たちが巨大な力を持つ海洋都市国家となった。
ヴェネツィアは小さな都市だが、商人の力と海軍の力は一国を凌駕するほどの力を持ち、他国と堂々と渡り合ったのである。
「ひとつの街がそのような力を持てるなんて、信じられませんわ」
とエカーリアは言った。エカーリアは本が好きなだけあり、歴史や政治については知識があった。
「ヴェネツィアの都市機能のかなめは税制なのです。これは、現代においても、商人にとって大きな魅力となります」
ミナはテーブルの上で指を組み、ゆっくりと言葉を選びながら話した。
「多くの国では、商人が利益を上げるたびに重い税が課されます。ところが自由都市では、税を極限まで軽くするのです。たとえば利益の一割だけ。あるいは最初の数年は免税にすることもあります」
「そ、それでは国の収入が減ってしまうのでは?」
エカーリアが心配そうに尋ねる。
「いいえ。逆なのです」
ミナは微笑んだ。
「税が軽ければ商人が集まります。商人が増えれば取引が増え、街が活気づきます。取引量が膨らめば、一割でも莫大な税収になるのです。重税で人を追い払うより、軽税で人を呼び込む方が、結果として国も豊かになります」
エカーリアは目を見開いた。
「なるほど……量で勝負するのですね」
「その通りです。人が集まれば、税以外のお金が集まるのですわ」
ミナは頷いた。ミナはエカーリアの反応が聡明な知恵に満ちていることに気づいた。
「そして次に必要なのは、契約を絶対に守らせる仕組みです」
「契約、ですか?」
「ええ。自由都市では身分や出自ではなく、約束がすべてを支配します。貴族であろうと商人であろうと、契約を破れば即座に罰を受けます。財産没収、追放、場合によっては牢獄です」
ミナの声は静かだったが、そこには揺るぎない強さがあった。
「これにより、商人たちは安心して大きな取引ができるようになります。裏切りを恐れず、遠方からでも資金を運び込めるのです」
「安心……それが富を呼ぶのですね」
エカーリアは小さくつぶやいた。
「そう。さらに治安です」
ミナは続ける。
「自由都市では暴力と詐欺を最も重い罪とします。市場での争いは即座に裁かれ、私兵の持ち込みは禁止。武力ではなく法が街を守るのです」
「まあ。うわさに聞く王都よりも厳しいくらいですのね」
「だからこそ、人は安心して集まるのです」
ミナはニッコリしながら、少し身を乗り出した。
「税が軽く、契約が守られ、命と財産が守られる。この三つがそろえば、人も金も自然に流れ込みます」
エカーリアは息をのんだ。
「それで街が育つのですね……」
「ええ。そして最後に必要なのは、誰にでも開かれていることです」
「身分を問わず、職業を問わず、能力と努力だけで成功できる場所にします。農民の子でも商人になれる。元傭兵でも職人になれる。過去ではなく未来で評価される街――それが自由都市です」
しばし沈黙が落ちた。
やがてエカーリアは、胸に手を当てて言った。
「まるで、新しい世界をつくるようですわ」
「そうです。おもしろそうでしょう?」
ミナは静かにうなずいた。
「自由都市とは、建物ではなく“仕組み”でできたひとつの国なのです」
エカーリアはミナの顔が未来を作り上げようとする興奮に満ちていることに気づいた。
しばらくその笑顔を見ていたエカーリアは、ボソリと言った。
「わたくしもミナさんのようなお仕事をしてみたい…」
ミナは思わず笑った。
「ええ! エカーリア様は知識をお持ちですし、あの優秀なお兄様の妹君でいらっしゃるのですから、絶対に才能がおありですわ!」
「そ、そうでしょうか…」
「ええ。…でも、まずは心の中の恐れを取り除かなければいけませんね。それがなくなればエカーリア様もこの大事業に参画されることでしょう」
「え? この不安な気持ちがなくなることがあるのですか?」
「なくなりますよ。楽しみにお待ちください。私はその方法を存じております。今は心の中にいつ壊れるかもしれないガラスの心臓を抱えている状態です。でも、ガラスの心臓がなくなったらどうでしょうか? エカーリア様の本当の力が出せるようになりますよ。
ですから、『今できない』と感じることは、将来も『できない』ということではないのです。未来をどう考えるかは自由なのですよ」
「そ、そうなのですね? 未来をどう考えるかは自由…」
「そうです。常に『できるとしたら?』と未来を考えるのです」
「は、はい!」
エカーリアは輝く笑顔をミナに見せた。
ミナが王都からブリアに戻ってきてから一週間が過ぎた。
すでにバンリオルもブリアに戻ってきたある日、王都から1000人の国王軍と共に国王の使者である内務大臣ダーグラントがタンブリーに入ってきた。
実質、王太子アル―ストの使者である。すでに先ぶれは来ているので驚くことはなかったが、領主を断罪するためであるのは明白なので、領主一族は青ざめていた。
しかし、ダーグラントから言い渡されたのは領主の引退とアンドリオンの爵位継承、そしてブリア領主に課される自由都市開発の命であった。
領主による王太子暗殺未遂は内密とされ、表向きは新体制の促進のためということで、国王軍の兵士の数も使者の護衛のためという説明であったことから、領民は何も気づかず、世代交代が行われることとなった。
また、ダーグラントの圧力により、アンドリオンを暗殺しようとしたシューマイル子爵も許され、その娘が子爵を継ぐことになり、捕虜の8人も解放された。内部の裏切りが公になるとブリア領が混乱を起こすことから、アンドリオンも了承した。
同様にエレミアの鉱山を売却しようとしたエレミア領主も密かに断罪され、鉱山の権利は王太子が持ち、それをエレミアの新領主が運営することとなった。これは、いずれブリアの自由都市が採掘権を持つための前段階である。
