320 春休みの約束と、聖都の影
ミリーの出産騒動の翌日、俺とサラはユーべニア聖国――聖都アステリアの街を、大聖堂へ向けて歩いていた。
機嫌よく俺の腕を組み、肩を寄せるサラを感じながら、俺は昨日のことを思い返す。
――本当は獣王の試練を終えた俺は、屋敷でゆっくりしたかった。
だが、白虎のシロを俺の子と偽ったミリーと、それに本気で怒ったサラとフォルテが喧嘩を始めた。
俺は三人を懸命に止めようとした結果、後ろから抱きつき、耳元で彼女たちが望む言葉を囁くことになった。
――意味が分からない。
しかもそれが原因で再び喧嘩を始めた三人を、俺はどうすることもできず、屋敷に逃げ込んでしまった。
その後、落ち着いた三人と会って、改めて謝罪すると、彼女たちは笑顔で許してくれた。
「私たちも悪かったって思ってるから、アッくん」
「サラの言う通りです。気にしないでください、アーク」
「そうだにゃ、シロは本当の赤ちゃんが生まれる前の予行演習と思えばいいにゃ」
だが、ミリーの言葉で再び緊張が走り、俺の心は折れかけるが、ぎゅっと唇を噛んで顔を上げる。
「そ、そこで俺から提案があるんだ。残りの春休みは三人で過ごそうと思う。婚約者として、少しでも仲を深められたらな、って――」
その瞬間、黒と金、オレンジの閃光が視界を塗りつぶした。目を閉じたが、瞼を透過した光が網膜に鮮烈な残像を刻みつけた。
やがて光は収まり、ゆっくりと視界が戻ってくる。目の前には天使化した三人が並んでいた。彼女たちの背後に、サタナル、ミゲイル、ケビエル――それぞれの気配が重なる。
「残りの春休みということは、あと二週間。その間、私たちと一緒に過ごすということですか?」
まず漆黒の翼をなびかせながら、フォルテが尋ねた。俺は黙って頷く。
「その二週間、どこで何をするか――私たちで決めていいのかな?」
続いて金色の翼をはためかせ、サラが首を傾げると、俺は首を縦に振る。
「にゃるほど、なら何もしてもいいってことにゃ!」
最後にミリーが瞳孔を縦に細め、橙色の翼を広げて告げた。もちろん、俺はゆっくりと首を横に振った。
「にゃんで、私だけ否定するにゃ!」
すかさずミリーが抗議の声を上げるが、彼女だけは何かとんでもないことをしそうな気がして、頷くことはできなかった。
「ミザリーの寝言は無視して、私から提案があります。まず、三人一緒ではなく、それぞれと過ごしてほしいです。一緒にいれば、また喧嘩をするかもしれません」
フォルテの言葉にサラとミリーが頷き、俺を見る。たしかに今まで彼女たち一人ひとりと過ごす時間がなかった気がする。俺も一瞥して応じる。
「なら、残り二週間。それぞれ四日間で分けましょう。残り二日はアッくんが好きにすればいいと思うの」
サラは笑顔で告げる。「残り二日」――その言葉に笑みが零れそうになる。俺にも自由な時間を残してくれた彼女に、思わず目を輝かせた。
その瞬間、サラは顔を赤らめて俯くと、ミリーが間に割って入って視線を遮り、言い放つ。
「私は最後でいいにゃ。実家に戻ってガリュウ兄上に獣王の試練を成し遂げたお祝いをしたいし、家族にも会いたいにゃ。さっきまでアーたんたちは兄上に会っていたから、少し時間を空けたほうがいいにゃ」
ミリーが、まともなことを言った。俺は思わず眉を上げる。さっきまで顔を赤く染めていたサラでさえ、口を開いて呆然としていた。
「そうですね、私も母の祖国――東洋連合国に行きたいのですが、少し準備があります。なので、もしよければ、サラに譲りたいのですが……」
誰よりも早く気を取り直したフォルテが口を開いた。東洋連合国――あの国には俺も用事がある。十王の遺跡で回収した阿修羅像を返さなければならない。
顎に手を当てて思案していると、サラが手を挙げた。
「決まりね、私が一番ってことで。アッくん、大聖堂アステリアの最奥に幽閉されているエリザベートの妹――初代聖女ヘレナを一緒に救って」
その声には彼女の切なる想いがこもっていた。否定などできるはずがない。俺はサラに向かって深く首を垂れた。
「もちろんだ。それにメフィストのことも気になる。俺の知らない悪魔。やつらが何を企んでいるのか、少しでも情報がほしい」
俺とサラは見つめ合う。ヘレナの解放とメフィストへの制裁――この二つが今回の旅の目的だ。最低でもヘレナだけは救ってみせる。
「じゃあ、時間も勿体ないから、すぐに出発しましょう。アッくんやフォルテほどじゃないけど、私もミゲイルと『真の一体化』が進んで、万物変化魔法が使えるようになったから」
サラが笑顔を浮かべて手をかざすと、目の前の空間が捲れる。その向こうには聖都への入口――大聖門が見えた。
つい苦笑いを浮かべる。サラの気持ちは分かるが、まだ準備ができていない。俺は少し時間がほしいと彼女に伝え、足早く自分の部屋に戻った。
――――――――――――
白を基調にした美しい街並みを眺めながら、三時間ほど前――サラたちの会話を思い返していると、壮麗な建物が見えてきた。
「アッくん、あれが大聖堂アステリアよ。あの一番奥の地下室にヘレナは幽閉されているはずなの」
白い石の照り返しが、目に痛い。視界を埋め尽くす大聖堂。それは純白の壁に金銀の細工が踊り、神々しいまでの光を放っていた。
だが、この豪奢な石造りの奥底、光の届かぬ冷たい地下室には、永きにわたり救いを奪われ続けた初代聖女ヘレナが囚われている。
――そう思うと、俺はこの神聖なはずの神殿が、教団の醜聞を覆い隠すための虚飾に満ちた牢獄に見えた。
考えすぎだと、サラに視線を移す。彼女も俺と同じように大聖堂を見上げる。その瞳がわずかに揺れ、影が差した。
やがて俺たちは並び、静かに歩を進める。大聖堂の入口でサラが手続きを済ませ、奥へと通される。ミサがない講堂は人気がなく、静寂に包まれていた。
巨大なステンドグラスを背景に我が主を象った像が鎮座している。その足元に視線を落とす。そこには、悲しげな笑みを浮かべて佇むリュック教皇陛下がいた。
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