第2話 タンブリーの市場
カリフォルニアで働いたミナは、異世界に転生。
MBAの知識に自信があったのに、インフラのない世界で、いったい何ができるの?!
でも、なんとか挑戦してみます。
ミナはカイルの家で暮らし始めた。
カイルの家には全部で13人が住んでいた。
カイルの8歳上の姉、ヨーカはミナをさらわれた貴族の娘だと思い、かわいそうに思ったのか、よく世話をしてくれた。
最初は恐ろしく見えたカイルも、家にいるときはただの若者だった。ときどき畑に出て、畑仕事をしていたり、納屋で何かしていたりする。
そして、何かとミナを気遣ってくれていた。
生活費の足しにと、ミナは自分の着ている服を差し出した。どうせ、スカートが短すぎて、このままでは着られない。
ヨーカはこれを作り替えて、業者に売って金にした。色の美しい珍しい生地だったので、1か月分のミナの食費くらいにはなったが、ミナはなんとかして、その1か月の間に仕事をみつけようと思った。
レイはカイルの3歳下の弟で、市場に野菜を売りに行っていた。エルノー村から一番近い大きな街、タンブリーの市場に野菜を売りに行くのだ。一番近いと言っても、徒歩2時間もかかる。
ミナはタンブリーで仕事が見つかればと期待して、レイと一緒に市場に行くことにした。
夜明けの薄明りの時間から準備する。
レイは馬小屋から一頭の馬を出し、物置にある荷車を馬に結びつけた。荷車に昨日収穫した野菜の詰まった木箱を載せる。
それから、村のいくつかの家をまわって、庭先に出してある木箱を載せる。これらは委託販売で、売りに行く手間を省きたい家がレイに手間賃を払って販売を任せるのだ。
レイはまだ17歳の育ちざかりだ。兄のカイルとは違い、体つきはまだ細く、やんちゃっぽい青年だ。夕食のときにはいつも子供たちと一緒にしゃべったり笑ったりしているせいもあるのだろう。
ミナはレイと二人きりで話したことはなかった。
「あの…、レイ。これだけの野菜、1日で売れるの?」
「う~ん、売れるかもしれないし、売れないかもしれない」
「あ、そう…」
ミナは何も言えなかった。
「売れなかったら、持って帰るの?」
「う~ん…。それは面倒だから、捨てて帰ることもあるよ」
「ええ?! 捨てて帰る?!」
「まあ、量に依るね。アハハ」
「そうなんだ…」
ミナはなんとも言えなかった。
(もったいない…。なんてこと…)
MBAを学んできたミナには、この非効率性が耐えられなかった。
流通システムが整っていない世界なのだから仕方ないのだろう。
レイにとっては、売れようが捨てようが、たいしたことではないらしい。運任せなのだろう。
(ああ…、私、ここで生きていけるのかな…)
今まで学んできたことが、まったく意味をなさない。
とりあえず、市場とやらを知らないことには…。
タンブリーの街はミナの想像以上に大きかった。
市場は思っていたよりも雑然としていた。
石畳の広場に、通路を挟んで二列に並んでつらなる露店。
屋根のある露店もあれば、木箱を積み上げただけのところもある。
野菜、肉、乳製品、台所器具などの日用品、古着、袋物、帽子、ナイフ、ジャムか何かの漬け込んだものや油。塗り薬や簡単な飲み薬もあった。
だが、ミナが欲しかった化粧品の類はないようだ。
レイは通りの端近くの露店に入り、まだ商品を並べる作業中のそこの主人に挨拶した。
「おはよっス! だんな!」
「おう」
いつものことなので、改めて挨拶の必要もなさそうで、30代後半の髭づらの男はレイのほうを見なかった。だが、レイの後ろにいるミナに気づいて、振り返った。
「お? お前の連れか?」
「あ、これはミナって言うんだ。今日は一緒に働くから」
「おはようございます。ミナと言います。レイのところでお世話になっています。よろしくお願いします」
ミナはちょこんと首を傾けて挨拶した。
レイによると、この露店の主人イーロイは、レイが持ってくる野菜を店の一部に置かせてくれるらしい。もちろん、その分の場所代は払うことになる。
ミナは、まわりを見回してため息をつく。
(MABが役に立たないどころじゃない。今まで扱っていた商品と、全然違う。知らない野菜。知らない果物…。私の常識、まったく役に立たないってこと?)
