326 祈りの形、恋の形
ヘレナを助けてから四日が過ぎた。俺とサラは聖都アステリアでの最後の日を迎えた。この四日間、俺たちは久しぶりに観光を楽しみ、買い物や食事を満喫した。
本当に楽しかった。サラとゆっくり会話ができ、互いの関係を深めることができた。それに、聖都の人たちの生活を間近で見られたことも嬉しかった。
彼らは信心深く、我が主に惜しむことなく祈りを捧げていた。貧富や身分の差など関係なく、その表情は皆、穏やかで幸せに満ちていた。
この聖都で過ごした日々を思い返しながら、俺は宿屋の受付の隣にあるサロンで彼女を待っていた。
窓から白壁の建物が立ち並ぶ聖都を眺める。サラが勧めた宿は中心部から少し離れた小高い丘の上にあり、そこからは街の営みが一望できた。
あそこに多くの人々が暮らし、安らかな時を刻んでいる。そう思うと、自然と口元が綻ぶ。
「おはよう、アッくん。待たせちゃった!?」
桃色の髪をなびかせ、サラが駆け寄る。俺は笑顔を浮かべ、首を横に振った。
「いや、大丈夫だ。窓から見えるこの風景を見ていたら、時間なんてあっという間だったよ」
俺は立ち上がり、彼女の手を取る。サロンにいる多くの人から視線を集めるが、もう慣れてしまった。
どんなに変装しようが、サラの美しさは隠せない。男女関係なく見惚れている。俺は桃色の髪から覗くサファイアの簪を見つめる。
「ふふ、このピンクの髪に合っているでしょ。元の青色の髪に戻したら、どうなんだろ?」
首を傾げるサラ。その姿が眩しくて目を細める。俺はサファイアの簪にそっと手を触れて答える。
「きっと、よく似合うと思うよ。いつものサラを思い浮かべて、作ってもらったんだから」
サラの虹色の瞳が輝く。普段の青空のような紺碧の瞳も素敵だが、変装したサラも魅力的だった。
さらにこちらに視線を向ける人の数が増える。立ち止まって、じっと見つめる人まで現れた。俺は苦笑いを浮かべた。
「サラ、とりあえずここを出よう。どうやら皆、君のことが気になるようだ」
俺が手を握り、足早く歩き出すと、サラの声が届く。
「私だけじゃないと思うけど……。そんなところは、以前のままね」
どこか諦めたような気配が滲む言葉に眉を下げる。だが、何を言っても、この現状が変わるわけではない。俺は握る手に力を込め、歩く速度を上げた。
◆
手を引っ張り、足早に歩くアッくんを見つめる。彼は変わった。自信がないのは相変わらずだが、その目には強い決意と覚悟、そして慈愛が宿っていた。
不敬かもしれないが、我が主と少し重なるときがある。とくに幸せな聖都の人々を見つめる目は、親が子を慈しむような我が主と同じ光が滲んでいた。
ここに連れてきてよかったと思う。リュック教皇陛下が心血を注ぎ、街の隅々まで『祈りの形』を行き渡らせた場所だ。
教会の入口には、誰もが手を伸ばせる高さに木箱が置かれている。お布施を落とす者もいれば、何も入れずに頭だけ下げていく者もいる。
それでも扉の向こうでは、皆が平等に癒しを受ける。子どもが泣きながら駆け込めば、先に祈りが与えられる。
朝からは炊き出しが行われ、その湯気が、街角に淡い匂いを残す。空腹の顔が消えたわけじゃない。だけど、誰もが明日に怯えてはいなかった。
代わりに、街はよく動く。箒の擦れる音、水桶が揺れる音。仕事を失った者が座り込まないように、手を動かす場所が教会から用意されている。
リュック教皇陛下は、その仕組みを「正しさ」ではなく「習慣」にした。誰かの痛みを見なかったことにしないために。自分の取り分を削ってでも。
ここは楽園じゃない。だけど、人が幸せになる権利を、最初から諦めさせない場所だ。私は丘を駆け下りながら、白壁が連なる聖都を見つめた。
――――――――――――
聖都の中心部に着いた私たちは、歩きながら最後のデートを楽しむ。結局、この旅の本当の目的――あの『キス』の約束は、まだ果たせそうになかった。
だけど、アッくんが私のためにサファイアの簪を贈ってくれた。それだけで十分だ。それにこの四日間は本当に楽しかった。
ヘレナの痛ましい姿には、今でも思い出すたびに胸が痛くなる。
だけど、彼女は悪魔憑きから解放され、エリザベートの分まで幸せになると教皇陛下に告げたと聞いた。なら、痛ましい過去は忘れてしまったほうがいい。
私はアッくんの手を握り、とっておきの場所へ案内する。中央広場を抜け、繁華街を横切って、聖都の外れにある古びた教会に着く。
ここはまだ区画整理がされておらず、住む人は少ない。少ない荷で辿り着いた人たちが、雨の夜だけ身を寄せる場所だ。
――ここはリュック教皇陛下も知らない。
私は教会の扉をそっと押す。錆びた金具が擦れ、低い金属音が鳴る。そこには安物のステンドグラスから差し込む光に照らされた講堂があった。
少し埃臭いが、見た目よりも清潔だ。私の代わりに修道女見習いの子たちが掃除に訪れているようだ。隅に置かれた箒が新しい。胸の奥が、きゅっとなった。
「ここは一体なんだい?」
不思議そうに尋ねるアッくん。いきなりこんな場所に連れてこられて、困惑しているようだ。
「ふふ、ここは私の原点。聖女の無力さを教えてくれた場所なの」
そう言って、奥へと歩いていくと、講壇の向こう――我が主を象った像のもとに辿り着く。その足元には安らかに眠る人たちがいた。
「……この人たちは?」
かすかに震える声で彼が尋ねた。
「この人たちは、過酷な人生を強いられ、それでも神を信じ、最後をここ――聖都で迎えた人たちよ。いつしか、ここはそのような人たちが集まる場所になったの」
彼らは生まれながらに体の一部が欠損していた。それでも神を恨むことなく、貧しいながらも懸命に生きた。
ここを知ったのは偶然だった。聖女の修業に耐えきれず、逃げた先で見つけた場所だった。中に入り、彼らを見たときは驚いた。
すぐに彼らに治癒魔法を施したが、効果がなかった。涙を流す私を、皆が『神が与えてくれた試練』だと笑顔で慰めてくれた。
私は彼らの顔を思い出し、両手を組んで神へ祈りを捧げた。
「無垢なる魂の救済」
その瞬間、石床に横たわる人々が光の粒子へと変わり、我が主――その神像へと吸い込まれていく。
「今度こそ、幸せな人生が送れますように――」
聖女だろうが救えないものがある。彼らがそのことを教えてくれた。涙が頬を伝う。
「ふふ、デートの最後がこんな場所でがっかりした? けど、アッくんに知ってほしかったの。私がなぜ人を救うことに一生懸命なのか」
泣きながら笑う私をアッくんはじっと見つめ、ピアスと髪飾りを外し、いつもの彼に戻る。
白銀の髪と漆黒の瞳がステンドグラスの光に照らされて煌めく。アッくんは静かに私のもとまで歩み寄ると、そっと頬に手を添えた。
「君を好きになってよかった、サラ。愛してる」
とくりと胸が跳ねた。返事をしようとして、息だけが喉に引っかかった。アッくんは口を開きかけた私を、その唇で優しく塞いだ。
ここまで読んでくださってありがとうございます。
ブクマか★、どちらかだけでも入れていただけると励みになります<(_ _)>




