アンドリオンの心の中の負の遺産
MBAを取得し、アメリカで働いていたミナは、異世界で認められ、ブリア侯行政顧問となり、ブリア領を侵略から守るため、コブルー港を自由港とする構想を立てる。王弟レオストはミナが気に入り、王都に来るように命ずる。一方、ブリアの北に侵略阻止のために造っていた城壁の工事を止めたため、それが原因で村が洪水になった。その負の遺産をどう財産に変えるかという案をミナが出し、その計画が上がってきた。
このお話は、ミナがブリア領の行政顧問となり、ブリアを侵略から守るため、自由港を作り上げるという壮大なお話です。長いお話ですが、よかったら、お付き合いください
初めてお読みになる方は、下に用語集があります!
第108話 貯水池と農地拡大
若草宮に住み始めてから、1年と4カ月が過ぎた。
住み始めたのは冬の真っ最中だったが、二度目の春が来た。昨年の庭の様子を見て、ミナは庭師に頼んで、少しずつミナの好みの花や木を植えてもらっていた。
それがこの春に美しく花をつける。百日紅に似た紅色の花の房をつけるコラルの木。
そして、柔らかな緑の葉を広げるカルナットの木。これは薄紫色の花を初夏につける。秋になる実は商業の象徴となる秤の基準となる実だ。その木はミナにとって商業の守り神のようなものだ。
それらの木々を眺めてうっとりとしていた。眺めながら飲む午後のお茶は、とても幸福な香りだった。
「ミナ様、カイル様がお越しでございます」
「えっ?!」
ミナは飛び上がって部屋を飛び出す。
カイルが階段を上がってくるのを踊り場で迎える。
「いつタンブリーに帰ってきたの?」
「さっきだ。寮に荷物を置いてきたところ」
一緒に二階に上がる。
「すれ違いばかりね」
「ああ」
二階の部屋に入るやいなや、カイルがミナを抱きしめた。そして、軽くキスをする。
「会いたかった…」
「王都に行っていたの?」
「ああ。王都もだけど、他にもいろいろな」
侍女がお茶とお菓子を持ってくる前に、テーブルに座った。
「私も5月には王都に行くの」
「誰と?」
「う~ん…ひとり」
「え、何しに?」
今までミナが単独で王都に行ったことはなかった。
「王弟殿下が1か月ほど来いとおっしゃったのですって。その理由は聞いていないわ」
「そうなのか? こないだ、コブルーにいらっしゃったのは聞いている」
「そう。そのときにアンドリオン様におっしゃったみたい」
「そうか…」
「アンドリオン様は『1か月で終わればいいが』って、すごく心配そうにおっしゃるのよ」
「それはどういう意味なんだ?」
「私もよくわからないけど…。でもね、アンドリオン様は一番最初に王都に行った時にも、さんざん反対なさったわ。『王都から帰れなくなったらどうする』って」
「ああ、ミナが…アイキドーで押し切ったときだな」
「そうそう」
クスッと笑う。
「だから、杞憂だとは思うけどね」
お茶を注いで、カイルにお替りを差し出した。
「カイル、明日の朝、来られる? 次の技を教えるわ」
「ああ。頼む。あれはとても役に立つ。今はバンリオルの私兵たちに俺が教えてる」
「それはいいわね。カイルは実践できるしね」
合気道には試合がない。だから、実はミナは実践することがほとんどない。前の世界では一度もなかった。だから、ミナにとっては精神修養の意味合いのほうが大きい。
この世界に来てからはすでに二度実践したが…。
「あの技をミナに教わったと言ったときの旦那様の顔…」
カイルがクククと笑い、ミナも笑い出した。
「魔法使いって言われちゃったわ!」
アハハと大きく笑った。
「1か月もいるなら、また王都で会うかもな」
「そう? 私はどこに泊まるんだかわからない。…どこかしら? 出張所の宿かな…。ま、泊まるところがわかったら、バンリオル邸に連絡するわ」
「ああ」
そんな話をしたあと、二人でカウチに移り、庭を眺めたり、ダンスの練習をしたり、そのまま抱きしめあったりして、しばらく幸せな時間を過ごした。
* * *
4月の半ばになって、やっとフレスタから報告書を持って、3人の官僚がタンブリーにやってきた。
タンブリー城の執務室には、大きな地図が広げられていた。地図の上には、青い線で川が描かれ、いくつかの赤い印がつけられている。
アンドリオンは腕を組み、その地図を見下ろしていた。
その前には3人の男が立っている。
フレスタ主席行政官ナードン。
ブリア領土木技師フッタール。
そしてティルダスの水利技師ラグメルだ。彼がマーギナの思い人である。
ミナもその横に立ち、興味深そうに地図をのぞきこんでいた。
「では、報告を聞こう」
アンドリオンが言う。
「はっ」
ラグメルが一歩前に出た。
「ご命令いただきましたフレスタ盆地の水利調査でございますが、結論から申し上げますと——」
ラグメルは一度咳払いをした。
「貯水池の建設は可能でございます」
アンドリオンの眉が上がる。
「ほう」
ラグメルは地図を指し示した。
「ここに城壁。そして、水はこちらに流れます。そして、ここに川。水をここまで誘導するように、このあたりを掘り進みます」
そこから指で川をたどる。
地図の中央、谷が細くなっている場所だ。
「ここは両側が丘陵になっており、土を盛って堤を築けば、水をせき止めることができます」
ラグメルは顔を上げて続けた。
「ティルダスでも同じような地形に貯水池を作った例がございます。谷をせき止める方式です」
「どのくらいの規模になる?」
アンドリオンが聞いた。
ラグメルは紙を広げた。
