第3話 タンブリーの市場
今日からやっと、経済の話。
中世では、野菜は農家が直接売りに行く。歩きだから、市場まで往復4時間。
今みたいに、農協がないから…大変です。
農協って、実はギルドみたいなもの。それがない世界って…。
ミナがカイルの家で暮らし始めて二週間が過ぎた。
前のように化粧もしていなければ、アクセサリーも身につけていない。ヨーカにもらった色褪せたお古の長いスカートにブラウス、肩掛け。どこから見ても普通の村娘のはずだった。
とはいえ、整った顔立ちには気品があった。やわらかい髪の毛をゆるく後ろでまとめ、くるりと巻き込んで止めると、ふんわり膨らんだこげ茶色の髪の毛が白い頬を丸く縁取り、どこか貴族のお嬢様的な雰囲気を醸し出していた。
ヨーカはとてもさっぱりとした性格の女性でいわゆる姉御肌で頼りになった。実質、この家の家長的存在だった。
ヨーカともう一人の主婦マティアは家事を担当していた。ヨーカには二歳の娘エンマ、マティアには一歳の娘パリアがいるので忙しい。彼女たちの手伝いがミナの仕事だった。
ヨーカは夜になると針仕事もしていた。タンブリーにある衣料品店から仕事を請け負っている。ほとんどの庶民は古着を買うのだが、着た服を売ることもある。
買い取った古着に穴が開いていると修復しなければいけないし、布に戻してまったく別物に作り替えることもある。金持ちもデザインが良ければ古着でも買ってくれるので、リフォームは大切なのだ。その下請けの仕事をしているので、ヨーカはミナの服にかなり興味を持っていたのだ。
ミナは今まで来ていたスーツはもういらないので、それをヨーカにあげて、自由にリフォームをしてもらった。ヨーカはそれをお金に変えていた。
「ねえ、ミナ。あの服ね、リフォームして売ったら、なんと100ポルで引き取ってもらえた!」
100ポルというのは、村人の半月分の収入くらいだ。日本風に言うと、10万円くらいで売れたということだろう。
「すごく珍しい生地だったのと、色が明るくて美しかったし、ボタンも珍しいものだったでしょ? 上着に刺しゅうして作り替えたら、お金持ちのお嬢さんが高い値段で買ってくれたみたいで、店も喜んでいたわ」
「それはよかった! ヨーカのリフォームの腕がよかったのね!」
ミナとヨーカはもう友達のような口調で話し合う仲になっていた。もともとのミナの年齢はヨーカと同じだ。ミナとしては、あれが家の収入になればうれしい。
ミナも家事の手伝いだけでは不十分で、ちゃんと仕事を持って自分の食い扶持くらいは稼がなければならない。スーツがとりあえず二か月分のミナの食費分くらいの価値を生み出してくれたのだから、二か月の間に仕事をみつけなければならないと思った。
この家では、みんながそれぞれ仕事をしている。
カイルは冒険者。カイルの弟レイは、畑の野菜やカイルの獲ってきた魔物の素材をタンブリーの街まで行って売るのが仕事だった。
畑仕事をしているのはカイルの母ゾーラと叔母クリムラ、そしてその息子のダンだ。家事と育児はヨーカと、ダンの嫁のマティア。ヨーカの夫のドナオンは村役場で働いている。
カイルはだいたい冒険か訓練に出ているので、夜に帰ってくるか、ときどき帰ってこない。一泊2日で狩りに出ているのだ。獲ってくるものは魔物の素材が主体だが、動物の肉を持ってくることもあった。
素材は納屋で加工する。なめした皮や魔石は、月に一度、まとめてタンブリーの街でレイが売るのだった。
この家が豊かなのは、カイルの収入によるところが大きいらしい。魔物狩りは結構収入になるのだ。
ある日ミナは一人で遅い食事をするカイルに料理を出しながら、話し相手になっていた。
「カイル、怪我をしてる。薬草とかつけたの?」
指にいくつかの擦り傷をみつけた。体にも怪我をしていないだろうかと気になる。
「こんなの、怪我って言わない」
「でも…」
カイルは野菜たっぷりのスープを頬張りながら答える。
「ユーリカ油はつけてるから…」
「ユーリカ油?」
「そう。この香り」
カイルは服の胸をつまんで、パタパタとはたいた。すると、ミントのような香りがした。そう言えば、最初の日にカイルが納屋から戻ってきたときに気づいた香りだ。
「いい香りがする。それがユーリカ油なの?」
「そう。あれだよ」
カイルは食堂の天井からぶら下げられているドライフラワーを指さした。
「うちの畑に山ほど生えてる。虫よけにもなるし、匂い消しにもなる。消毒にもなるし、小さな傷ならすぐ治る。狩りから帰ったら必ずユーリカ油で身体を洗うようにヨーカにうるさく言われてる」
後半、カイルはちょっとため息交じりに言った。彼にとって、ヨーカは口うるさい存在らしかった。8歳年上だから、母親代わりに面倒をみてもらったに違いない。
ミナは、カイルの服がいつも清潔なのに気づいていた。新しいわけでも、高価なわけでもない。それでも、どこか安心する。
ちゃんと洗われ、きちんと干され、丁寧に扱われている服だ。それはユーリカ油を使って、自分で洗っているのだと言う。自分の怪我の手当だけではなく、魔物の内臓を扱うので、どんな病気が移るかもしれないからと、かなり注意をしていた。
(それって、化粧品にもなるかな?)
