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転生忍者は忍べない ~今度はひっそりと生きたのですが、王女や聖女が許してくれません~  作者: 黒鍵


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322 祈りの形をした檻(2)

 一瞬、目に映ったあれは何だったのか。思い出そうとして私の指先が震える。横たわる影のように黒き少女。瞼と唇の縫い目は――。


 喉の奥から熱いものが込み上げ、口元を押さえる。


 石床に額を擦り付け、吐き気を懸命に押し込む。それでも、彼女の姿が脳裏をよぎるたび、熱が喉を逆流した。


 思考は乱れ、何も考えられない。石床に爪を立てる。その瞬間、肩を掴まれて抱き寄せられる。背後から温かいものが伝わる。


 息は荒く、顔も手も汚れている。だけど、その腕はしっかりと私を支え、離そうとはしない。


「サラ、大丈夫だ。俺がいる」


 短い言葉だった。でも、それだけで体の震えが止まる。振り返ると、涙で滲む視界に、星空のような瞳で見つめるアッくんの姿がぼんやりと映る。


 彼は私の背中をゆっくり摩り、呼吸の乱れをほどいていく。やがて戦慄が引き、思考がはっきりとしてくる。


 深く静かに呼吸を繰り返す。私は起き上がり、アッくんを見つめる。その顔には安堵と不安――二つの気持ちが複雑に重なり合っていた。


「もう大丈夫。ありがとう、アッくん」


 無理に口角を上げようとしたが、ひどく強張るばかりだった。だけど、彼は私の頬をそっと撫で上げた。


「無理はしないでいいから」


 白銀の髪から覗く漆黒の瞳に私が映る。聖女とは思えないひどい顔だった。それでも彼は慈しみを込めて微笑んだ。


 ようやく私は心から笑みを浮かべた。――そのときだった。背後で、ごとりと物音がした。


 あの影のような少女を思い出し、口元を押さえた。そんな私の肩にアッくんは静かに手を置き、視線を落とす。


 そこには古びた金色のロザリオが輝いていた。私は思い出した。ここに来た目的を。エリザベートの約束を果たし、ヘレナを救うために来たのだと。


 アッくんの手の上に私の手を重ね、目を閉じて呼吸を整える。そして、振り向き、瞼を上げる。


 そこには全身を闇色に塗りつぶされた少女がいた。その目と口は、黒く捻じれた縒り糸で縫い付けられている。


 背中を丸めて両手を組む姿は、胎児のようにも、祈るようにも見える。ただ、両手から伸びる爪は鋭く弧を描き、己の手の甲へ深く食い込み、縫い留めていた。


 自らが望んで、そんな格好になったのか分からない。だが、その姿は祈りの形をした(のろい)、そのものだった。


 私たちは横たわる漆黒の少女――ヘレナへと歩み寄る。縫い付けられた彼女の口から、わずかに声が漏れる。


 近づいてその声を拾おうとしたとき、アッくんが止めようと手を伸ばすのが見えた。だが、私は無視して、彼女の口元まで耳を近づけた。


「お゛ね゛ち゛ゃ゛ん゛」


 祈りの言葉ではなかった。数世紀もの間、孤独と苦痛に耐えてきた。彼女が求め続けたものは、エリザベートだった。


 視界が滲む。だけど、今は一刻も早く、彼女を解放する。私は涙を拭い、ロザリオを掲げた。その瞬間、光が放たれて天井に文字が映し出される。


 見たこともない記号――いや、文字に言葉を失う。そこに書かれているものが悪魔憑きを解く『言葉』なのか、それすら分からない。


 私は手掛かりを求めてロザリオを見つめる。そのとき、アッくんの声が響き渡った。


「∂……∇……」


 鼓膜が軋む。言葉にならない音列だった。喉の奥を擦るような響きが、祈りの静寂を汚していく。


 気づけばアッくんは隣に立ち、天井の文字を見つめ、文字を読み上げていた。


 やがて口を閉じ、彼は視線を落とす。


 状況が理解できない。だけど、彼が何かをしたことだけは分かった。私もヘレナを見ると、彼女にこびりついた闇が剥がれいく。


 目と口を縫い付けていた漆黒の縒り糸は解けて、地面へするりと落ちる。そして、手の甲に突き刺さっていた爪も、人の形に戻るようにボロボロと崩れて床に落ちた。


「本当にメフィストは最悪だ。解呪の言葉を悪魔の文字で書くなんて」


 吐き捨てるように呟くアッくん。ロザリオが映し出した記号は、上位の悪魔が使う文字だった。


 ――だが、なぜ彼は知っていたのだろうか。


 視線をアッくんに向ける。


「仮にも俺は魔王だったんだ。悪魔の文字くらい読めるよ」


 少し悲しげに見える彼に胸が締め付けられる。すでに我が主から許しは得ている。それでも彼の中で、主を裏切った(いたみ)が消えることはないのだろう。


 私はただ、彼の横顔に眼差しを注ぎ続けた。そのとき、足元で小さなうめき声が上がる。咄嗟に膝をつき、ヘレナに視線を這わせる。


 黒く濁っていた肌は白く透き通り、ぼさぼさだった髪も艶やかさを取り戻していた。だが、その美しさを汚すように目元や唇、手の甲に痛々しいほどの傷跡が刻まれていた。


 私は目を逸らすことができなかった。美しければ美しいほど、その傷は鋭い棘となって、見る者の胸を刺した。


 すぐに治療をしようと伸ばした手が、直感的な恐怖に凍りつく。振り返った視線の先、アッくんの瞳は暗く底の見えない冷たさを沈めていた。


 彼が手にするナナシの刃は蒼く燃え上がり、切っ先は陽炎のごとく不気味に揺らめいていた。


 ひゅっと息を呑む。


 刹那、アッくんは蒼い刃を振り下ろした。咄嗟に私はヘレナに覆いかぶさり、声にならない叫びが、喉の奥で震えた。


(お願い、ヘレナじゃない――それ(・・)を斬って)

読んでくださり感謝です<(_ _)>

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― 新着の感想 ―
 視覚的で痛覚を伴うような鋭い描写ーー  呪いが解け、痛々しい傷跡を残したヘレナを救おうとした直後、  突如としてアッくんが冷酷な瞳で刃を振り下ろすラストシーンは、  どこかダークファンタジー感…
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