343 王城は恋の地獄絵図
アーたんに背負われた私は両腕に力を込めて、目の前にある彼の白銀の髪の中に、思い切り顔を埋める。
「ミリー。ちょっと、くすぐったいから」
アーたんの肩が小さく跳ね、彼は困った顔で注意した。私はついさっき、カナリアと闘い、その策略に嵌ってしまった。
あの女の挑発に、怒りに身を任せた私が突っ込むと、カナリアは私をひらりと躱し、大勢の住民たちのほうへ誘導したのだ。
私は必死に速度を殺し、彼らを傷つけないよう踏みとどまろうとした。結果、住民たちは間一髪で逃げることができた。
だが、そのまま私は地面へ激突し、盛大に転倒した。
大した怪我はしていなかった。けれど、カナリアの罠に気づけなかった自分が情けなく、私は拳を何度も地面に叩きつけた。
慌てて駆け寄ってきたアーたんに、私は涙を浮かべて顔を上げる。その瞬間、彼は優しく私の頭を撫で、そっと背負ってくれた。
私は彼の背中に胸を押しつけ、その体温を感じる。カナリアには負けたが、人生の勝負には勝った。悔しそうに私を睨む彼女の姿に、笑みが零れる。
そんな私たちを見て、リリーナさんは大きくため息をつき、何か言いたそうな顔をしていた。
それからは誰も口を開かないまま歩き続け、やがて王城に辿り着いた。
巨大な門の前には屈強な兵士たちが立っている。だが、その顔に威圧感はなく、どこか穏やかだった。
民に対して等しく開かれた王室。父上の思想が、城の隅々にまで行き渡っていることを実感する。
「ようやく着いたにゃ。もう大丈夫にゃ、下ろしてもらって」
「お前が言うにゃ! 私はまだ怪我して歩けないにゃ!」
カナリアは笑顔でアーたんに告げたが、私は即座に否定した。できれば、この四日間はずっと彼に背負ってもらうつもりだ。
そのためなら、足の骨を一本や二本折っても構わないとさえ思っている。私はカナリアを睨みつけた。
「もういいから、あんたたち。早くレオンに会わせて。それにガリュウにも、改めてお礼が言いたいし――って、今更だけど、なんであんたは私を見ても驚かないの?」
確かにそうだ。カナリアはリリーナさんを見ても、動じることはなかった。というより、ろくに会話すらしていない。本当に親友なのだろうか。
リリーナさんと私は、訝しげな表情を浮かべる。だが、カナリアはその視線に気づかず、にこにことアーたんを見つめている。
(……こいつは、人の話を聞けないのか)
私はため息を漏らして肩を落とすと、思い切り息を吸い込み、言い放った。
「リリーナさんと久しぶりに再会したのに、何も言うことはにゃいのか!」
その瞬間、耳元で叫ばれたアーたんは肩を跳ねさせ、私を落としそうになる。慌てて、彼が体勢を立て直そうとした瞬間、カナリアは一瞬で近づき、強引に私たちを引き剥がした。
「ふう~、これで落ち着いて話せるわ。リリーナ、久しぶりね。貴女が戻ってきたことは、ガリュウとレオンからの手紙で知ってるわ。お帰りなさい」
そう言って彼女は真面目な顔に戻り、リリーナさんに近づくと、優しく微笑んで抱きしめた。
その腕には、さっきまでのふざけた気配はなかった。目じりに浮かんだ涙が、うっすらと光っていた。
――――――――――――
城に入った私たちは、すぐに父上のもとへ向かった。カナリアはアーたんと腕を組み、満面の笑みを浮かべている。
娘の夫に手を出すとは、母親失格だが、もうすでに私の中では、母娘の縁は切った。
それでも怒りを抑えることはできなかった。私が一言文句を言おうとしたとき、廊下の曲がり角からサリアナが飛び出してきた。
私と同じオレンジ色の髪をなびかせ、駆け寄ってくる妹に口角が上がる。よほど私が帰ってきたことが嬉しいらしい。
輝くほどの笑顔で走るサリアナを、両手を広げて迎える――が、彼女は私の横を通り過ぎ、アーたんに抱きついた。
「お待ちしておりましたにゃ、アーにぃ。卒業式のとき以来ですにゃ。すごく寂しかったですにゃ」
彼女は両腕をアーたんの首に回し、胸元に顔を埋める。その隣では、カナリアが彼の腕に頬ずりをしていた。
まさに地獄絵図だ。嫉妬で顔が熱くなる。もはやこの家に私の居場所はない。一刻も早く城を抜け出し、二人だけになれる場所を見つけなければならない。
そう決意した私は、アーたんからサリアナを引き剥がそうと、妹の首元に手を伸ばした――そのとき、ガリュウ兄上の声が背中に響いた。
「いったい、何をしているんだ。ここは廊下だぞ。配下の者に示しがつかないだろう」
どこか落ち着いた雰囲気を纏う兄上に、眉をひそめる。間違いなく、強くなっている。
かつてのような荒々しさは消え失せ、静かで鋭い――研ぎ澄まされた刃のような気配を感じた。
「あら、見違えるほど強くなったわね、ガリュウ。獣王の試練は、あなたにとっていい経験になったみたいね――色んな意味でね」
ガリュウ兄上に鋭い眼差しを向けて告げるカナリアだったが、アーたんと腕を組み、その肩に頭を預けた姿で言われても説得力がない。
いまだに離れないカナリアとサリアナ。いい加減、二人に文句を言おうと口を開きかけたとき、黒髪の偉丈夫が現れた。
「おい、アーク。人の妻を誘惑するのはやめてくれ」
この国の王レオンだ。この人こそ、私たちの父であり、カナリアの夫だ。父上は苦笑いを浮かべ、少し疲れた声で語りかけた。
アーたんは眉を下げ、申し訳なさそうに頭を下げた。その姿に怒りを覚える。私は父上を睨みつけて叫んだ。
「誘惑しているのは、この女のほうにゃ! 間違えるにゃ、父上!」
私は振り返り、アーたんのほうを指さした。だが、そこにあの女の姿はなく、慌てて視線を戻す。
視界に父上に抱きつき、頬にキスするカナリアの姿が映る。
その瞬間、私は膝から崩れ落ちた。床に手をついた私の目からは、一筋の涙が零れ、無機質な石床を濡らした。
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