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若葉くるみの幻想事件簿-桜降る夜の約束を-  作者: くまのぽち


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第5話 知られざる三つの事件

――かえで――

「まったく、くるみのやつ……性質が悪いっての!」

あたしは校舎の裏庭から続く通路を歩きながら、思わず声を荒げた。

ああ、もう!

思い出しただけでも腹が立つ。

よりによって、あの桜の木の下で幽霊が見えるなんて言い出すんだから。

しかも、くるみのことだ。

絶対に面白がってるに決まってる。

「でも……」

隣を歩いていたひまりが、遠慮がちに口を開いた。

「くるみちゃんのあの顔……嘘ついてるようには見えなかったけど」

「はあ?」

あたしは思わず足を止めた。

「じゃあなにか? 本当にあそこに幽霊がいたっていうのか?」

「いや、そういうわけじゃ……」

「ひまりには見えたのか?」

「ううん。私は何も見えなかったけど……」

「だろ?」

あたしは大きく息を吐いた。

幽霊なんているわけない。

いるわけないんだ。

……絶対に。

「とにかく、あの桜にはもう近づかない」

「かえでちゃん、やっぱり怖かったんじゃ……」

「こ、怖くないって!」

思わず声が裏返った。

ひまりがくすっと笑う。

「ふふっ」

「笑うなよ!」

まったく。

どいつもこいつも……。

そう思いながら校舎の角を曲がった、そのときだった。

「月野かえで」

「ひゃっ!」

突然、目の前から名前を呼ばれた。

心臓が跳ね上がる。

「な、なんだよ!」

慌てて顔を上げると、そこには見覚えのある女子生徒が立っていた。

その子は長い髪を後ろでまとめ、背筋をぴんと伸ばしている。

藤堂かりん。

生徒会の一員で、空手を得意とする女だ。

「なんだ、かりんかよ……」

「話がある」

あたしの文句なんて聞いちゃいない。

相変わらず愛想のないやつだ。

「……かえでちゃん」

ひまりが心配そうにあたしを見上げる。

あたしは軽く手を振った。

「ひまり、悪い。先行ってて」

「……うん」

ひまりはあたしとかりんを交互に見つめ、それから静かに歩き出した。

その姿が校舎の向こうへ消えるのを待って、あたしはかりんに向き直る。

「で?話って?」

かりんは、まっすぐあたしを見据えた。

「あの桜の木に近寄るな」

「……は?」

思わず眉をひそめる。

また桜の木かよ。

さっきから、あの木の話ばっかりだ。

「それは生徒会として?それとも友達として?」

かりんは少しだけ間を置いて答えた。

「生徒会としてだ」

「あ、そう」

あたしは肩をすくめた。

「つ〜か、なんであんたたちに命令されなくちゃいけないんだ?」

「いいから言うことを聞け」

かりんの声が、わずかに低くなった。

「怪我したくなかったらな」

……。

なんだ、それ。

あたしは思わず口元をつり上げた。

「どういう意味?」

一歩、かりんに近づく。

「それは……あたしと勝負するってこと?」

「…………」

かりんは何も答えない。

ただ、じっとあたしを見つめている。

その目。

昔から変わらない。

いつだって冷静で、何を考えているのか分からない。

……でも。

その目を見ると、どうしても思い出してしまう。

中学最後の県大会。

あの日の決勝戦。

……あれが、あたしの最後の試合になった。

「……いいよ」

あたしは拳を握った。

「あのときの決着、つけようじゃない」

かりんは小さく息を吐いた。

「どうしても聞けないか?」

「聞けないね」

「……そうか」

かりんの足が、わずかに動く。

それを見て、あたしの体は反射的に動いた。

「はあっ!」

地面を蹴り、かりんとの距離を一気に詰める。

狙うのは胴。

踏み込むと同時に拳を繰り出した。

――けれど。

「……っ!」

当たらない。

かりんは体をわずかにひねり、あたしの拳をかわした。

すかさず二撃目。

今度は顔を狙う。

しかし、その拳も軽く受け流される。

くそっ!

だったら!

