370 熾天使ミザリー
暑さが去ったら、台風や大雨がやってきました。皆さん、お気をつけてください<(_ _)>
私たちは、スライムのように蠢きながら地下道を進むベルゼガの血を追った。奥に進むにつれ、この場所の異様さに気づき始める。
ごつごつした無骨で荒々しい岩肌。だが、よく見ると人や獣の形をしているものが混じっていた。ミザリーに頼み、近づいてもらうと、全員が息を呑んだ。
それは岩ではなく、岩肌に縫い留められた悪魔たちだった。肌は石のような無機質な灰色に染まり、無数の陰影を浮かべている。誰もが苦悶し、顔を歪めていた。
「命を感じない。だけど、ここに縫い付けられた後、しばらくは生きていたと思うわ」
サラが、目と口を大きく開き、叫んでいるような表情を浮かべる山羊の顔を見つめる。この悪魔はバフォメットだ。シュバルツ帝国に召喚された悪魔の仲間なのかもしれない。
いったい、誰がこのような非情で異常なことをするのか――考えるまでもなかった。メフィストしかいない。ふと、リリスの言葉がよぎる。
『メフィストには気をつけなさい。あの男は、命を命だと思っていないわ』
彼女の言葉の真意を悟る。邪悪な心を持つ悪魔もいる。だが、同族に対して、ここまで非道なことができる者を私は知らない。
やつの狂気を超えた異常性こそ、一番警戒しなければならない――そう思い、サラとミザリーに注意しようと顔を向ける。
だが、二人とも岩肌に浮かぶ無数の悪魔たちを見つめ、怒りを露わにしていた。その怒りが誰に向けられているか、聞くまでもなかった。
私たちは頷き合い、奥へと歩き出す。
視線の先には、地を這うベルゼガの血。それは岩壁に縫い付けられた同胞たちを憐れむように近づき、わずかに震える。
そして、何かを恐れるように距離を取りながら、再び奥へと進み始めた。
――――――――――――
私たちはベルゼガの血に導かれ、地下道を歩き続けた。やがて、地下とは思えないほど豪奢な門へと辿り着く。
視線を落とすと、紫の血は門扉に近づいては離れる。それを何度も繰り返していた。門の向こうに意識を向ける。
たしかに、これまでにないほど強い気配を感じる。私も進むべきか迷う。そのとき、ミザリーが一歩踏み出し、門を勢いよく開けた。
「悩んでいる暇なんてないにゃ。必要なのは、どんな障害でも乗り越える覚悟だけにゃ!」
そう言いながら、彼女は先頭に立ち、部屋の中へと入っていく。その背中は大きく、頼もしく見えた。
私とサラが彼女に続くと、ベルゼガの血もようやく動き出し、部屋の奥へと這っていく。門と同じく、部屋の中も金や銀、色とりどりの宝石で装飾されていた。
目を覆いたくなるほどの輝きも、なぜか空虚に見える。本物であるがゆえに、その違和感がはっきりと感じ取れた。
首を傾げながら歩を進めると、頭上から声が聞こえた。
「ようこそ、我が玉座の間へ」
私はアクケルテを抜き、銃口を上へと向ける。そこには逆さまのまま天井に張り付いた玉座に座り、こちらを見下ろす男がいた。
濃紺のスーツを着た紳士。そんな印象を受けるが、目も口もない鏡の仮面で顔を覆う姿は、詐欺師のようにも見えた。
彼は悪魔なのか、魔物なのか――それとも、それ以外の何かなのか、私には分からない。ただ、ベルゼガの血は彼を恐れ、近づこうとしなかった。
「歓迎してくれるのは嬉しいけど、そんな場所から人を見下すのは不愉快だわ」
サラが笑顔のまま、鏡の仮面の男に言い放つ。すると、男は鷹揚に頷き、玉座から立ち上がると、そのまま落下した。
宙に浮く気配もなく、そのまま落ちていく男。このままでは地面に激突すると思われた瞬間、男は逆さまのまま空中で止まった。
その姿に目を見開く。直後、男は操り人形の糸が切れたように力なく、手足をだらんと下ろした。
空中で肢体をだらしなく垂らす男。さきほどまでの紳士のような雰囲気も、詐欺師のような気配も、今の彼からは感じられない。
用心深く観察していると、鏡の仮面が妖しく輝き、男の背後に巨大な顔が浮かび上がった。
その顔の中央には吸盤状の口があり、それを囲むように六つの白眼が並んでいた。
次第に顔だけではなく、全身が浮かび上がり、鏡の仮面はその額へと沈んでいく。目の前に現れた異形の存在に、全身の肌が粟立った。
悪魔でも魔物でもない異物。この世界に存在してはならない。そう直感する。それは蛇のような体に、細長い手足を伸ばした化け物だった。
やつは額の仮面にぶら下がる男を掴み、引きちぎると、壁に叩きつけた。残ったのは、額にはめ込まれた鏡の仮面だけだった。
ヤツメウナギのような容姿をした化け物。吸盤状の口を器用に動かし、静かに告げる。
「改めて。ようこそ、我が玉座へ」
化け物は優雅に頭を下げ、右手を胸に当てた。その行為は礼儀正しいものだが、異形の姿でされれば、おぞましいだけだった。
「ああ、悪いにゃ。ここに用はないにゃ。この先に行きたいから、通してくれないかにゃ?」
その瞬間、額の鏡がきらりと光ったような気がした。だが、化け物が首を横に振ったため、確かめることはできなかった。
「いやいや、せっかくお越しいただいたのです。ぜひ、お茶の一杯でもおもてなしさせてください」
丁寧な言葉遣い。耳障りのいい声。とても、あの不気味な口から発せられた言葉とは思えなかった。
「うーん、なら仕方ないにゃ。私だけ付き合ってやるにゃ。二人は先に行かせてもらうにゃ。いいかにゃ?」
その言葉は、化け物に尋ねているようで違う。私たちに向けられていた。私とサラが頷き合うと、ミザリーは一歩前に出た。
「私はミザリーにゃ。熾天使ミザリー。貴様も名乗るにゃ」
このとき、初めて彼女は自らを熾天使と名乗った。それは『真の一体化』を果たしたことを、私たちに宣言するためだった。
もはやケビエルの気配が重なることはないだろう。彼女こそがケビエルであり、ミザリーなのだから――。
私たちがじっと見つめていると、六眼の化け物は顎に手を当て、何度も頷いた。
「なるほど、貴女は熾天使でしたか。いいでしょう。いずれ攻め入る神界の最強の一角。その力を試させてもらう代わりに、彼女たちと、そこの依り代の残滓は見逃すことにします」
化け物は私たちを一瞥し、ミザリーへと視線を戻すと、もう一度、深々と頭を下げた。
「私はパズス。偽神パズスです」
ミザリーはパズスの挨拶をつまらなそうに見やり、こちらに視線を向けて、先へ行けと目配せをした。
私たちが頷き、ベルゼガの血が進み出すと、ミザリーは獰猛に笑い、パズスを目がけて駆け出した。
思わず声をかけようとしたが、彼女は親指を立て、それを制した。そして一気に加速し、拳を振り上げた。
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