336 月明かりに滲む境界
トガシの里から帝都に戻った翌朝、私たちは宿で食事を済ませ、すぐに観光へ向かった。木造の建物が並ぶ街並みは、何度見ても新鮮だった。
笑顔を浮かべ、町中を歩いていく。店には大きな板が掲げられ、この国独特の文字が力強く書かれている。
また、入口には縦長の色づいた布が横一列に並び、風が吹くたびに踊っていた。あちこちに視線を向けていると、アークの声が届く。
「学園都市では見られない景色だから、気持ちは分かるけど、足元には気をつけて」
彼は穏やかに微笑み、私の後ろを歩いていた。袖の中に手を入れ、胸の前で腕を組む姿は、やはり様になっていた。
――普段は見せない、何気ない所作に懐かしさが滲む。
少し気になるが、今日は二人で観光を楽しもうと決めていた。些細な――ことでもないかもしれないが、この時間を大事にしたい。
「アーク、あれはなんて書いてあるんですか?」
私は香ばしい良い香りが漂う店に掲げられた、大きな木の板を指差した。
「うーん、俺もこの国の言葉は分からないよ。けど、この匂いは醤油かな。おそらく団子屋だと思う」
彼は袖から手を出し、顎に手を当てて首を捻る。どうやら彼も文字までは読めないらしい。その事実が、私に安心感を与えた。
気持ちが凪いでいく。耳を澄ませば、店の中から客たちの笑い声が漏れ聞こえてくる。そのとき、不意にアークが隣に並び、私の手を取った。
「気になるなら、入ってみよう。まだ昼前だけど、小腹を満たすにはちょうどいい」
笑顔を向けるアークに、私も微笑み返す。春の陽光が和やかに周囲を照らし、空気を柔らかくする。
足取りも軽くなる。私たちは互いの手をしっかりと握り合い、団子屋へと歩き出した。
――――――――――――
お店で団子を二本買った私たちは、店内で食べることは遠慮した。そこにはお年寄りが集まり、お茶を啜りながら世間話をしていた。
そんな彼らは人懐っこく、あれこれと話を聞いてきた。少し居心地が悪くなった私たちは、逃げるように店を出た。
「せっかくだから、街並みを眺めながら食べよう」
彼は海苔の巻かれた団子を手に持ち、笑顔で告げる。私は黄金色の粉がたっぷりと振りかけられた団子を見つめた。
「それはきな粉と言って、乾燥した豆を粉にして、甘く味付けしているんだ」
そう言って、彼は串に刺さった団子をひとつ口に入れた。ふわっと焦げた香ばしい匂いが鼻をかすめる。
私も着物に粉が落ちないよう、口元へ運ぶ。四つ並んだ団子。そのうちのひとつを食べると、ほのかな甘味と豆の香りが口の中に広がった。
弾力のある団子にも上品な甘さがあり、とても美味しかった。笑みを浮かべる私に、アークは優しげな眼差しを向ける。
「こっちも食べてみて。海苔と醤油が合って、甘くはないけど美味しいから」
彼はすっと自分の団子を差し出す。それは艶やかな黒い衣に覆われ、隙間から醤油の雫が覗いていた。私が小さく口を開けて近づくと、磯の香りが鼻腔をくすぐった。
ぱりっとした海苔の食感と、もっちりとした団子がよく合い、こちらもとても美味しかった。
たった団子二つを食べ合っただけ――些細なことだ。だけど、それがあまりに愛おしくて、なぜか涙が零れそうになる。
思わず団子を落としかけた――そのとき、アークの手が伸びた。
「おっと、大丈夫。お礼じゃないけど、俺にも一口食べさせて」
彼は私の表情に気づくことなく、団子を美味しそうに頬張った。無邪気に食べるアーク。その横顔は、子供のころから知っている彼で間違いなかった。
――――――――――――
私たちは団子を食べ終えたあと、観光を楽しんだ。
変わった化粧を施した狐のお面や、小さな円錐形の木の玩具――これまで見たことのない珍しい品々を、アークと一緒に見て回った。
この国の人たちは、自然にあるものをなるべくそのまま活かして品を作る。その手つきは、驚くほど巧みだった。
手に持つ風車も、竹のしなりと紙の軽やかさだけで、見事に風を捉えていた。
春風を受けて、風車がくるくると回る。その様子に目を細めていると、アークが隣に並んだ。
「こんな場所があるなんて分からなかった。町からじゃ気づかないね」
私たちは今日の最後に、母から教えてもらった秘密の場所へ来ていた。ここは町から少し離れた小高い丘の頂に、木々に紛れるように建つ展望台だ。
母がこの国の姫だったころ、部下に命じてこっそりと造らせたらしい。
「母は辛いときや悲しいとき、よくここに来ていたと言っていました」
夕焼けに赤く染まる帝都を見つめながら呟く。あんなに賑やかだった町が、ここから見るととても静かで、なぜか少し悲しくなる。
ふとアークに眼差しを向ける。夕日に照らされた横顔が赤く染まっていた。
「本当にいい場所だね、フォルテ。連れてきてくれてありがとう」
「気にしないでください。私がアークと来たかったので――」
小さく首を振って答える。頭に差した飾り櫛がわずかにずれた。
「アークは、アークですよね?」
「ん? 何を言ってるんだ。当たり前だよ」
笑顔を向けるアーク。その瞳に映る私の顔には不安が滲んでいた。彼も私の変化に気づいたのか、眉を下げる。
「……あの試練で俺は大事な人に再会した。彼女を恨んでいた。でも、勘違いだった」
とくりと胸が跳ねる。
「悔やんでも、悔やみきれない。愚かな自分が許せない。その気持ちは今も変わらない」
アークは目を閉じた。
「それでも、救いがあったんだ」
ゆっくりと瞼を開き、彼は私を見つめる。鼓動が早くなる。これ以上、その先を聞いてしまえば、自分が壊れてしまう気がした。
「君が――」
気づくと私は彼の胸に飛び込み、抱きしめていた。
「そんな目で見ないで! 私は私です!」
涙が溢れ、頬を伝う。彼の瞳の奥に、別の誰かが見えた。
「あなたのすべてを知りたい。けど、それは今のあなたです。過去に引きずられないで!」
私はアークの胸を叩き、叫んだ。せき止めていた何かが音を立てて弾け、感情は抑えようもなく洪水となって溢れ出した。
何も言えず、ただ私を抱きしめるアーク。静かに時間が流れる。
やがて夜の帳に包まれ、青白い月明かりが辺りを照らし出す。その光は立ち尽くす私たちの足元を照らし、二人の境界を曖昧にした。
読んでくださり感謝です<(_ _)>
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