いったい、この世界の経済がどうなっているのか、ミナは想像もつかなかった。
朝8時頃になると、だんだんと客がやってきた。商品を並べ終えたところで、ミナは店全体を見回した。
「レイ、あの……値札は?」
「え? 値札? あ、値段ね。聞かれたら言うよ」
客が来て、野菜を手に取って、そこで初めて交渉が始まる。
どうやらそれが、この市場の“通常運転”らしい。
「で、でも、だいたいの価格の幅って、あるんでしょ?」
「あるっちゃあるけど。ないっちゃない」
不思議そうな目で見ているミナに、レイは続けた。
「ほら、今日は曇りだろ? 午後になると雨が降るかもしれない。そしたら、大安売りだよ。この店は屋根があるけど、屋根のない店は投げ売りを始めるから、こっちも投げ売りになるからさ」
「そ、そうなの…」
ミナが他の店を観察していると、あちこちから声が聞こえてくる。客が通るたびに、店から呼び声が上がるのだ。だいたい高い女性の声である。
「ミナっだっけな。ちょっとこっちこいや」
イーロイがミナを呼ぶ。ミナを店の前に立たせて、背中から両肩をポンと叩いた。
「ここに立ってな。そしたら、客が引き寄せられるから」
若い女性が市場にいることは少ない。しかも、ミナの品の良さはみすぼらしい服を着ていても、なんとなく目を引くらしい。
(仕事をしなきゃ。ただ飯ぐらいは絶対にいや! 私のプライドが許さない! 絶対に仕事をみつけるんだから!)
MBAは市場の物売りとは違うのだが、ここまでくれば些細な違いに見えて来る。
ミナは覚悟を決めて、両手に野菜を手に取った。他の店のおばさんたちがしているのを自分もやるのだ!
「今年一番のできのいい芋! いかがですか~?!」と怒鳴ってみた。
レイが驚いて目を丸くしている。
今更、人にどう思われようが関係ないとばかり、ミナは声を張り上げる。
「今晩はおいしい芋のシチュー! うちの芋は最高ですよ~」
場違いな売り子に興味を持ったのか、客が何人か近づいて、レイと値段の交渉を始める。
「1カゴ、10アロだよ」
10アロは100円みたいなところだ。1000アロが1ポルだ。
「高いな」
「じゃあ、2カゴで16アロでどうだい?」
「……まあいい」
ミナはそれを聞きながら、イラッとしていた。
(18アロから始めるべきでしょ!)
…とレイに言いたいが、この世界のやり方がわからない。わからないうちは口を出せない。
1人の客が16アロで買って帰ると、品定めをしていた別の客が、「2カゴで14アロなら買ってもいいがな…」と言った。
ミナはレイを見ると、「いいよ」と言いそうに口を開けた。そこへミナが割り込んだ。
「お客さま! 今はこのトルトもおいしいんですよ。このトルトを1つお付けして、20アロにしておきます! いかがですか?」
ミナは思い切り笑顔で客に言った。しかも丁寧な言葉遣い。
トルトは大きなトマトのような高級品だ。
「お、おう…。いや、トルトはいらねえが…。そっちのオニルをつけてくれればいいかな…」
オニルは玉ねぎのように芋と合わせやすい野菜だ。客はミナの笑顔に押し切られそうになったが、ここで言いなりになっては男が廃ると思ったのか、条件を変えた。
しかし、トルトよりもオニルのほうが実は安い。だから、ミナはニッコリした。
「はい、お客さまのおっしゃるとおり、オニルをお付けして20アロで。ありがとうございました!」
最高の笑顔を見せて、深くお辞儀をした。日本式の接客術だ。
「お、おお…」
客は少し顔をあからめて、支払いをして帰って行った。
(勝った…!!)
ミナはガッツポーズをして見送った。抱き合わせ販売は悪徳商売の…いや、賢い商売の基本だ!