レオストも3カ月の幽閉となり、その後は王都側の責任者として、自由都市開発に関わることが約束された。
第62話 カイルの初任務
ミナと王都から戻った後、カイルはとりあえずミナと共に村に戻った。いくらブリアからのお咎めがないとは言え、さすがにもう騎士団には戻れないからだ。
カイルは魔物を狩る冒険者には戻りたくなかった。ミナと添い遂げるためには、地位が必要だと理解した。ミナの周りにはバンリオルやアンドリオンがいる。それと並び立つのは無理かもしれない。
しかし、少なくとも同じ世界にいなければ、ミナにふさわしい男になることはできないだろうと思った。
だから、このままバンリオルのところで仕事をすることを選んだ。
翌日、カイルはバンリオルの私兵たちが泊まる寮の門をくぐった。
そこはバンリオル邸のある豪邸街ではないが、隣接する地域だ。バンリオルは諜報員のための宿舎をタンブリーに持っており、カイルはそこで暮らすことになった。城内ではないが、ミナに会おうと思えばすぐに会える距離だった。
「カイルだな。旦那様から話は聞いている。元冒険者だな。俺はタンブリーの護衛隊長、ミゼロだ。よろしくな」
40代のミゼロという私兵の1人が手を伸ばしてきた。
「よろしくお願いします」
カイルは握手する。
「私兵はだいたい、あちこちを移動する。だから、バンリオルはあちこちにこんな寮を持っているんだ。…あんたはエルノー出身らしいな。本拠はここになるだろう。6号室を使え」
「はい」
村から持ってきたある程度の荷物を部屋に置く。少なくとも、騎士団の寮よりは長居することになるだろうと思った。
ふとラフカーンを思い出す。
(ラフカーン…)
カイルの目標はラフカーンだ。あの堂々たる強者のオーラ。誰も寄せ付けない剣の腕。それでいて、周りを包み込む温かさがある。ラフカーンを見た者は誰でも魅せられる。
フライアがラフカーンを慕うのも無理からぬことだろう。あんな男になりたいとカイルは思った。一度も直接訓練を受けられなかったのは残念だが、自分にはとても届かない高みを見せてくれただけでも、価値があった。
自分には身分も財産もないが、もしラフカーンのような男になれれば、ミナに堂々と求婚できるような気がした。
そのフライアはまだ王都にいるが、いずれはまた組んで、仕事をするのだろう。
いちいちケンカになりそうなふたりだが、なぜか仕事では相性がよさそうな気がした。
* * *
それから1か月半経ち、冬の終わりの頃。
バンリオルは報告書の束を閉じると、静かに息を吐いた。
「……これは戦争の準備だ」
彼のタンブリーの屋敷の執務室にはカイルとフライアが呼ばれていた。
「この1か月で、グリダッカルの鉄材の取引量が通常の5倍。干し肉と穀物の価格が3倍。馬の飼料が消えた」
バンリオルの指が地図を叩く。それはグリダッカルの南にある国、クリアラーテの交易情報だ。バンリオルはグリダッカルにこそ出入りできないが、世界各国に諜報網があった。その情報の集積所がコブルーであり、タンブリーなのだ。
「さらに、アラゴンキアのこのあたりの山越え街道沿いの倉庫がすべて借り切られている」
地図の上で指を動かす。
「つまり、これはグリダッカルが侵攻準備を始めたということだ」
「狙いは…ブリア?」
カイルが尋ねた。バンリオルは首を縦に振る。
「おそらくな。物資はグリダッカルの西に集まってきている」
フライアが舌打ちした。
「あの国、懲りないわね」
「今回はかなり本気だ」
バンリオルは低く言った。
「なにしろ、タンブリーの城を急襲する作戦、アンドリオン様を暗殺する作戦も失敗している。それに加えて密使の裏切りだ。割譲案も潰えた。小細工では無理だと判断したのだろう」
そして、報告書の数字を見ている。
「兵の数より補給が異常だ。自国だけでは足りず、隣国のクリアラーテからも食料を買っているからな。大軍を長期運用するつもりだろう」
カイルの拳が自然と握られる。
カイルが11歳の時に、グリダッカルがブリアに侵攻してきた。そのときは、父も農民兵の1人として出兵した。エルノーの村全体に緊張が走ったので、まだ子供だったカイルも覚えていた。
「止めるんですね?」
「ああ。今ならば、兵が集結する前に止められる」
バンリオルは目に力を込めた。
「いいか、カイル。兵を動かすには、まず補給線を確保する。だから、アラゴンキア内にやつらがこっそり作った補給倉庫を探るんだ。建物は動かないからな。今のところ、ここと、ここと、ここの三か所と見られる」
バンリオルは地図上の点をひとつひとつ指さしながら、最後にグリダッカル領の橋を指さした。カイルに情報の読み方を教えて教育しているのだ。
「そして、ここに至るグリダッカルからの道はここになる。その途中にあるのが谷を渡る橋。これをつぶせば軍はアラゴンキアにもうしばらく来れん」
その橋は国境線付近にある。
「つまり、ここの橋を落とせと?」
それを聞いてフライアが眉をしかめる。
「ここは深い谷よ。簡単な仕事じゃないわね」
「簡単ではないが、確実だ。これで少なくとも1年は時間が稼げる。ミナさんが進めている自由都市開発には、1年は必要だ。領地が侵略戦争に巻き込まれて無駄な時間を費やすわけにはいかん」
カイルはこれがミナの助けになるということを改めて認識した。
バンリオルは二人を見る。
「やれるか?」
カイルは即答した。
「やります」
諜報員となったカイル。侵略者を自分が止められるのか?
第二部、本格的に始まります!
いつも、読んでくださって、ありがとうございます!