ミナはユーリカ油に興味を持った。この世界に来てから、化粧品がないのだ。基礎化粧くらいしたかった。
「ねえ、薬草の採取とか、しないの?」
「たまにするよ。依頼されたらね」
「ふうん。依頼って、ギルドとかで?」
ミナは話のついでに聞いたつもりだったが、カイルはスプーンを持つ手を止めて、ミナの顔をみつめた。
「ギルド? なにそれ」
「えっ…?」
ミナは予想外の答えが返ってきて、思考が止まってしまった。
「ギルドよ。ギルド」
「だから、ギルドってなに?」
「えっ、ギルド、ないの…?」
ミナはカイルがギルドを知らない、ということにやっと気づいた。
(あれ? ここは異世界で、カイルは冒険者だから…。でも、ギルドはない?)
ミナは混乱し始めた。
「だから、ギルドってなにさ?」
カイルはテーブルに頬杖をついて、ミナの顔を覗き込むように見た。まだ濡れている黒い髪が揺れて、黒い大きな瞳があらわになる。
魔物と対峙する彼の眼には、魔力に満ちた目力があり、近くで覗き込まれると動けなくなるのではないかと思うほどだ。
「ほら、その…。冒険者たちを統括して、仕事を依頼したり、素材を買い取ったりするところ。それがギルド」
別の名前なのかなと思ったミナは、詳しく説明してみた。
「ないよ、そんなもの」
「え、本当にないの? この村にはないってこと?」
「いや、この国にはどこにもないと思う。…たぶん」
カイルは首を振って、またスープを食べ始めた。
「えっと…。じゃあ、依頼ってだれがするの?」
「うーん…。薬草だったら治癒師とか…。教会とか。貴族のときもあるよ」
ミナは驚いた。冒険者がいる世界なら、ギルドがあるのは当たり前だと思っていた。しかし、この世界にはギルドがなく、まだ個人での依頼にとどまっているということだ。
「だったら、カイルに依頼しようと思っても、カイルがいないことがあるでしょ? そしたら、依頼する人はどうするの?」
「そりゃ、別の冒険者のところにいくだろ。…たぶん」
(それって、めちゃめちゃ効率悪い…)
ミナはかなり失望した。
この世界にはまだギルドがないらしい。
カイルは冒険者だが、依頼を受けて仕事をするよりも、自分で魔物を狩りに行くことのほうが多いのはそのためだったのか、とミナはやっと理解した。
二週間しかまだこの世界を知らないが、物流が悪いのは地方の小さな村だからだと思っていた。村では食べ物を物々交換していた。
ミナが何かの不便さに気づいても、それがこの村だからなのか、この世界そのものの未熟さなのかがわかっていなかった。街ではもっと効率よく経済活動が行われていると思い込んでいたのだ。
そうでもないらしい、ということがわかった。
前世でMBAを取得したミナとしては、経済の非効率性は見逃せなかった。
(この世界には、物流のインフラがないんだ!)
それはミナにとって、イライラすることだった。
レイが隔日で行っているタンブリーの街の市場とやらに行ってみたくなった。
「ねえ、カイル。私、街の市場にいきたいの。レイについていってもいいかな?」
「いいんじゃないか? レイに言っておくよ」
カイルはミナの保護者のようにふるまってくれる。それがありがたかった。
翌々日、ミナはレイと市場に行くことにした。タンブリーまでは徒歩2時間もかかるのだ! 夜明けの薄明りの時間から準備する。
ミナはヨーカからサンダルをもらっていた。もうパンプスで歩くのはこりごりだ。
レイは馬小屋から一頭の馬を出し、物置にある荷車を馬に結びつけた。荷車に昨日収穫した野菜の詰まった木箱やカイルの獲った素材を積んで歩き出す。腰には短剣をさしている。護身用なのだろう。
それから、村のいくつかの家をまわって、庭先に出してある木箱を載せる。これらは委託販売で、売りに行く手間を省きたい家がレイに手間賃を払って販売を任せるのだ。
レイはまだ17歳の育ちざかりだ。兄とは違い、体つきはまだ細く、やんちゃっぽい少年だ。ストレートの黒髪のカイルと違って、くせのある明るい茶色の髪の毛がまだ子供っぽさを感じさせる。
明るいグレーの目が陽気な感じを醸し出す。夕食のときにはいつも子供たちと一緒にしゃべったり笑ったりしているせいもあるのだろう。ミナはレイと二人きりで話したことはなかった。
「あの…、レイ。これだけの野菜、1日で売れるの?」
「う~ん、売れるかもしれないし、売れないかもしれない」
「あ、そう…」
ミナは何も言えなかった。レイは一人で市場に行くようになって1年半だと言う。それまではマティアと一緒に行っていたのだが、赤ん坊が生まれたのでレイが一人でいくようになった。
