319 おしぼりの温度、金平糖の色
ミザリー、サラ、フォルテ――睨み合う三人を残し、俺は転がるように玄関へ駆け込む。
肩で息をしながら顔を上げると、ヘンリさんが深々と頭を下げ、そっとおしぼりを差し出した。
以前、ウント村で起きた事件を解決したとき、温泉を見つけたことがある。あのとき村の観光資源にしてほしいと、様々なアイデアを村長たちに伝えた。
その中のひとつが「おしぼり」だった。この世界は魔法に頼り過ぎて、ホテルやレストランでも受付で洗浄魔法を施されて終わりだ。
それだけでは少し味気ないと感じた。冬は温かく、夏は冷たくする。相手を気遣う、そのひと手間が大事だと教えた。
湯気の立つタオルを受け取り、あのときの言葉を思い返す。顔や首筋を拭うと、冷えた体が少しだけ温まり、心がほぐれた。彼女の気遣いに感謝する。
「ありがとう、ヘンリさん。あっ、ただいまだね」
「お帰りなさいませ、アーク様」
彼女は朗らかに笑みを浮かべ、俺からおしぼりを受け取り、再び頭を下げた。
「申し訳ありませんでした。あれほど口止めされていたのに、ミザリー様に『妊娠』のことを話してしまって」
俺は眉を下げ、首を横に振る。彼女に罪はない。サラとフォルテ、そして何より俺が悪かった。
「謝るのは、俺のほうだよ。ヘンリさんに嫌な思いをさせてしまった。ごめん」
ヘンリさんに頭を上げさせ、俺は謝罪した。ぎゅっとおしぼりを握り締める彼女に笑みを浮かべる。
「本当に気にしないで。それにミリーとは仲直り……いや、まだだったな。と、とりあえず俺は自分の部屋で休むよ。悪いけど、誰も入れないで。頼むね!」
俺は真剣な表情でそれだけ告げ、足早にその場を後にした。
――――――――――――
部屋に向かう途中、俺は居間でお茶の準備をするアドニスとタルロスを見かける。アドニスは背中のシロをあやすように揺らしながら、テーブルを整えていた。
楽しそうに色皿を置くアドニスを見つめる。タルロスもさきほどより機嫌がいい。そして、アドニスに負い紐で背負われたシロは、気持ちよさそうに喉をゴロゴロと鳴らしている。
(よく考えたら、五大邪竜のうち三柱がここにいるんだよな。まあ、アドニスは神竜に生まれ変わったし、シロも虎だ。ちゃんとした邪竜は、ヘルドラゴンのタルロスだけだ)
思わず笑みが零れた。そのとき、タルロスと視線が重なる。彼女はティーセットが乗った銀のトレイをテーブルに置き、こちらを睨む。
「おい、何か用か? フォルテ様たちはどうした? まさか置いてきたのか?」
眉を上げる彼女。その瞬間、稲光が窓から差し込み、続けて白い閃光が迸った。俺は開きかけた口を閉じ、外を見やる。
「アーたんはどこにゃ~~。慰めてあげるにゃ~~」
かすかに声が届く。まだミザリー、サラ、フォルテは外にいるようだ。被害がないことを祈りながら、視線をタルロスに戻した。
「……まぁ、俺がいないほうが話もまとまるかな、って思って」
かなり無理がある。そんなことは承知しているが、それ以外の言葉は思いつかない。タルロスに睨まれるが、弁明できない。
いたたまれなくなった俺は万物変化魔法で空間を穿ち、レーヨンの町で買ったお菓子を取り出した。
「えっと、タルロスとアドニスにお土産があるんだ。この学園都市にはないから、珍しいと思う」
俺は気まずそうに告げ、テーブルに小瓶を並べていく。その様子を見ていたアドニスが大声で叫んだ。
「これって、『金平糖』だよね。すごい、こんなに色があるんだ! どれも美味しそうだね!」
アドニスは口元を綻ばせ、テーブルに並べられた小瓶を見つめる。白銀の瞳はきらきらと輝いていた。その姿にタルロスは、開きかけた口を閉じて目尻を下げる。
「ねえ、アーク。食べてもいい!?」
俺が笑顔で頷くと、アドニスは小瓶の蓋を開け、赤い金平糖を掌にのせた。あれは、たしか苺の果汁が混ざっていたはずだ。
アドニスは金平糖を宝石を見るかのようにじっと見つめると、一粒口に放り込んだ。
「甘いね、アーク。だけど、少し酸っぱいや」
酸味は混ぜ込んだ苺のせいだと説明し、他の金平糖も勧める。黄色はレモン、青色はブルーベリー、紫色はブドウ――様々な果汁で色と味を付けている。
俺の話を聞きながら、アドニスはテーブルに並べた小瓶を開け、色皿に金平糖を載せていく。やがて虹色の山ができた。
「すごく綺麗だね、アーク。食べるのが勿体ないや」
アドニスの無邪気な姿に、俺もタルロスも――そして、シロも笑顔になる。俺は折れかけた心が癒されていくのを感じた。
やがてアドニスは金平糖を一粒摘むと、タルロスのもとに歩いていく。
「はい、お姉ちゃん。あーん」
タルロスがたじろぐ。五大邪竜の中でも最強と謳われるヘルドラゴンでも、可愛い弟の前では形無しだ。俺が必死に笑うのを堪えると、じろりと睨まれる。
それでもアドニスは手を下ろさない。彼女は小さくため息をつき、少し腰を落として口を開いた。アドニスは笑顔で黄色い金平糖を、その中へと入れた。
その瞬間、タルロスは眉を上げて口の中で金平糖を転がし始める。どうやら彼女も気に入ったようだ。
部屋の中に穏やかな時間が流れる。俺はようやく帰ってきたのだと実感し、アドニスに感謝を伝えようと視線を向けた。
そのとき、背中のシロが自分も欲しいとガウッと鳴き、俺たちは笑い出した。
遠くで雷鳴と轟音、そしてミリーの声が聞こえたような気がしたが、俺は気のせいだと自分に言い聞かせ、目の前の光景に目を細めた。
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