あたしは軸足を踏み込み、勢いよく蹴りを放った。

「せいっ!」

かりんは一歩だけ後ろへ下がった。

蹴りは空を切る。

……やっぱり。

強い。

しかも、前よりずっと。

あたしは距離を取り、口元をぬぐった。

「……また強くなったな」

かりんは構えを崩さない。

「あんたは……変わらないね」

「……は?」

「どんな困難にも、ただまっすぐにぶつかっていく」

あたしは一瞬、言葉に詰まった。

まるで、あたしのことを全部分かってるみたいな言い方しやがって。

「なんだよ、それ。褒めてるつもり?」

あたしは思わず笑った。

かりんは答えない。

ただ、いつもの涼しい顔であたしを見ている。

本当に、昔から変わらないやつだ。

あたしはゆっくりと拳を下ろした。

「たく……分かったよ」

かりんの眉が、わずかに動く。

「忠告、聞いておく」

あたしはにやっと笑った。

「友達としてな」

「…………」

かりんは何も言わなかった。

けれど、その表情がほんの少しだけ和らいだように見えた。

「若葉と双葉さんにも言っておいてくれ」

「わかった」

あたしは肩をすくめた。

「ま、くるみが言うこと聞くとは思えないけど……一応伝えておくよ」

くるみのことだ。

幽霊がいると思い込んだら、ますます面白がって近づくだろう。

……ほんと、困ったやつ。

「じゃあな」

あたしはかりんに背を向けた。

ひまりを追いかけようと歩き出す。

けれど、数歩進んだところで、ふと思った。

……怪我したくなかったら、か。

あいつは、何を知っているんだ?

あたしはちらりと振り返った。

かりんはまだ、その場に立っていた。

何かを考え込むように、じっと桜の木のある方角を見つめている。

……。

まあ、いいか。

あたしは小さく息を吐き、ひまりの後を追った。


――ひまり――

かえでちゃん、大丈夫かな……。

私は何度か後ろを振り返りながら、職員室へ向かって歩いていた。

藤堂さんとかえでちゃん。二人が昔から知り合いなのは知っている。

だけど、さっきの雰囲気はなんだか穏やかじゃなかった。

……喧嘩になったりしないよね?

そんなことを考えていると、

「こんにちは、双葉さん」

落ち着いた声で呼びかけられた。

振り返ると、そこに立っていたのは北条すみれさんだった。

生徒会の一員で、学年トップの成績を誇る秀才。

なんでも、有名企業からスカウトが来ているという噂まである。

そんなすごい人がなぜか、いつも私なんかに声をかけてくれる。

「あ、北条さん。こんにちは」

私は頭を下げた。

「何か御用?」

「桜の木のこと、調べてるんでしょ?」

「え……うん」

どうして知ってるんだろう。

……生徒会だから?

「説明は端折るけど、あの木には近づいちゃだめ」

北条さんは、いつもの落ち着いた声で言った。

「近づくなって……なんで?」

「あなたは若葉さんや月野さんと違って賢いから、あの木がどういう状態か分かるはずよ」

そんなことないのに。

くるみちゃんもかえでちゃんも、私にはないものをいっぱい持ってる。

北条さんでも二人のすごさには気づいてないんだ。

そう思うと、なんだかちょっと嬉しくなった。

……あの桜の木の状態か……

あの木はずいぶん古そうだったな。

枝もところどころ傷んでいたような気がする。

「……もしかして、木が枯れかけてること?」

「そう。あの桜の木は、もうすぐ……」

「いたいた!双葉〜!」

声のした方を見ると、鈴木先生が思いっきり息を切らしながらこちらへやってくる。

「先生……どうしたんですか?」

「はぁ、はぁ……探したわよ」

「何をですか?」

「あなたたちをよ!」

先生は私の前まで来ると、ようやく息を整え、隣にいる北条さんに気づいた。

「あら、北条さん。こんにちは。珍しい組み合わせね」

北条さんは静かに会釈した。

「じゃなかった……双葉!話があるって言うから待ってたのに、全然来ないじゃない!おかげで学校中探し回っちゃったでしょ!」

「あっ……ごめんなさい!」

そうだった!

くるみちゃんたちと一緒に、先生から話を聞く約束をしていたんだった。

「今、行こうと思ってたんです」

ごめんなさい、先生。嘘です。

「まったく、もう……」

先生は呆れたようにため息をついた。

すると、北条さんが私に向き直った。

「じゃあ、双葉さん。忠告したわよ」

「あ……」

私が呼び止めるより早く、北条さんは歩き出してしまった。

「あら、邪魔しちゃった?」

先生が北条さんの背中を見送りながら尋ねた。

「北条さんと何かあったの?」

「いえ……なんでもないです」

私は首を横に振った。

なんとなく、さっきの話を先生にする気にはなれなかった。

「そう。ところで、若葉と月野は一緒じゃないの?」

「あ、え〜と……」

どう説明しよう。

かえでちゃんは藤堂さんと話をしていて、くるみちゃんは桜の木の下で幽霊と……。

……幽霊?

