344 父の手より、恋人の膝
カナリアに振り回され、心が折れた私は床に手をつき、涙を流す。そのとき、頭に優しい温もりが伝わってきた。
(……やっぱり、アーたんだけだ。私に優しいのは)
気遣うように静かに頭を撫でられ、私は心の底から温かい気持ちになった。涙を拭い、顔を上げる。
「お前じゃないにゃ!」
そこには心配そうにこちらを見下ろす父上の顔があった。予想が外れた私は、思わずその手を払い除け、立ち上がった。
視界の端に項垂れる父上が映るが、気にしない。私は周囲を見渡し、サリアナを抱え、リリノイア姉上と談笑するアーたんを見つける。
「にゃんで、私を放っておいて、他の女と話すにゃ!」
駆け寄り、アーたんの胸ぐらを掴もうとするが、サリアナが邪魔でできない。舌打ちをし、妹を強引に引き剥がそうとしたとき、頭に衝撃が走った。
「やめるある、ミザリー。妹相手に大人げないある」
頭を押さえて振り返ると、リリノイア姉上が鉄扇を広げ、鋭い視線を向けていた。普段は気にならない東方訛りが、今日はやけに耳障りだ。
私は姉上を睨みつける。もはや王家に未練はない。姉妹の縁が切れたところで、些細なことだ。すでに母娘の縁は切ってある。
私は拳を握り締め、そっと左足を引き、腰を沈める。ぴんと張り詰めた空気が満ちていく。
父上は顔を青ざめさせ、私たちを見ている。その隣には、父上の首元に腕を回し、にやにやと笑みを浮かべるカナリアがいた。
(母親なら止めるべきだろうが! ふっ、とはいえ、すでに縁は切っていたか)
いまだにあいつのことを母親だと思っていた自分に、苦笑いが漏れる。その瞬間、パチリと鉄扇を閉じる音が耳元に届いた。
刹那、私は右足に力を込め、踏み出そうとした。
「いい加減にしてほしいんだけど。私のこと忘れてない?」
リリーナさんが、ため息交じりに呟いた。
そこでようやく、ここに来た目的に気づく。私は振り返り、彼女に頭を下げようとした――そのとき、後頭部に激痛が走った。
視線を戻すと、リリノイア姉上が両手を合わせ、頭を下げていた。
――――――――――――
「サリアナ、邪魔にゃ。もう少し下がるにゃ」
私は頭を突き上げ、サリアナの頭を押しやる。
「姉上こそ、邪魔ですにゃ。ここは私の場所ですにゃ」
負けじとサリアナが、私の頭を押し返す。
「いい加減、二人とも下りてくれないかな?」
視線を上げると、アーたんが眉を下げて見ていた。私と妹は頭の獣耳を閉じ、聞かなかったことにして、彼の太ももに頬ずりをする。
――少し前のことだ。
私はリリノイア姉上に殴られ、治療のため医務室へ連れていかれた。そこでしばらく横になるよう言われ、アーたんに膝枕を要求した。
私を放っておいた罰だと泣きながら叫んだら、彼はしぶしぶ頷いた。
だが、部屋にはベッドしかなく、私たちが困り果てていると、サリアナが現れてサロンへ案内された。
そこには大きなソファーが置かれていた。私はアーたんの手を引いて座らせると、彼の太ももに頭を乗せた。その瞬間、彼の温もりを感じ、痛みが引いた。
気づくと、もう片方の太ももにサリアナが頬ずりをしていた。
――そうしているうちに、一時間ほどが過ぎていた。
いまだに私たちがアーたんの膝枕を堪能していると、父上やカナリア、リリーナさんが部屋に入ってきた。
私たちの姿を見て、父上は目を見開き、カナリアは少しだけ羨ましげな表情を浮かべる。その隣に立つリリーナさんは無表情だった。
「何をしてるんだ、お前たちは」
父上が呟くが、無視する。誰がどう見ても膝枕だ。それ以外に答えようがない。それよりも、アーたんの温もりを感じていたい。
私は寝返りを打ち、アーたんのほうを向く。ほのかに彼の匂いが鼻腔をくすぐり、思い切り吸い込む。隣ではサリアナが、涎を垂らして寝ていた。
父上のため息が耳に届くが、やはり無視する。一拍の間のあと、リリーナさんが声をかけた。
「アーク君、十王の遺跡ではありがとう。おかげでベアと会えたし、レオンやカナリアとも話をすることができたわ」
「いえ、俺はガリュウの手助けをしただけです。それに、ライデンさんと不死鳥のおかげなんで、お礼は二人にお願いします」
アーたんが微笑みながら言葉を返す。
真下から見る彼の顔が新鮮で、目を奪われる。白銀の髪に星空のような瞳、少し尖った顎に艶やかな唇――すべてが美しかった。
視線を逸らすことができず、じっと見つめる。そのとき、扉が開く音が聞こえた。
「おお、ここにいたのか、アーク。ん、何をやってるんだ?」
振り向くと、ガリュウ兄上だった。その後ろに視線を向ける。
そこには紅蓮の髪をなびかせ、目を見開くスカイと、頬を染めて、もじもじとするリリノイア姉上がいた。
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