「売れなかったら、持って帰るの?」
「う~ん…。それは面倒だから、捨てて帰ることもあるよ」
「ええ?! 捨てて帰る?!」
「まあ、量に依るね。アハハ」
「そうなんだ…」
ミナはなんとも言えなかった。
(もったいない…。なんてこと…)
流通システムが整っていない世界なのだから仕方ないのだろう。レイにとっては、売れようが捨てようが、たいしたことではないらしい。運任せなのだろう。
自分の常識なんて、ここでは通用しない。とりあえず、市場とやらを知らないことには…。
タンブリーの街はミナの想像以上に大きかった。そもそも、日本にはこのような城塞都市はないし、アメリカは論外だ。学生の頃、遊びに行ったフランスのカルカッソンヌで、城壁に囲まれた街をみたことがある。しかし、おそらくそれよりも大きな城壁だと思われた。
レイは、城門の検問で顔パスだった。
「ちわっす~」と笑顔で右手を上げて、番兵に挨拶する。ミナはその連れとして通された。
「そうそう。売れ残りを番兵さんたちにあげることもあるね。そしたら、喜んでもらえるんだ」とレイはミナに楽しそうに言った。
「ふうん…」
ミナは少しジト目でレイを見る。末っ子は人の機嫌を取るのがうまいのだ。ミナ自身は第一子長女なので、そういう末っ子の調子のよさは、「要領のいい奴め」と少し否定的なのだ。
とはいえ、それでミナがお咎めもなくスムーズに検問所を通れているのだから、レイの調子のよさは才能だと思っておこう。
(うん、これは才能だな…)
街の建物は村と違って、石づくりやレンガ造りだった。市場はどの街でもだいたい街の中心の教会のそばにある。
異世界の教会が何をあがめているのか全く知らないので、興味はないのだが、とりあえず巨大なドームを持つ荘厳な教会を通り過ぎ、中央市場に着いた。小さな市場はほかにもあるが、ここが一番大きいのだ。
市場は思っていたよりも雑然としていた。石畳の広場に、通路を挟んで二列に並んでつらなる露店。屋根のある露店もあれば、木箱を積み上げただけのところもある。野菜、肉、乳製品、台所器具などの日用品、古着、袋物、帽子、ナイフ、ジャムか何かの漬け込んだものや油。ユーリカ油や簡単な飲み薬もあった。だが、化粧品の類はないようだ。
レイは通りの端近くの露店に入り、まだ商品を並べる作業中のそこの主人に挨拶した。
「おはよっス! だんな!」
「おう」
いつものことなので、改めて挨拶の必要もなさそうで、30代後半の髭づらの男はレイのほうを見なかった。だが、レイの後ろにいるミナに気づいて、振り返った。
「お? お前の連れか?」
「あ、これはミナって言うんだ。今日は一緒に働くから」
「おはようございます。ミナと言います。レイのところでお世話になっています。よろしくお願いします」
ミナはちょこんと首を傾けて挨拶した。
「へ~。レイの嫁さん候補ってことか?」
男は右手で髭もじゃの顎を掴んで、ミナを上から下まで大きく頭を動かしながら眺めた。
「違うよ。兄貴の嫁さん候補だよ」
「えっ?!」
声を上げたのはミナだ。とんでもない会話がされているので、ミナは驚いた。そんなことになっていたとは思いもしなかった。
「え、いや、あの、その…」
ここで反論すべきなのか、黙っていたほうがいいのか、ミナは判断できず口ごもった。目が泳ぐ。
しかし、レイも男もそんな話題はどうでも良いのか、野菜を並べ始めたので、ミナはあわてて手伝い始めた。
(あ、ただの会話で、ホントかどうかはどうでもいいんだ…)
ミナはちょっと安心し、半分失望したような気分だった。
レイによると、この露店の主人イーロイは、レイが持ってくる野菜を店の一部に置かせてくれるらしい。もちろん、その分の場所代は払うことになる。
そもそも、この市場に店を出すにはかなりの場所代がかかるし、市場の管理者である行政部への登録も必要だ。布地を広げただけで店を開くのは、基本的に禁止だ。
そういう店があれば、役人が飛んできて、罰金を取られる。登録者でなければ、さらに罰せられる。
だから、イーロイの店に間借りする方がよほど安心で安いのだ。
この市場には露店のオーナーと、その間借り人の両方がいるらしかった。
ミナは、まわりを見回してため息をつく。
(今まで扱っていた商品と、全然違う。知らない野菜。知らない果物…。私の常識、まったく役に立たないってこと?)
いったい、この世界の経済がどうなっているのか、ミナは想像もつかなかった。
次回は、市場でミナの売り子体験。MBA脳が少しずつ動き出します。
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