第6話 隠された過去
――くるみ――
「う〜ん……三十五年前、この学校にいた、首に火傷の痕がある生徒ねえ……」
私たちは今、校舎裏で菊りんを囲んでいる。
ちなみにぶちはというと、少し離れたところで蝶々を追いかけている。
相変わらず自由だな。
私たちが聞きたいのは花乃子のことだ。
菊りんは腕を組み、難しい顔で首をひねっていた。
あの桜の木の下で、三十五年間も友達を待ち続けている女の子。
私は花乃子と約束した。
忘れてしまった友達を、必ず見つけるって。
だから、まずは三十五年前のことを知っている人を探さなくちゃ。
「仮に三十五年前に高校生だったとすると、今は五十代前半くらいですね」
ひまりちゃんが、迷いなく答えた。
計算はやっ。
「五十代の女性で、首に火傷か……」
かえでも考え込んでいる。
さっきまで幽霊なんて絶対にいないって言ってたくせに、なんだかんだで一緒に考えてくれてるんだよね。
「ねえ、菊りん。誰か知らない?」
「う〜ん、さすがに三十五年前となると、今いる先生たちも知らないと思うわ」
「そっかぁ……」
何か手がかりはないかな。
私が頭を抱えていると、かえでが突然声を上げた。
「あっ、そうだ!」
「なになに?」
「この前、かあちゃんに桜の木の話をしたんだよ。そしたら、御手洗校長に聞けば何か分かるかもって」
「校長先生?」
私は思わず聞き返した。
「そういえば……」
菊りんが何かを思い出したように顔を上げる。
「校長、確かこの学校の卒業生だって言ってたわ」
「ほんと!?」
「ええ。年齢は確か……五十二歳!」
「五十二歳!」
私とかえでの声が重なった。
三十五年前なら、十七歳。
今の私たちと同じ。
「じゃあ、校長先生に聞けば何か分かるんじゃ……」
「私がどうかしましたか?」
不意に声をかけられ、振り返ると、そこには御手洗校長が立っていた。
「あ、校長。ちょうどよかった!」
菊りんが嬉しそうに声を上げる。
「校長って、三十五年前、この学校の生徒だったんですよね?」
「ええ、そうよ」
校長先生は穏やかに微笑んだ。
やった!
これは期待できそう!
「あのっ、校長先生!」
私は勢いよく一歩前に出た。
「だったら、裏庭の桜の木のこと、詳しいですよね?」
「……桜の木?」
校長先生の表情が、ほんの少しだけ変わった気がした。
でも、それは一瞬のことだった。
「三十五年前、あの桜の木の下で櫻井花乃子って女の子が亡くなったって聞いたんです」
「…………」
校長先生は何も言わなかった。
ただ、じっと私を見つめている。
「……よく、そこまで調べたわね」
その声は、さっきより少し低かった。
「やっぱり!」
胸がどきんと鳴った。
花乃子が言っていたことは、本当だったんだ。
「花乃子さんは、どうして死んじゃったんですか?」
校長先生はすぐには答えなかった。
遠くに見える桜の木へ、静かに視線を向ける。
やがて、小さく息を吐いた。
「……分かった。話してあげる。ただし、少し長くなるから覚悟してね」
私たちは顔を見合わせた。
そして、校長先生の話に耳を傾けた。
* * *
「三十五年前、この学校がまだ桜花高等女学校と呼ばれていた頃の話よ」
校長先生は、ゆっくりと語り始めた。
「そこに、櫻井花乃子という女の子がいたの。明るくて、成績も優秀で、誰からも愛される子だったわ」
花乃子が……?
