第7話 満月の予兆
教室に戻ってからも、私は校長先生のことが頭から離れなかった。
あのとき、どうしてあんなに怒ったんだろう。
「校長先生、なんか変な感じだったね」
ひまりちゃんが私たちの顔を見ながら言った。
「確かに」
かえでも腕を組んでうなずく。
ぶちはというと、隣でちょこんと座り、私たちが話すたびに、うんうんとうなずいている。
……絶対、分かってないよね。
私は二人の顔を見た。
「もしかしたらさ……花乃子の友達って、校長先生だったんじゃないかな?」
「私もそう思う」
ひまりちゃんがうなずいた。
「校長先生って、いつも首にスカーフを巻いてるでしょ?あれって、火傷の痕を隠してるんじゃないかな」
「あっ!」
そういえば、そうだ。
校長先生、いつも首元にスカーフを巻いている。
今まで気にも留めなかったけど、もしそれが火傷の痕を隠すためだったとしたら……。
「でもさ、もう一つ、はっきりしないことがあるんだよな」
かえでが、難しい顔をした。
「もう一人の幼馴染のことね」
ひまりちゃんが答える。
「うん。花乃子さんにはもう一人友達がいたんだろ?なのに、なんで自殺までするんだ?」
「……確かに」
花乃子は三人でずっと一緒にいようって約束していた。
一人がいなくなったからって、残されたもう一人の友達までいなくなるわけじゃない。
それに……
あの桜の木の下で出会った花乃子は、誰かを恨んでいるようには見えなかった。
「……私、もう一回花乃子に聞いてみる」
そう言うと、かえでが私の顔をじっと見つめた。
「なあ、くるみ。本当に花乃子さんと話したんだよな?」
「そうだよ。ぶちも一緒にね」
「うん。はなした!」
隣にいたぶちが、満面の笑みでうなずく。
「本当にいるんだね、花子さん……じゃなかった、花乃子さんか」
ひまりちゃんが、ちょっと困ったように笑った。
「幽霊かぁ……」
かえではしばらく考え込んでいたけど、やがて大きく息を吐いた。
「しゃあない。あたしたちも会いに行くか」
「えっ!?」
思わず声が出た。
「かえで、本当に!?」
「なんだよ、その反応」
「だって、幽霊なんて絶対いないって言ってたじゃん!」
「うっさいな。気が変わったんだよ」
かえでは少し照れくさそうに顔をそらした。
「それにさ……くるみがそんなに心配してるなら、きっと悪い幽霊じゃないんだろ?」
「かえで……」
「私も会ってみたいな」
ひまりちゃんが、にっこり笑った。
「花乃子さんが本当にいるなら、私たちにも何かできるかもしれないし」
「ひまりちゃん……」
二人の顔を見ていたら、なんだか胸がいっぱいになってきた。
もう、二人とも!
「え〜い!大好きじゃーっ!」
私は思いっきり二人に抱きついた。
「やめろよ、恥ずかしいだろ」
「ふふっ、くるみちゃんったら」
ひまりちゃんが笑った。
「ぶちも〜!」
ぶちも両手を広げて飛び込んでくる。
「ちょっと、ぶち苦しい!首!首に腕が!」
「あははは!」
かえでの怒鳴り声と、ひまりちゃんの笑い声。
気づけば、私たちは四人でもみくちゃになっていた。
……なんだか、前よりもっと楽しくなった気がする。
* * *
――梅子――
「梅子よ。感じておるか?」
祖父の低い声が、部屋に響いた。
「お主の学校に漂う、あの禍々しい瘴気を」
「はい。裏庭の桜。原因はあれかと」
私は静かに答えた。
日に日に瘴気が強くなっているのが分かる。
「我が綾瀬家は、代々妖怪退治を使命としてきた」
祖父は厳しい眼差しを私に向けた。
「此度は、次期当主であるお主が鎮めてみせよ」
「はい。綾瀬の家名にかけて、必ず」
祖父は満足そうに笑った。
「ふっ、良い顔じゃ。これを持ってゆけ」
差し出されたのは、一張の弓と矢だった。
「これは……綾瀬家に代々伝わる、破邪の弓」
「うむ。よいか、ゆめゆめしくじるでないぞ」
私は両手で弓を受け取った。
「はい。我が校の生徒は、誰一人傷つけさせません」
祖父の目をまっすぐに見つめた。
* * *
生徒会室の机の上には、祖父から託された破邪の弓が置かれている。
綾瀬家に代々伝わる、妖怪を討つための弓。
まさか、これを自分の学校で使うことになるなんて。
私は窓辺に立ち、遠くの桜の木を見つめた。
あの木を中心に広がる瘴気。
日が暮れるにつれて、その気配はますます強くなっている。
今夜、何かが起こる。
そんな予感が、胸の奥から離れなかった。
「嫌な瘴気ね……」
背後から声がした。
振り返ると、さつきが立っていた。
さつきの橘家は、古くから続く綾瀬家の分流。彼女にも、陰陽師の血が流れている。
「なんだか、大変なことが起こりそう」
「ええ」
その時だった。
バタン!