「堤の高さを15メートルほどにすれば、長さは300メートル。満水時の水量は、およそ——」
紙を確認する。
「500万立方メートルほどになります」
ミナはその大きさがよくわからない。
「それは農業用水としては十分ですか?」
「はい」
ラグメルがうなずく。
「これだけあれば、フレスタ盆地の灌漑には十分です。干ばつの年でも作物は守れます」
ラグメルが続ける。
「さらに、この貯水池からこのように水路を引けば、これまで水が届かなかった高地の畑にも水を送れます。現在のフレスタの耕地の3割ほどは増える見込みです」
ミナが思わず声を上げた。
「3割!」
それは見逃せないほどの数字だった。
灌漑施設ができれば、農地が増やせるとは思っていたが、3割というのは大きい。
これならば、ミナが考えている仕組みが可能で、財源が確保できるとミナは思った。
アンドリオンはゆっくりと椅子に座る。
「……費用は?」
フッタールが答える。
「堤の建設、人夫、石材、水路工事を含めまして、およそ——」
彼は指で数字を示した。
「金貨2000枚ほど」
執務室が静かになった。20億円といったところだ。
アンドリオンはしばらく考え、ミナを見た。
「ミナ」
「はい」
「君の案だ。どう思う?」
「やるべきでございます」
「理由は?」
「農地が3割増えるなら、税収もいずれ3割近く増えます。…何より、壁が生きるでしょう」
「なるほど。つまり、城壁が民を守るということだな」
今のままでは負の遺産だ。それがりっぱな財産となるのだ。
「…よし」
アンドリオンは頷いて、3人を見た。
「設計を進めよ。できるだけ早くな」
3人は一斉に頭を下げた。
「はっ!」
3人が退出したあと、ミナはアンドリオンに言った。
「ラグメルがマーギナ様の思い人なのですよね? この事業が成功した暁には、あの3人を国王陛下に功績があったと推薦していただけますか?」
「ラグメル1人ではないのか?」
「いいえ。3人でなくては。皆、同じように働くのですから」
「そうだな。完成すれば、それは大きな功績だ。ラグメルは現在騎士だから、功績男爵に推薦できる。あとの2人は騎士に推薦できよう」
「それはよかった! ありがとうございます」
「で、ミナ。その財源はどうするのだ? 金貨2000枚など、財務部が真っ青になるぞ」
「はい。財源ですが、農地が3割も増えるならば、これはかなりの儲けになります。商人たちに出資を募り、貯水池と農地を管理する商会を作るというのはいかがでしょうか。
農地の所有者は領主として、そこから上がる利益を商会のものとするのです。
商会が農具や種を貸し付けてやれば、農民はすぐに集まるでしょう」
アンドリオンは唖然として、目を見開く。
「つ、つまりそれは……商人が金を出す…ということか? 領主ではなくて?」
アンドリオンは信じられないという顔をして、恐る恐る確認する。
「はい。かなりの広さの農地となりますから、出資を募れば、すぐにでも資金は集まるでしょう」
つまりこれは現代ではコンセッション方式と呼ばれるものだ。
上下水道の施設や空港などのインフラ建設で使われている方式だ。
お金を出すのは商人たちが出資した商会。施設は領主のもの。収益権だけを商会に与える、という仕組みだ。
「ミナ!」
アンドリオンは勢いよく立ち上がり、ミナに向かって歩いてくる。
(な、なにごと?!)
ミナがあっけに取られて見ていると、彼はミナを立ち上がらせる。
「ミナ、よくやった…」
そう言って、アンドリオンはミナを軽く抱きしめるのだった。
「はい。ありがとうございます…」
(喜んでいるのはわかるけど…。コンプラ違反でございますわ、領主様)
と心の中で言い添えた。
(ま、フレスタでは責任を負って農民に謝ったのだし、行動は早いし、りっぱな領主様だって認めるけどね…)
大組織のトップというものは自分で解決策を見出すというよりも、責任を取る存在なのである。それでこそ優秀な部下を使えるのだ。
ちょっと、アンドリオンを評価し始めたミナであった。
一方、アンドリオンはミナを抱きしめながら、胸の苦しさが少し解けていくのを感じていた。
アンドリオンにとって、あの城壁が村人に疎まれたままになるのは苦しいことだった。自分にとっても、あの城壁は殺されそうになった元凶なのだ。村人の恨みの気持ちが、アンドリオンの胸の思いと重なっていた。
それが村人の喜びに変わるならば、こんなに心安らぐことはない。自分が殺されかけたという憤りも、胸の奥で癒される思いだ。
しかし、…アンドリオンの心の中には、「あの日」の死の恐怖がまだまだ大量に眠っていた。
…あの日、ミナはブリアにいなかった。バンリオルに守られて王都にいた。
だから、ミナはそんなアンドリオンの心の秘密にほとんど気づいていなかった。
次回は防衛作戦が動き出します。
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用語集
ミナ … MBAを取得したあと、異世界に来て、自由港を作り上げようとしている
カイル … ミナの恋人で元冒険者。今はバンリオルの私兵
タンブリー … ブリア領の中心地で領主の城がある
アンドリオン … ミナが住むブリア領の若き領主
王弟レオスト… アラゴンキアの王弟で、かつて前ブリア領主とともに王太子暗殺未遂を犯した
バンリオル … 国防を陰で担う大商会
フレスタ … 侵略阻止の城壁を作ったブリア内の地域
マーギナ … フレスタの統治を任されている子爵の娘




