335 言わなくても分かること
トガシの里を後にしたアークと私は、上空から東洋連合国の景色を眺めている。試練を終えた彼は、すぐに帝都トウカンへ戻ることを提案した。
私は里の試練で疲れているアークを気遣い、もう一泊しようと言ったが、彼は首を振り、少しでも長く二人で休日を過ごしたいと告げた。
そして、私の手を取って魔法を展開し、水平になった空気の壁に飛び乗ると、そのまま飛翔した。ふと視線を落とす。カンゾウさんが笑顔で手を振っていた。
あっという間に遥か上空まで辿り着く。風は冷たく頬を刺すが、目の前に広がる景色と、肩から伝わるアークの温もりが、それを忘れさせた。
「空から見ると、一段と綺麗に見えますね。あちこちに桃色の花が咲いています」
肩に手を回し、私を抱き寄せるアークを見上げる。その瞳はいつにも増して穏やかで、熱を帯びていた。漆黒の瞳に浮かぶ星たちが、瞬きながら煌めいている。
(……嬉しいのですが、本当にどうしたのでしょうか?)
声に出して尋ねたい。けれど、それは彼の過去に触れることになりそうで躊躇う。この四日間でアークとの距離を縮めたいと思っていた。
でも、彼との距離が近づくほど、その影は濃くなり、輪郭を帯びて浮かび上がってくる。望んだことなのに、それが怖い。
(『けれど』、『なのに』……こんなにも心が揺れるなんて)
きゅっと胸が苦しくなり、自然と手を当てる。
「どうしたんだい、フォルテ。少し寒いかな。ごめん、なるべく早く戻りたくて」
そう言いながら、アークは肩に回した手に力を込め、私をさらに抱き寄せた。今度は鼓動が早くなり、胸を叩く。
目まぐるしく打つ心臓。このままだと破裂してしまうかもしれない。私は静かに深呼吸をした。
――――――――――――
帝都の手前で降りた私たちは、歩いて向かうことにした。人力車を使おうかとも思ったが、アークがゆっくり景色を楽しみたいと言ったので、開きかけた口を閉じた。
学園都市とはまるで違う風景に目を細める。最初は歩くことに苦戦した下駄も、今ではそれなりに慣れてきた。
上空とは違い、春風が心地よい。自然と口元が綻ぶ。そのとき、強い風が吹き抜け、街道に並ぶ桃色の木花が舞い散った。
思わず目を閉じる。やがて風は収まり、暖かな陽光を頬に感じた。そっと瞳を開けると、笑顔を向けるアークと視線が重なった。
「じっとしてて、フォルテ」
彼は腰を落とし、顔を近づける。その星空の瞳に、私の顔がはっきりと映る。まさか、こんな往来の激しい場所で――。
再び目を閉じそうになるが、そっとアークの手が伸び、私の髪に触れた。
「ほら、花びらがついていたよ。……あと、その櫛、とても似合っている」
「ありがとうございます。この花は、なんというのでしょうね。淡い薄紅色で綺麗です」
アークの指先にある花びらを見つめながら尋ね、真っ赤に染まった頬を誤魔化した。
「ああ、これは桜っていうんだ。春に咲く花だね」
街道に並ぶ桜を見つめるアーク。その視線は遥か遠く、ここではない別の世界を見ているような気がした。
私たちは再び歩き出す。少し先を歩く彼の背中を見つめる。濃紺の着物をそつなく着こなし、薄紫の帯にはナナシが差さっている。
アークはこの街道を行き交う誰よりも、着物が似合っていた。優雅に歩く姿に、男女を問わず見惚れている。
私は歩を緩め、彼の姿を全身で捉える。一枚の風景画のように収まりがいい――いや、良すぎた。
ここで生まれ育ってきたかのような雰囲気と佇まい。胸の内の疑念が確信に変わった瞬間だった。
私に気づかず歩いていくアーク。言いようのない不安に襲われ、私は彼に追いつこうと足早に歩き出した。
――――――――――――
帝都に着いた私たちは、すぐに宿を探した。どこがいいのか分からず周囲を見渡していると、アークが私の手を取り、歩き出した。
町の人たちが私たちを見る。その瞳には好奇の色が滲んでいた。
「この国の人たちは、あまり人前で手を繋いだりしないみたいだね。慎ましいと思うけど、もう少しはっきりと相手に伝えるべきだと思う」
彼の言葉の裏には、自責と後悔――二つの気持ちが隠れていた。なぜなのか分からないが、そう感じた。
その瞳を見て、あの日を思い出す。我が主を裏切り、彼を追って魔界へと堕ちた私。あのとき向けられた眼差しと、今の彼の瞳には同じ色が宿っていた。
無言で見つめる私に、アークは苦笑いを浮かべる。私の口から、自然と言葉が漏れる。
「そうですね。気持ちは、はっきりと伝えてくれたほうが嬉しいです。ですが、言わなくても分かることもあります。あまり気にしないでください」
その瞬間、彼は目を大きく見開いた。何気ない言葉だったと思う。慰めと労りを込めたが、それだけだ。
だけど、今の彼にはその言葉が必要だと思った。そう思えるほど、彼は驚き、そして救われたような、泣き出しそうな顔をしていた。
唇が震えるアーク。私は静かに手を伸ばし、彼の目元に浮かぶ涙をそっと拭った。
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