生徒会室の扉が勢いよく開いた。
「会長!」
「会長!」
すみれとかりんが、息を切らして飛び込んできた。
「どうだった?」
さつきが尋ねる。
「にらんだ通りだ」
かりんが真剣な表情で答えた。
「十年前と二十年前の事件。どちらも桜が満開の、満月の夜に起こっています」
すみれが調べた資料を広げる。
「そうなると……」
さつきが窓の外へ目を向けた。
「今年は桜の開花が遅れたけど、ちょうど今日、満開になった」
「はい。そして今夜は満月です」
すみれが答えた。
……すべての条件が、揃ってしまった。
「……やばいな」
かりんが小さくつぶやいた。
私は三人に向き直った。
「みんな、聞いて。今夜は誰もあの桜の木に近づけてはだめ」
三人の表情が引き締まる。
「桜花高校生徒会の名にかけて、絶対に何事もなく明日を迎えるの!」
「はい!」
三人の声が、生徒会室に響いた。
* * *
――くるみ――
「懐中電灯よし!携帯よし!忘れ物なし!」
私は鞄の中身を確認した。
「ぶち、準備できた?」
「できた!」
振り返ると、ぶちは小さなリュックを背負っていた。
「何持ってきたの?」
「にく!」
「……肉?」
「うん!」
肉って生肉?焼いたやつ?……まあ、いっか。
今夜は花乃子に会いに行く。
かえでとひまりちゃんにも、あの子を紹介するんだ。
「くるみ、何してるの?」
部屋をのぞいたのは、お母さんだった。
「今から学校に行ってくる」
「……学校?今から?」
「うん!」
「今何時だと思ってるの?」
「え〜っと……十時?」
お母さんが呆れたようにため息をついた。
「こんな時間に外出なんて駄目よ」
「どうしても行かなきゃいけないんだよ」
「忘れ物でもしたの?」
「幽霊に会いに」
「……は?」
あ、しまった。
もうちょっと言い方があったかも。
「幽霊だって⁉︎」
そこへお父さんが顔を出した。
「肝試しなのかい?」
「違うよ、お父さん。本当にいるんだよ、幽霊が」
「何だと!」
お父さんの目が輝いた。
「どんな幽霊なんだ?足はあるのか?」
「れんじさん!」
「あ……だ、ダメじゃないか。こんな遅くに女の子だけで」
お母さんの一声で、お父さんはあっさり手のひらを返した。
……相変わらず、お母さんには弱いなあ。
「かえでとひまりちゃんも一緒なんだよ」
「ぶちも!」
「そうそう、ぶちも一緒だから大丈夫だって」
「とにかく駄目。夜の学校なんて危ないでしょう」
「お母さん、お願い!」
「駄目なものは駄目」
「……私、約束したんだ」
自分でも驚くほど、静かな声が出た。
「ずっと待ってる友達を、絶対に見つけるって」
お母さんの表情が少し変わった。
「その子、ずっと一人で待ってるんだよ。もう何十年も」
私は鞄をぎゅっと握った。
「だから、もう一回会って、ちゃんと話したいの」
「……くるみ」
お父さんが私の顔を見つめた。
「その子は、お前を待ってるんだな?」
「うん」
「そうか」
お父さんは小さくうなずいた。
「ママ。行かせてやろう」
「れんじさん!何言ってるんですか!」
「くるみがこんな顔をして頼むことなんて、滅多にないだろう?」
「でも、夜の学校ですよ?」
「分かってる。心配なのは僕も同じだ」
お父さんは私に向き直った。
「くるみ。危ないと思ったら、すぐ帰ってくるんだぞ」
「うん!」
「ちょっと!まだ許してませんからね!」
お母さんはしばらく私たちを見比べていた。
そして、大きなため息をついた。
「……本当に、あなたたちは」
「お母さん……」
「かえでちゃんとひまりちゃんも一緒なのね?」
「うん!何かあってもかえで強いから大丈夫だよ」
「ぶちもくるみまもる」
ぶちが鼻息荒く言った。
「ママ」
お父さんがお母さんの顔をじっと見つめた。
「もう……分かったわ」
「本当!?」
「ただし、絶対に無茶はしないこと。何かあったらすぐ連絡すること。それから、遅くならないうちに帰ってくること。いいわね?」
「はいっ!」
「ぶちちゃんも、くるみのことお願いね」
「おねがいされてやった!」
「なぜぶちくんが威張るんだ」
元気いっぱいなぶちを見て、お父さんとお母さんは笑った。
……あれ?
なんだか私よりぶちの方が信用されてない?
「よし!それじゃあ、行ってきまーす!」
「気をつけてな!」
「二人とも、ちゃんと帰ってくるのよ!」
私とぶちは顔を見合わせた。
「うん!」
玄関の扉を開けると、夜の冷たい空気が頬に触れた。
待っててね、花乃子。もう一度会いに行くから。