そんなこと、先生に言っても信じてもらえないよね。

困っていると、

「ひまりちゃ〜ん!」

「ひまり〜!」

聞き慣れた声が二つ、校舎の向こうから響いてきた。

振り向くと、くるみちゃんとかえでちゃん、そしてぶちちゃんがこちらへ走ってくる。

「くるみちゃん!かえでちゃん!」

よかった。

藤堂さんとは何もなかったみたい。

「お待たせ〜!」

くるみちゃんは相変わらず元気いっぱいだ。

「あ、菊りん!」

先生を見つけるなり、嬉しそうに手を振った。

「菊りんじゃない!」

先生は腰に手を当てた。

「ずっと職員室で待ってたんだからね!」

「あ、忘れてた!てへへ、ごめんなさい」

「まったく、最近の学生は……」

「いや〜、いろいろあってさ」

苦笑いしながらかえでちゃんが謝る。

先生は小さく息を吐くと、ふと何かに気づいたように首をかしげた。

「あら?」

その視線の先には、ぶちちゃんがいる。

「あなた、見ない顔ね」

「ぶちだよ!」

ぶちちゃんは元気よく答えた。

「ぶち……?」

先生が目をぱちぱちさせる。

「珍しい名前ね。ぶちなんて子、うちの学校にいたかしら?」

「きょーからきた!」

「今日から?」

先生はますます不思議そうな顔になった。

「転校生?おかしいわね。何も聞いてないけど……」

確かに。

普通、転校生が来るなら先生たちには連絡があるはずだよね。

私も気になってぶちちゃんを見つめたけど、本人はにこにこしているだけだった。

すると、

「そんなことより菊りん!」

くるみちゃんが勢いよく先生の前に飛び出した。

「聞きたいことがあるの!」

「何?」

「実はね……」

くるみちゃんは、あの桜の木の下で出会った幽霊のことを話し始めた。

三十五年前から、ずっと友達を待っていること。

その友達の名前を思い出せないこと。首に火傷の痕があること。

先生も私たちも最初こそ半信半疑だったけど、話を聞いていくうちに少しずつ信じ始め、いつしか真剣に耳を傾けていた。

私は、さっきの北条さんの言葉を思い出していた。

――あの桜の木は、もうすぐ……。

一体、何を言おうとしていたんだろう。

胸の奥に、小さな不安が残っていた。


――生徒会室――

放課後の生徒会室。

窓から差し込む柔らかな陽射しが、机の上に広げられた資料を照らしていた。

梅子は資料と睨み合いながら、じっと考え込んでいる。

「……綾瀬?」

声をかけられ、梅子は顔を上げた。

いつの間にか、さつきが部屋に入ってきている。

「何か考え事?」

「うん、ちょっとね」

「若葉さんのこと?」

梅子は小さく笑った。

「まあね。相変わらず、何をしでかすか分からない子だから」

そう言って、机の上から一枚の資料を取り上げる。

「それより、これを見て」

さつきは差し出された資料を受け取り、目を落とした。

「……桜の木についての報告書ね」

「ええ。気になって調べてたの」

さつきは資料に目を走らせる。

そこには、桜花学園で過去に起きた三つの事件が記されていた。

十年前。

新聞部に所属していた朝比奈杏子という生徒が、校舎の裏庭の桜の木について調べている最中に失踪。

二十年前。

桜の木の撤去工事中、当時の校長だった御手洗博之の事故死。

そして、三十五年前。

桜井花乃子という女生徒の死亡。

さつきの視線が、報告書の最後の一文で止まった。

『これらの出来事は、三十五年前の桜井花乃子の死を発端としている可能性が考えられる』

「……これって」

さつきが顔を上げる。

梅子は窓の外へ視線を向けた。

遠くに見える桜の木は、何事もないように花を咲かせている。

「桜の木に関わった人が、何人も……」

「どうやら、ただの学校の怪談じゃないみたいね」

さつきはもう一度、報告書を見つめた。

「もしかして、呪われて死んだってこと?」

「さあ。それは分からない」

梅子は静かに答えた。

「少なくとも、あの木にはあまり関わらない方がいいってことね」

さつきの表情が変わった。

「だとしたら……若葉さんたちが危ない」

「ええ」

梅子の顔から、先ほどまでの穏やかな笑みが消えた。

「あの馬鹿を早く止めないと……取り返しのつかないことになりかねないわ」

窓の向こうで、桜の花びらが風に舞っていた。

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