376 無力の聖女と愛の祝詞
シルバーウイーク二日目! サラ視点です。
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私はアンラマンユに穂先が当たる寸前で止め、新たにできた隙間を凝視する。その奥には、白銀の髪だけが見えた。
漆黒の卵の大きさは二メートルほど。アッくんを閉じ込めることはできる。だが、アンラマンユの本体はどこにあるのか。いや、実はこの殻こそが本体で、すべてを粉々に砕けば、アッくんを解放できるのか――。
そこで、自分が冷静ではないと気づく。
そもそも、アンラマンユの中にアッくんがいる保証はない。むしろ、罠の可能性が高い。あの声だけで判断しようとする自分に、奥歯を噛みしめる。
何をすべきか、思考を巡らせる。万が一、アンラマンユの中にアッくんがいるとしても、助けるためには殻を壊すしかない。
もし罠だとしても、殻を壊して中身を晒すことが、アンラマンユを倒すことに繋がるかもしれない。
結局、やることは変わらなかった。悪意の塊であるアンラマンユを倒すために、私はここに残ったのだ。レーヴァテインを握り締め、短く息を吐き出す。
腰を沈め、神槍をそっと腰まで引きつけると、再びアッくんの声が聞こえた。
「やめてくれ、サラ。こいつを殺せば、俺も死んでしまう」
一瞬、息を止める。だが、小さく首を横に振り、レーヴァテインを突き出した。しかし、アンラマンユは一切動かず、ひび割れた二つの隙間から黒い靄が吹き出した。
それは即座に腕の形へ変わり、さきほどと同じように、紅蓮に燃え上がる穂先を掴む。
その瞬間、私は神気を込めて神聖火を纏わせる。破邪と浄化――二つの力を帯びた炎は、瞬く間に漆黒の腕を粒子に変え、霧散させた。
そのままレーヴァテインを突き出すと、アンラマンユに直撃し、新たなひびが生まれる。
「うぅ、なぜ攻撃するんだ。本当に囚われているんだ。また、あのときのように、俺を討つのか、ミゲイル!」
思わず息を呑む。過去の記憶が濁流となり、思考を呑み込んだ。あのとき、アッくんはサタナルを庇って、私に討たれた。
『真の一体化』を果たした私とミゲイルは、すべてがひとつに紡がれている。アッくんが悲しげに微笑みながら、光の粒子となって消えていく姿が脳裏をよぎる。
指先は冷たく震え、レーヴァテインをまともに持つことができない。ただ、口を閉ざして漆黒の卵を見つめる。
明らかに私を動揺させるための嘘だ。アッくんがそんなことを言うわけがない。アンラマンユは私に過去の過ちを思い出させているだけだ。
「サラ、君は俺よりも神が大事なんだろう。違うなら、攻撃をやめてくれ」
気持ちを落ち着けようとしたとき、再びアッくんの声が耳に届く。あまりにもそっくりな声に、親しみよりも憎悪が湧き上がった。
決して彼が告げることのない言葉を、アンラマンユは彼の声で伝える。アッくんにも、我が主にも不敬な行為だ。レーヴァテインを強く握り締める。
「そんな目で見ないでくれ。仮にも君は聖女だ。怒りは似合わない」
もはや限界だった。人の心を逆撫でし、思い出したくない過去を暴き、私の一番大事なものを汚した。
どんなことをしても、こいつを串刺しにし、滅ぼしてやる。レーヴァテインを構え、腰まで引きつけた。
「ああ、やはり君は俺を殺すんだね。本当に無力な聖女だ」
その言葉を聞いた瞬間、私の脳裏に、聖都の古びた教会で人生の最後を迎えた人たちの顔が浮かび上がった。
生まれながらに手や足――体の一部が欠けた人たち。あの儚げだが、誰も恨むことのない純粋な笑顔。あの人たちが、私に聖女としての無力さを教えてくれた。
私はレーヴァテインを握る手を緩め、自分に問いかける。無力なのも、怒りを覚えることも悪いことじゃない。それは努力するために大切な経験だ。
本当の彼なら、きっとそう言ってくれるはずだ。あの古びた教会で口づけを交わしたとき、私は「自分は無力だ」と言った。
だけど、アッくんはそんな私を好きになってよかったと言ってくれた。そんな彼が、あんな言葉を吐くはずがない。
唇を噛み、視線を落とす。レーヴァテインの穂先を纏う神聖火が、黒く濁り始めていた。
そこで気づく。ひびから漏れる黒い靄こそが、アンラマンユの本体。そして、私を悪意に染めた正体だ。
もしこのまま悪意に染まった私があの殻を壊し続ければ、きっとこの世に途轍もなく悍ましい悪意が放たれる。そう直感した。
神槍レーヴァテインをくるりと回し、石突を上に向けて、槍から杖へと変える。この悪神に刃は必要ない。必要なのは、聖女としての力と心だ。
竜を象った石突にこつんと額を当て、我が主に祈りを捧げる。
(……あの悪意を受け止める勇気をください)
ふと、アッくんの横顔がよぎり、苦笑いを浮かべる。祈りは、最愛の人にも届いたようだ。不思議――いや、当然のように力が湧いてきた。
我が主への冒涜かもしれないが、怖くも、恐ろしくもなかった。ただ、彼を近くに感じられることが嬉しかった。
気づくと、金色の翼は紺碧へと変わっていた。私が大きく十翼をはためかせると、青い羽が舞い、黒く淀んだ空気を静かに浄化していく。
いつの間にか周囲もアンラマンユの悪意に汚染されていたことに驚く。どうやら、相手の術中に嵌ってしまっていたようだ。
苦笑いを浮かべる。アッくんを助けるために魔界に来たのに、逆に彼に助けられた。
(やっぱり、私は無力の聖女なのかもね。だけど――)
私は神杖レーヴァテインを両手に持ち、頭上に掲げた。そして、目を閉じて、愛の祝詞を紡ぎ始めた。
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