365 嘘のない涙
暑いのも嫌ですが、台風も嫌ですね(T_T)
私の目の前にリリスが立つ。だが、すぐにサラが間に割って入り、神槍レーヴァテインの矛先を彼女に向けた。
「久しぶりね、リリス。三カ月ぶりかしら。別れの言葉は覚えている?」
「ええ、たしか『ぜひ、あなたから魔界に来て』だったかしら」
リリスは妖艶な笑みを崩さず、顎に指を当てて首を傾げた。余裕のある態度にサラが眉をひそめると、神槍の刃がきらりと光る。
「ふふ、せっかくミゲイルと『真の一体化』を果たしたのに、彼女の怒りっぽいところは変わっていないのかしら、サラさん?」
それでも動じることなく、リリスは笑顔を崩さない。あの人を食ったような態度は、昔から変わらなかった。だが、その力は格段に上がっている。
特に『虚飾』の権能――そんな力、昔の彼女は持っていなかった。リリスはあのときから変わってしまった。
私とアークには親しく接してくれたが、その他の者たちとは一歩距離を取り、どこか疑うような眼差しを向けるようになった。
じっと彼女を見つめる。その瞳は青く光り、かつての深紅の面影はどこにもなかった。私はエジェイルをミザリーに預け、サラの隣に並ぶ。
「お久しぶりです、リリス。同じ魔界にいたのに会わなくなって、随分と時間が経ったような気がします」
「そうね。私もあなたも色々とあったから。ルー君――じゃなかった、アー君が倒されて、貴方は魔界の門に、そして私はあの子が死んで、魔界の最奥に住む場所を変えた……」
リリスの顔に郷愁の色が滲み、その瞳にわずかに朱が差したような気がした。あのころの彼女の姿と重なり、少しだけ嬉しくなる。
(……これなら、エジェイルを紹介してもいいかもしれない)
リリスを見つめ、ふとその体に刻まれた大蛇の刺青に目を留めた。青い瞳もそうだが、これも過去にはなかった。
私の視線に気づき、彼女は大蛇の入れ墨に指を這わせる。すると、墨で描かれた蛇がわずかに蠢いたように見えた。
(いや、気のせいだ。あれはただの入れ墨のはず。それよりも、今は大事なことがある)
軽く首を振り、後ろを向く。ミザリーの背後に隠れるエジェイルに、目配せをした。
「貴女に紹介したい子がいます。彼女はエジェイル。アークはこの子と出会って、魔界に堕ちることを決めました」
「そう、可愛いわね……」
おずおずと私の隣に並ぶエジェイルを、リリスは目を細めて見つめる。その紺碧の瞳に、エジェイルはどのように映っているのか。
もともとエジェイルは獣人の魔人だった。ミザリーのように耳は四つあり、尻尾もあった。だが、今は紫色の翼が生え、翡翠の瞳も緑色の髪も変わってしまった。
かつてのリリスと同じ紅の瞳と銀髪に――。昔の自分の面影が残るエジェイルを、彼女はじっと見ている。
「ふふ、まさかね」
リリスは肩をすくめ、首を横に振る。何かに気づいたようだ。そんな彼女に声をかけようとしたとき、エジェイルが呟く。
「……母さん?」
私とリリスは、同時に目を見開く。まさか彼女の記憶が残っているのか。リリスの娘――リリンの双子の姉であるマアナの記憶が。
マアナは生まれてすぐに病を患い、亡くなった。滅多に悪魔は病気にかからない。それは彼女も同じだった。
それでも、突然発生した魔素を介して体内に入り込み、魂を蝕む凶悪な病には成す術もなかった。
当時はマアナだけではなく、多くの者が命を落とし、魔素に還っていった。そして、その魔素を取り込んだ魔族も感染し、魔界に猛威を振るった。
私はマアナの亡骸を抱き締めるリリスを説き伏せ、魔素に還る前に保管し、その肉体と魂をエジェイルを助けるために使った。
恨まれても仕方がない。だが、わずかに残ったマアナの魂の残滓と、エジェイルの魂を紡ぎ、重ね合わせることで、彼女の存在を繋ぎ止めようとしたのも事実だ。
いや、言い訳だ。可能性は無いに等しかった。本当はアークを悲しませたくなかっただけだ。そのために耳ざわりのいい言葉を並べ、強引に自分を納得させた。
怯えながらも、エジェイルはリリスを見ている。その瞳には不安と恐怖、敬愛――様々な感情が宿っているように思えた。
私は意を決して、エジェイルとマアナに施した自分の罪をリリスに打ち明ける。彼女はただ黙って聞いていた。
サラとミザリーは少し離れて、私たちの様子を見守る。エジェイルは私とリリスを交互に見て、何か言おうとするが、言葉にできないようだった。
沈黙が落ちるパンデモニウムの広間。巨大な窓から冷たく乾いた風が吹き込み、私たちの間を縫うように通り過ぎていく。
やがてリリスが、すっとエジェイルに歩み寄る。サラとミザリーが動きかけるが、私が手で制して止める。彼女の瞳は、あのころと同じ深紅に戻っていた。
「ふふ、本当ね。娘に似ているわ、あなた。ひとつだけ、教えてもらってもいい?」
リリスはエジェイルの頭に手を置き、優しく撫でながら尋ねた。その表情は穏やかで、母親の顔をしている。エジェイルはじっと彼女の顔を見て、小さく首を縦に振る。
「ありがとう。なら、正直に答えて。今、あなたは幸せ?」
エジェイルは一瞬目を見開き、すぐに笑顔を浮かべると、こくりと頷いた。その瞬間、リリスの深紅の瞳から涙が零れ落ちた。
優しくエジェイルを見つめ続けるリリス。その泣き顔には、嘘の気配はなかった。
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