330 試練への招き、鎖鎌が示すもの
トガシの社の屋敷に泊まった私たちは翌朝、食事を済ませると、カンゾウさんに呼び出された。向かった部屋はとても広く、一面に畳が敷かれていた。
昨夜、夕食のとき、カンゾウさんが私たちに屋敷の造りやこの国の文化のことを、色々と教えてくれた。その中に畳のこともあった。
ただ、アークは耳を傾けて頷くだけで、質問することはなかった。昨夜のことを思い出し、彼の横顔を見つめるが、彼は笑みを浮かべるだけだった。
やがてカンゾウさんが部屋に入ってきて、私たちに座るよう勧める。だが、私は床に座ったことがなかった。
アークを見ると、揃えた両膝を折り、踵の上に尻を下ろしていた。背筋は真っ直ぐに伸び、手は太腿の上に軽く添えられている。
私は見よう見まねで、座布団の上で膝を折って腰を下ろす。だが、片側にずれて足が横へ流れてしまう。まるで海辺で休息をとる人魚のような座り方しかできず、頬を染める。
「まあ、無理に正座をする必要はない。気が利かなくてすまないね」
カンゾウさんは笑顔で頭を下げ、手を叩く。すると襖が開き、女性が顔を覗かせた。
「悪いが、椅子を二つ持ってきてくれ」
女性は深々と頭を下げ、襖を静かに閉めた。しばらくすると、再び襖が開き、彼女は椅子を持った男性を連れて入ってくる。
カンゾウさんが目配せすると、男性は私とアークの後ろに椅子を置いた。私は男性とカンゾウさんに礼を述べ、見慣れたその背もたれに腰を下ろす。
だが、アークは床に座ったまま、微動だにしなかった。
「アーク様、それは少々配慮に欠けるというもの。大事なお連れの方を独りにせず、貴方も椅子にお座りなさい」
一瞬、アークの肩が揺れたが、すぐに頭を下げて立ち上がり、隣の椅子に静かに座った。その姿に笑みを零すカンゾウさん。その瞳には、我が子へ向けるような優しさが宿っていた。
「左様、それでいい。……さて、本題に入りましょう。阿修羅様を見つけた経緯については、昨夜つぶさに伺いました。そのお礼といっては何ですが――。アーク様、よければ我が里の『試練』を、受けてはみませぬか」
思いがけない言葉に眉を上げる。お礼が『試練』とは、どういうことだろうか。じっとカンゾウさんを見つめるが、笑顔を崩さない。
「なるほど、『試練』ですか。でも、いいのですか? 里の者でもない私が受けても」
静かに告げるアーク。その気配が、研ぎ澄まされた刃のように変わった。彼は驚いていなかった。ただ、カンゾウさんを真っ直ぐ見つめ、その真意を見極めていた。
「もちろんです。金品よりも、こちらのほうが貴方にはいいだろうと――。そう思った。それに儂はこの里の首領です。誰も異論を言いますまい」
カンゾウさんの気配も変わる。笑顔は変わらないが、身に纏う空気が冷たく、鋭利な刃物のように突き刺さる。私はごくりと喉を鳴らした。
――――――――――――
「それでは、この祠の奥へお進みくだされ。さきほども説明しましたが、魔法は禁止。己の肉体のみで挑んでいただきます。少しでも魔法が発動すれば、その腕に巻かれた組み紐が千切れ、そこで試練は終わります」
結局、試練を受けることにしたアークは、手首に巻かれた青い組み紐を見つめて頷いた。そして、私にナナシを手渡す。
「魔力が使えないから、これはフォルテが持ってて。せっかくの二人だけの時間なのに、ごめん。この埋め合わせはきっとするから」
頭を掻き、申し訳なさそうにするアーク。今まで一度もわがままを言わなかった彼が、初めて私を頼ってくれた。
その事実がじんわりと胸に広がり、気づけば私の口元は緩んでいた。
「気にしなくていいですよ、アーク。だけど、『埋め合わせ』は期待させてもらいますね♪」
アークは目を丸くするが、すぐに頬を掻き、小さく頷く。そして、カンゾウさんのほうへ歩いていった。
「それでは、好きな武器をひとつだけ選ばれるがよい」
祠の前には縦長の机が置かれ、その上には見たこともない武器も並んでいた。アークはその前に立ち、じっくりと見定める。
「じゃあ、これを貸してください」
「ほほう、鎖鎌ですか。やはり、あなたは――」
カンゾウさんは目を細め、彼を見つめる。アークが手にした武器は、三日月のような刃が付いた柄から鎖が伸び、その先には分銅のような鉄の塊が付いていた。
中等部のときに使っていた武器に似ているが、あれは二本のショートソードを鎖で繋いだものだった。
あのころから、彼はどこか他の人と違っていた。そのことを思い出し、胸がざわつく。出会ったころから、アークには秘密があった。
それはルキフェルの生まれ変わりだけじゃない。でも、それが何なのか分からない。目立つことを恐れ、それでも周りの人を助ける。
相反する行動――胸がきゅっと痛み、アークを見つめる。彼は笑顔で手を振り、背中を向けた。
何も言葉をかけられなかった。ただ、その後ろ姿を見つめ、彼が無事に試練を終えることを願う。
アークが静かに祠へと進む。その瞬間、春風が吹き抜け、砂塵が舞った。気づくと彼の姿はなく、漆黒の奈落から、人とも獣とも分からぬ咆哮が聞こえた。
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