私は、桜の木の下で出会った女の子を思い浮かべた。
寂しそうに笑っていた、あの子。
「若葉さん……あなたみたいな子だった」
「えっ、私!?」
思わず自分を指さしてしまった。
「えへへ、優秀だなんて。そんなことないですよぉ」
なんだか照れちゃうなぁ。
「優秀は違うんじゃね」
「うっさい!」
横から余計なことを言ってきたかえでをにらむ。
「まあまあ、二人とも。それで、どうなったんですか?」
ひまりちゃんに促され、校長先生は話を続けた。
「あの子には、二人の幼馴染がいたの」
「幼馴染……」
「ええ。三人はとても仲が良くて、いつも一緒にいたわ。学校でも、放課後でも、あの桜の木の下でもね」
校長先生の視線が、遠くの桜へ向けられる。
「でも、ある日……そのうちの一人が、家族旅行中に事故に遭ったの」
「事故?」
「ええ。ご両親は亡くなって、その子も大怪我をしたそうよ」
「そんな……」
ひまりちゃんが小さくつぶやいた。
「その後、遠くに住む親戚に引き取られることになったの。三人は、ずっと一緒にいようって約束していたのにね」
……約束。
そうだ。花乃子は今も、あの桜の木の下で友達を待っている。
三十五年も、ずっと。
それほど大切な約束だったんだ。
「けれど、その別れが悲しい結末を招いてしまったわ」
校長先生は、少し寂しそうに目を伏せた。
「彼女は……桜の木の下で、自ら命を絶った」
「……えっ」
思わず息をのんだ。
「それからよ。あの桜の木に、櫻井花乃子の幽霊が出るという噂が広まったのは」
校長先生は、そこで話を終えた。
けれど、私にはまだ聞きたいことがあった。
「あの、校長先生。花乃子さんの友達で、首に火傷の痕がある子っていましたか?」
その瞬間だった。
校長先生の顔から、すっと笑みが消えた。
「……なんで」
「え?」
「どうして、そんなことを聞くの?」
急に変わった校長先生の様子に戸惑いながら、私は答えた。
「花乃子さんが、その子を探してるんです」
「…………」
校長先生は、私をじっと見つめていた。
「……ええ、いたわ」
「やっぱり!」
思わず声が出た。
間違いない。
花乃子が待っているのは、その子だ!
「どうして……あなたが知っているの?」
「それは……」
私は少し迷った。
こんな話、信じてもらえるだろうか。
かえでは最初、全然信じてくれなかった。
ひまりちゃんだって、半信半疑だった。
でも、花乃子と約束したんだ。
「あの……信じてもらえないかもしれないんですけど」
私は校長先生の目をまっすぐ見つめた。
「私、会ったんです。花乃子さんに」
「…………」
「あの桜の木の下で、花乃子さんとお話ししたんです」
校長先生の目が、大きく見開かれた。
その唇が、かすかに震える。
「そんな馬鹿なことが……あるはずがない……」
「本当なんです!」
「違う、花乃子は……生きてるはずは……」
……え?
今、なんて?
「私、本当に――」
「黙りなさい!」
突然の大声に、私は思わず肩をすくめた。
「こ、校長……?」
菊りんも驚いたように声をかける。
校長先生は、はっとしたように口を閉じた。
そして、ゆっくりと息を吐く。
「……ごめんなさい」
校長先生は、いつもの落ち着いた口調に戻った。
「私が知っているのは、ここまでよ」
待って。まだ聞きたいことがある。
キーンコーンカーンコーン……。
予鈴のチャイムが、学校に響き渡った。
菊りんが時計に目をやる。
「ほら、あんたたち。教室に戻りなさい。授業が始まるわよ」
「でも、まだ聞きたいことが……」
私は校長先生を見つめた。
けれど、校長先生は何も答えようとしなかった。
「……わかりました」
私は仕方なく、その場を後にした。
かえでとひまりちゃんも、その後に続く。
「おーい、ぶち!行くぞー!」
かえでが少し離れたところに声をかけた。
「あーい!」
虫を追いかけていたぶちが、こちらへ駆けてきた。
校長先生、さっきはどうしてあんなに怒ったんだろう。
どうしても気になって、私はもう一度だけ振り返った。
校長先生は、私たちの方を見ていなかった。
ただ、遠くの桜の木をじっと見つめていた。
……校長先生。何か、隠してる。
* * *
――鈴木先生――
「鈴木先生」
生徒たちが校舎へ戻っていくのを見送っていると、御手洗校長に呼び止められた。
「はい、何でしょう?」
校長は、しばらく黙っていた。
その視線は、先ほどまで少女たちがいた方へ向けられている。
やがて、静かに口を開いた。
「あの子たちを……桜の木に近づかせないで」
「え?」
思わず聞き返した。
校長の表情は、ひどく険しかった。
「お願い。これ以上、あの木には近づかせないでちょうだい」
「どうしてですか?」
「じゃないと……また……」
また?
また、何が起こるというのだろう。
「校長?」
「……お願いね」
それだけ言い残し、校長は静かに歩き去っていった。
私はその背中を見つめたまま、しばらく動けなかった。
そして、ゆっくりと裏庭の方へ目を向ける。
遠くに見える、大きな桜の木。
春の陽射しを浴びて、薄桃色の花を咲かせている。
あんなに美しい木なのに。
いったい、あの桜の木に何があるというのだろう。




