317 耳元で甘く囁いて
死の恐怖から解放された俺は、地面に跪く。やがて乱れた呼吸を整えて顔を上げると、ミリー、サラ、フォルテの三人が睨み合っていた。
『真の一体化』が進んでいるからだろう。彼女たちは天使の姿に変わることなく、それぞれの神器を顕現させていた。
ただ、ミリーの小手だけは見たことがなかった。しかし、それは太陽のように輝き、とてつもない力を宿していた。間違いなく神器だ。
(……かすかに神盾アイギスの気配を感じる。ケビエルと一緒に何かしたな)
サラとフォルテから向けられる殺気が去り、俺は冷静さを取り戻した。じっと三人の様子を窺うが、考えるまでもなかった。
悪戯をしたミリーにサラとフォルテが怒っている。だが、それは俺たちのほうに非がある。
妊娠は彼女の勘違いだった。そのことを正すことなく、逆に利用して屋敷に残したのだ。少なくとも俺は、ミリーを騙すようなことには反対だった。
しかし、ミリーとキスをしたことを知り、怒り狂う二人に対して、そのことを言う勇気はなかった。結局、一番悪いのは自分だと気づく。
三人の婚約者となったが、俺に甲斐性がなかった。もう少し彼女たちの時間を作り、平等に接していれば、この諍いは起きなかったかもしれない。
天使化していないとはいえ、三人が争えば、この学園都市に甚大な被害が出る。それだけは避けなければならない。
俺は覚悟を決め、三人に向かって走り出した――そのとき、彼女たちも駆け出す。
(しまった、間に合わないっ!)
刹那、足の裏に魔力を集め、万物変化魔法を展開する。地面に弾性を与え、俺は思い切り踏み込んだ。
流れる景色が一気に加速し、線となる。俺は一瞬で三人の間に割って入った。
目の前に神剣レーヴァテインを振り上げるサラが迫る。背後には金色に輝く小手を纏うミリーが拳を腰まで引き、正拳を放とうとしていた。
そして、フォルテは一歩引き、神銃アクケルテの銃口をこちらに向けていた。
俺は瞬時に脳と目に強化魔法を施してナナシを抜いた。次第に時間がゆっくりと流れ出す。
目の前に迫る神剣。俺はその軌道を見極め、ナナシを逆手に持ち、振り上げながら受け流した。サラは体勢を崩し、神剣が地面に突き刺さる。
その隙を狙い、ミリーがサラの顔を目がけて正拳突きを放った。それを視界の端に捉えていた俺は腰を回し、振り上がったナナシを一気に下ろす。
ガキン――と金属音が鳴り響き、刃を消したナナシとミリーの小手が衝突する。撃ち落とされた拳は、サラの頬をかすめて通り過ぎた。
直後、フォルテがミリーに銃弾を放った。魔力を込めていない、ただの鉄だ。彼女も手加減はしているが、それでも当たれば大怪我だ。
その苛烈な性格に舌打ちする。俺はナナシを左手に持ち替え、前のめりになったミリーの頭を右手で押さえる。
間一髪で、銃弾はミリーの頭上すれすれを掠めて抜けていった。そのまま俺は彼女の頭を押しやると、背後で激しい音が上がり、サラとミリーがぶつかったと察する。
ちらりと後ろを向き、地面に重なり合う二人を見る。次の瞬間、フォルテが再び銃弾を放った。
それは真っすぐミリーを目がけて突き進む。さすがにやり過ぎだ。俺はフォルテを睨む。だが、彼女は笑みを崩さない。
(厳しいところは、サタナルの影響か、生来のものか。どちらにしても、お灸を据える必要があるな)
俺はナナシを構えて横に薙ぎ、銃弾を弾く。それはフォルテを襲う。
それでも彼女は微笑んだままだ。銃口から火花が迸り、向かってくる銃弾を撃ち落とした。
だが、俺はその一瞬の隙を突き、フォルテの背後に回り込んでいた。そっと彼女の首筋にナナシの刃を当てる。
「少し目に余るな、フォルテ。ただの銃弾でも、当たれば大怪我だ。それに悪いのは俺たちだ。ミリーの悪戯も笑えなかったけどね」
俺はフォルテの耳元で冷たく呟くと、なぜか彼女の耳が真っ赤に染まる。何が起きたのか――困惑する。
思わず口元からため息が漏れ、彼女の耳元をわずかに撫でた。その瞬間、彼女は膝から崩れ落ちた。
視線を落としてフォルテを見る。彼女は胸元を押さえ、激しく息をしていた。俺は慌てて膝をつき、肩に手を置くと、彼女の肩がびくんと跳ねた。
「フォルテ、大丈夫。少し厳しく言い過ぎた、ごめん」
「い、いえ、気にしないでください。それより、もう一度、お願いします。まだ、私には反省が足りないようです!」
フォルテは顔を上げ、目を爛々に輝かせて告げる。その姿に俺はすぐさま立ち上がり、一歩後ずさる。直後、背後に気配を感じて振り向く。
「フォルテばかりずるい! アッくん、私にも耳元で甘く囁いて!」
「そうだにゃ、ずるいにゃ! アーたん、まずは私からにゃ。ずっと会えなくて寂しかったにゃ~~」
二人に肩をつかまれた俺はぐわんぐわんと揺らされ、せがまれる。だが、何を求められているのか分からない。
思わず助けを求めようと周囲を見渡した――そのとき、タルロスと目が合う。彼女は薄く笑い、助けに行こうとするアドニスの肩を掴んで止める。
そして、耳打ちした。直後、アドニスも笑顔になって何度も頷き、シロを抱いたまま屋敷に戻っていった。
その背中を見つめ、彼女がアドニスに何を言ったのか考える。だが、サラとミリーに激しく揺らされる俺に、まともに考える余裕はなかった。
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