328 贈られた櫛、春路に滲む郷愁
『呉服店』から出た私たちに視線が集まる。せっかくこちらの服装――着物に着替えたというのに、まだ目立っていた。
腑に落ちない。私が首をひねると、アークの声が届く。
「その姿なら仕方ないかもね。すごく綺麗だ」
濃紺の着物に薄紫の帯を締めた彼の姿は、初めてだという言葉が信じがたいほど板についていた。
春風に白銀の髪をなびかせ、形のよい顎に手を当てて微笑むアーク。目を奪われ、ぼうっと立ち尽くす。
「その桃色の着物と、小紋の黒い帯――どちらもフォルテに似合っている」
アークは目を細め、袖口に手を入れた。
「これを受け取ってほしい」
袖から取り出したのは、掌より少し大きな木箱だった。私はそれを受け取り、そっと蓋を開ける。
「これは、綺麗ですね。櫛ですか?」
中には銀――白金に金の装飾が施された飾り櫛が入っていた。アークは小さく頷き、櫛を手に取ると、私の髪にそっと差した。
「うん、やっぱり似合っている。その二つの瞳には――」
私の白金と金のオッドアイに、彼の笑顔が映る。突然のことで、私は混乱する。神界のころから今に至るまで、こんな素敵な贈り物をもらったことはなかった。
通りの往来が激しい中、恥ずかしげもなく私の髪をなでるアーク。多くの女性が立ち止まり、頬に手を当てて熱い視線を向けている。
耳まで赤く染めた私は耐えきれず、この場から逃げ出そうとする。だが、履き慣れない下駄に足を取られ、躓いた。
その瞬間、すっと手が伸び、ふわりと体が浮く。
アークは微笑みながら私を抱きかかえ、そっと地面に下ろした。そして私の手を握ると、多くの目が集まる中、悠然と歩き出した。
――――――――――――
「見てみなよ、あんた。あんなに綺麗なお二人連れ、滅多に拝めるもんじゃないよ。どこかの州のお姫様とお殿様かね」
「ほう、たしかにな。お忍びでここに来たのかもしれないが、あれじゃ誰の目から見ても、ばればれだな。まあ、娑婆に慣れていない様子だし、仕方ないか」
手を繋いで歩く私たちに、町の人たちの声が耳に届く。
どうやら私たちは、彼らに勘違いをさせたらしい。この国を構成する諸州――そのどこかの王家の血を引く人間だと、そう信じ込んでいるようだ。
たしかに私はババルニア王国の王女だし、母はこの国を統べる帝の姉だ。それに隣に並ぶアークは、見まごうことなき絶世の美男子――。
高貴な血を引く私と、傾国の美しさを持つアークが並べば、否が応でも注目されてしまう。ようやく自分たちが目立つ理由に思い至った。
私の手を引く彼を見やる。どうやら彼は気づいていないらしい。私は密かに肩をすくめると、通りの端で所在なく佇む車夫に声をかけた。
「すいません、お願いしたいのですが、大丈夫ですか?」
「あいよ! ちょうど手持ち無沙汰でね、今日は空きがあったんですよ」
壮年の男性は、白い歯を見せて笑った。その後ろには立派な二輪の乗り物が控えている。日に焼けた彼の身体には無駄な脂肪がなく、とくにその足は驚くほど太く逞しかった。
この国特有の乗り物――人力車。アークに視線を向けると、彼は少年のように目を輝かせていた。
「よかった。それでは少し遠いですが、トガシの里までお願いできますか?」
「もちろん、お安い御用だ。これで家に帰っても、かかぁにどやされずに済む」
陽気な返答に、思わず笑みがこぼれる。私は帯に下げた巾着から、小判を一枚取り出して手渡した。
「おいおい、お嬢さん。そんな大金を渡されても、お釣りが出せねぇや。もう少し細かいのは持ってないかい?」
「お釣りはいりません。奥さんに何か買ってあげてください」
車夫は目を見開いたが、すぐに人懐っこい笑顔に戻り、両手で小判を受け取ると、大事そうに懐へ入れた。
「じゃあ、気合を入れないとな。お二方、運がいいぜ。このトウカン随一の車夫――韋駄天のカナグリ様の本気の走りが見られるんだ!」
そう告げた彼は、駆け足で人力車へ戻り、私たちの前へ引いてきた。朱塗りの見事な車体。彼は梶棒を地面に下ろし、慣れた手つきで私に腕を差し出した。
私はその腕を借り、座席へ腰を下ろす。遅れて乗り込んできたアークは、座席が水平に持ち上がる独特の浮遊感に短く息を漏らした。
「じゃあ、出発するぜ。舌を噛まないよう気をつけろよ!」
車夫は叫ぶと同時に走り出した。彼の両足がわずかに輝いている。身体強化魔法を施したようだ。みるみると速度を上げる人力車。私たちは流れる景色に目尻を下げた。
――――――――――――
異国情緒あふれる景色に目を奪われる。町を抜けて街道に出ても、その美しさは変わらなかった。
独特の曲線を描く松の木や、整然と並ぶ田園は、ババルニア王国では見ることができない素朴な魅力にあふれていた。
行き交う人たちも着物をまとい、談笑しながら優雅に歩く。冒険者らしい人たちが持つ武器も、刀や薙刀――あまり見ない形のものが多かった。
ちらりとアークを見やる。彼はどこか郷愁を滲ませた瞳で、目の前に広がる風景を見つめていた。
(……彼は初めて来たはずなのに)
とくりと胸が跳ね、母の言葉がよみがえる。
『彼は「忍び」として一流よ。私なんかよりずっとね。不思議だと思わない。アーク君はずっとババルニア王国に住んでいたのに』
幼いころ、シュバルツ帝国に誘拐されたとき、彼は助けてくれた。いま思えば、あのころから彼は卓越した忍びの技を使っていたような気がする。
私はアークの横顔を見つめる。普段と同じはずなのに、なぜか別の誰かと重なって見えた。けれど、それさえも愛おしく思え、熱い吐息が漏れる。
そのとき、かすかに車体が揺れた。気づくと、目の前には杉並木が続く参道がまっすぐ伸びていた。
そして、その奥には霧が立ち込め、社の影がうっすらと浮かび上がっていた。
読んでくださり感謝です<(_ _)>
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