第8話 満月の夜の訪問者
ワオォォォン……。
どこか遠くで、犬の遠吠えが聞こえた。
夜の桜花高校。
昼間はあんなに賑やかな校舎も、今はひっそりと静まり返っている。
窓には明かりひとつなく、月明かりに照らされた校舎が、まるで巨大なお化け屋敷みたいに見えた。
……うん。
これはなかなか雰囲気がある!
「くるみちゃ〜ん!」
校門の向こうから、ひまりちゃんの声が聞こえた。
「おっ、来た来た」
私はぶちと顔を見合わせると、校門の陰に身を隠した。
「なんで夜の学校なんかに来なくちゃいけないんだよ……」
かえでの不満そうな声が近づいてくる。
「昼間は普通の人には見えないけど、夜だったら会えるかもって、くるみちゃんが言ってたでしょ?」
「だけどよ〜。夜の学校って不気味なんだよ」
おやおや?
いつも強気なかえでさんが、珍しく弱気じゃありませんか。
私はぶちに目配せした。
ぶちはこくりとうなずく。
そして――。
「わっ!」
「ぎゃああああああっ!」
かえでの悲鳴が夜空に響き渡った。
「あはははははっ!」
もう駄目!
お腹痛い!
かえでったら、飛び上がってる!
「ね、ぶち!面白いでしょ!」
「かえで、こわがり〜!」
ぶちも嬉しそうに笑っている。
「てめえら……ぶっ殺す!」
鬼の形相でかえでが私に向かってくる!
「ひいっ!脅かしたのぶちじゃん!」
「お前がそそのかしたんだろうが!」
……確かにそうだけど!
「ぶちも〜」
なぜかぶちまで、笑いながら私を追いかけてきた。
「もう、三人とも静かにして。近所迷惑だよ」
ひまりちゃんが困ったように笑った。
「その通りよ」
「ぎゃああああああっ!」
再び、かえでの悲鳴。
……え?
今の声、ひまりちゃんじゃないよね?
振り返ると、そこには腕を組んだ一人の少女が立っていた。
月明かりに照らされた、凛とした立ち姿。
桜花高校生徒会長、綾瀬梅子こと愛しの梅ちゃん。
その隣には橘さん。そして少し後ろには、北条さんと藤堂さんもいる。
桜花高校生徒会、まさかの全員集合!
「梅子さん!」
ひまりちゃんが驚いたように声を上げた。
「梅ちゃんのお化け!」
私も嬉しくなって叫ぶ。
「うんこ!」
ぶちが元気いっぱいに叫んだ。
「下の名前で呼ぶな!誰がお化けじゃ!それと、うんこじゃなくて梅子!」
なんという見事な三段ツッコミ!
「おお〜!」
かえでを除く私たち三人は、思わず拍手した。
ちなみにかえでは……うん、少し回復してきた模様。
拍手をもらった梅ちゃんは、得意げな顔をしている。
「綾瀬」
橘さんの冷ややかな声が飛んできた。
「……はっ!」
梅ちゃんは慌てて咳払いをした。
「おほん……それで?あなたたちはこんな夜遅くに、学校で何をしているのかしら?」
さっきまでの姿が嘘みたいに、いつもの生徒会長の顔に戻っている。
……切り替え早っ!
「あ〜、え〜っと……あれだよ、あれ。忘れ物!だよな?」
かえでが私たちに助けを求めるような視線を送った。
「あ、う、うん」
ひまりちゃんが慌ててうなずく。
「こんな大勢で?」
橘さんが鋭い視線を向けた。
「いや、そのなんだ……そうだ!一人じゃ心細いし……」
かえでがしどろもどろになっていると、
「かのこにあいにきた!」
ぶちが元気よく答えた。
「このばか!」
かえでが慌てて口を塞ごうとする。
でも、もう遅い。
「……花乃子?」
梅ちゃんの表情が変わった。
「うん!さくらにいつもいる」
「桜!?」
今度は橘さんまで顔色を変えた。
……ん?
なんだろう。
さっきまでとは、明らかに空気が違う。
「月野、忠告したはずだぞ」
藤堂さんが低い声で言った。
「ま、まあ、なんだ。その〜……」
かえでが頭をかく。
「この三馬鹿はともかく、双葉さんまで……」
北条さんが呆れたようにため息をついた。
……三馬鹿?
三人って、かえで、ぶち、それに……ひまりちゃん!
言っていいことと悪いことがある!
「ちょっと、あんた!」
私は北条さん……いや、北条すみれを指さした。
「私の友達を馬鹿呼ばわりしないで!」
友達を悪く言うなんて絶対に許せない!
「くるみ」
かえでが私の肩を叩き、私を指した。
「お前も入ってるぞ」
「……え?」
一、二、三。
かえで、ぶち……私。
……。
「私!?」
「本気で言ってたのかよ」
かえでが頭を抱えた。
まったく!
失礼しちゃう!
かえではともかく、私のどこが馬鹿だと言うのか。
確かに赤点ばかりだけどさ。そこは認める。うん。
……いや、そうじゃなくって!
私たちは花乃子との約束を守るために、わざわざこんな時間に来たんだから!
……まあ、ちょっとだけ肝試し気分だったけどさ。
そのときだった。
――ゴゴゴゴゴ……。
「……え?」
地面が、かすかに揺れた。
足元から伝わってくる、重く低い振動。
それは次第に大きくなっていく。
ゴゴゴゴゴゴ……!
「じ、地震!?」
かえでが辺りを見回した。
校舎の窓が、カタカタと音を立てる。
でも、何かがおかしい。
地震じゃない――。
校舎の向こう。
裏庭の方角から、黒い煙のようなものが立ち上っているのが見えた。
……何、あれ?
煙?
いや、違う。
まるで生き物みたいに、うねうねと渦を巻いている。
月明かりさえ飲み込んでしまいそうな、真っ黒な何か。
それが、夜空へと広がっていく。
「……あれは?」
橘さんが息を呑んだ。
「瘴気の渦……」
梅ちゃんの声が、低くなった。
「あの瘴気の量……普通じゃない」
橘さんの顔から血の気が引いている。
「会長……」
藤堂さんと北条さんが梅ちゃんを見た。
「……まずいわね」
梅ちゃんが小さくつぶやいた。
私はもう一度、黒い渦を見上げた。
あの場所。
あそこには、桜の木がある!
それに……
「花乃子!」
気づいたときには、走り出していた。
「くるみ!行っちゃ駄目!」
背後から梅ちゃんの声が聞こえた。
「あそこは危険なのよ!」
でも、足は止まらない。
だって。
あそこには、花乃子がいるんだ。
「くるみ!」
かえでの声。
「くるみちゃん!」
ひまりちゃんの声。
「まって〜!」
ぶちの声も聞こえる。
でも、私は振り返らなかった。
ただ、夢中で走った。
「どういうことだよ!?」
背後からかえでの叫び声が聞こえた。
「説明している暇はないわ!あの子を止めないと――」
梅ちゃんの切羽詰まった声が、夜の校庭に響く。
「くそっ、くるみ!」
「くるみちゃん、待って!」
みんなの足音が追いかけてくる。
でも、私は走り続けた。
真っ暗な校舎の脇を抜け、裏庭へ。
夜空には、真ん丸な月。
その下で、黒い渦がゆっくりと膨れ上がっている。
花乃子……あの中にいるの?
それとも……。
お願い、無事でいて!