投げ売りになる前に、午前中に野菜を売り切るのだ。うちで作っている野菜だから、原価なんかないとはいえ、手塩にかけた野菜を少しでも高く売りたい。
ミナはレイが売っていた値段を頭の中でまとめた。
(うーんと…。芋が1カゴ8アロ。トルトが1個5アロ。オニルが1カゴ4アロ)
つまり、ミナは芋の値段を下げずに、オニルまで売ることに成功したということだ。
それを確認して、腕組みをして「ふっふっ…」と思わず笑いが漏れた。
レイとイーロイが目を丸くして、ミナを見ている。
「ミナ、商売したことあるの?」
レイが聞いた。
なにしろ、レイはカイルとヨーカから「ミナはさらわれてきた貴族のお嬢様らしい。かわいそうな子だから、やさしくしてね」と言われていた。
それがまさか、市場で声を張り上げて売り子をするなんて思っていなかったのだ。
しかも、市場とは思えないくらいの丁寧なしゃべり方と深いお辞儀。
どう見ても野菜売りじゃない…。
「えへっ…、ま、まあ、あるかな…、いや、ないかも?…」
自分ではあるつもりだったが、よく考えると実際には元の世界でも一度もない。ただ理論を机上で学んだだけだ。販売のプロでもなんでもなかった。
しかし、市場は戦いの場。あちこちの商品を見て品定めをしてきた客を、どう射止めるか。戦略が必要なのだ!
ちょっぴりでも、MBA脳が使えると嬉しい。
(戦略…)
ミナは呼び込みしながらも、なんとか売れる方法を考えていた。場違いなお嬢様風の呼子が珍しくて、結構客が入ってくる。
だが、それだけではだめだ。
戦略についてはいろいろ学んだはずなのに、ここではどうにもならない。
まったく違う環境では、今までの知識が役に立たない。値段を聞かれても、いちいちレイに聞かなくてはいけない。
とりあえず、今日は集客に徹するしかない。あとはレイ任せだ。
「あ、毎度! 今日はなんにしましょうか?」
レイが頭巾をまいた中年の女性に声をかける。お得意様なのだろう。
「今日はセチ豆を探しているの。あるかしら?」
「うっ、悪いっす。今日はセチ豆はちょっと…」
「ないの? 残念ね…」
「オンド豆はどうですか? 今日はいっぱいあります!」
「う~ん。オンド豆はもう向こうの店で買ったのよ」
「そっすか…。じゃ、今はオリバの実がお勧めですよ。旬なんで」
……
それを見ながら、自分の知識のなさを痛感していた。なにしろ、ミナの知らない野菜は多いし、その野菜をどう使うのかもわからない。
自分が売る商品の特性がわからないのでは、商人失格だ。頑張りはいいが、そもそもの基本ができていないというただのダメダメ店員なのだ。
ミナはひそかにため息をついた。
(何をやってるの、わたし!)
村から街まで2時間の移動の時間があったのに、ミナはそういう知識をレイから学ぶことを思いつかなかった。なんてこと! 自分のうかつさが情けなくなった。
そうこうしているうちに、午後になる前に雨がパラパラと降ってきた。濡れたら野菜がダメになってしまう。あちこちの店がたたみ始めた。
イーロイの店もまだ商品はかなり残っていたが、閉めざるを得ない。こうして、その日の市場は解散となったのだった。
荷車には屋根の代わりになる板がついているので、帰り道で傷むことはないのだが、日持ちしない葉物は捨てざるを得ない。
レイが捨てようとするのを見て、ミナは心が痛んだ。
「ねえ、多少雨に濡れても、加工すればなにか利用できないかな?」
「加工したって、すぐ腐っちゃうよ」
レイはひとこと言って、さっさと廃棄場で捨てた。
「そうよね…」
ミナもそう思う。冷蔵庫がない世界で無駄なことを言ってしまった。
「ミナ、ご苦労さん。雨が強くならないうちに帰るよ」
レイはそう言って、残り野菜を乗せた荷車を引いて歩いた。
「うん…。レイもお疲れ様」
異世界での初めての市場体験がこうして終わった。
ほんのちょっぴりだけど、ここにはミナが役に立てそうな場があった。
(私ができることを探そう。きっとなにかある!)
ミナはちょっとだけ希望を持つことにした。
これは長いストーリーです。
しばらくお付き合いいただけると嬉しいです。
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