306 絶対零度の戦鎚
蒼炎に冷やされ焼かれる中、暗闇が切り裂かれ、光明が差した。
ゆっくりと顔を上げると、深紅の鎧――神衣バハムートに身を包んだスカイが、手を差し伸べていた。
その姿に笑みを浮かべる。ようやく力を取り戻したようだ。心配そうに見つめるスカイだったが、その瞳には自信が漲っていた。
紅の籠手に包まれた彼の手を見つめ、握り返そうとしたとき、背後にゆっくりと立ち上がる十全の十王――完全なる魔物の王を捉える。
思わず目を見開く。その様子を見て、スカイも異変に気づく。彼は俺の手を握り、一気に引き上げながら飛翔した。
直後、爆音が轟き、蒼き火の粉が舞い上がる。俺が視線を落とすと、そこには巨大なハルバードをマントに振り下ろした漆黒の十王の姿があった。
俺は白銀の翼を広げ、スカイの手を離して自らの力で飛び、遥か上空で止まって振り返る。
「スカイ、力を取り戻したようだね。まだ半分ぐらいかな。でもその姿、懐かしいよ」
俺の後を続くスカイ。彼は鮮やかな深紅の鎧に身を包み、右手には紺碧の戦鎚が握られていた。まさに神獣の王に相応しい姿だった。
翼も十枚に戻り、その背中には日輪が浮かんでいる。遥か昔、バハムートが瀕死の重傷を負ったとき、その傷を癒すためにスカイは天使の力の源である翼を分け与えた。
それ以来、彼の翼は八枚となった。だが、神衣バハムートを身に纏ったときだけ、本来の姿――紅蓮の十翼に戻る。
スカイの翼が動くたびに、日輪の輪郭が陽炎のように揺らめいている。
「……まあな、アーク。だけど、お前が言うように力はまだ完璧に戻ったわけじゃない。この状態も長くはもたない」
その言葉に頷く。だが、今のスカイはフォルテやサラに匹敵する力を持っている。この人界で勝てる存在はいない。
「仕方ないよ、スカイ。まだ、目覚めて半年しか経っていないんだ。この探索を終わらせて、ゆっくりと取り戻していこう」
俺は笑顔で告げるが、スカイの表情は暗かった。その理由が分からず、尋ねようとしたとき、蒼き火の粉が頬をかすめた。
視線を下げると、蒼翼をはためかせ、こちらに近づく十王ベヒーモスが映る。蒼炎のマントを翼に変えたのだろう。
空を飛ぶベヒーモス。本当に弱点がない。俺は苦笑いを浮かべ、スカイを見やると、彼も肩をすくめた。
「とりあえず、まずはあいつを倒す。アークは手を出さないでくれ」
「わかったよ、スカイ。最初からそのつもりだったし、頼むよ」
俺はナナシを背中に差し、彼を見つめると、スカイは笑顔を浮かべた。さきほどの暗い表情は消え、安堵する。
やがてベヒーモスは俺たちのもとまで辿り着く。巨大な蒼翼を広げ、こちらを睨む。肌は黒く輝き、鋼鉄のようだ。
さらに進化した十全の十王は、翼をはためかせて無数の炎弾を放った。俺は上空に飛び、スカイは戦鎚ゴズを構える。
大量の蒼き炎弾は、俺を無視してスカイへと突き進む。彼はそれをじっと見つめ、ぶつかる直前に大きく飛んだ。
スカイの横を通り過ぎていく炎弾。だが、大きく旋回して再びスカイを襲う。どうやら着弾するまで追いかけるつもりらしい。
スカイは紅蓮の十翼を広げ、一気に加速する。大空を縦横無尽に飛び回り、無数の蒼炎の魔弾を振り切ろうとするが、それは離れることなく追い続ける。
どこまでも追ってくる炎弾。スカイは十王を見やり、突然止まると、紺碧の戦鎚を構えた。
空中に滞空するスカイ。だが、腰を落として戦鎚を両手に持つ姿は、地面を踏みしめるかのように安定していた。
蒼き炎弾は、スカイに近づくにつれ、一つに束ねられて大きくなっていく。やがて、それは巨大な蒼影となる。スカイはさらに腰を沈め、睨みつける。
次の瞬間、紺碧の戦鎚ゴズが猛烈な勢いで振り抜かれた。耳を劈く破裂音が上がり、俺は両手で耳を押さえる。
粉々に砕けた魔弾は無数の流星となり、こちらを見上げるベヒーモスに襲いかかった。
十王に降り注ぐ魔弾の破片。それは黒く輝く鋼鉄の巨躯に直撃すると、青い火花を上げて砕け散った。
傷ひとつ付かない頑強な肉体。その表面は熱を奪われ霜が降り、わずかに白くなるだけだった。刹那、スカイが消える。
音速の飛翔で彼は十王の懐に飛び込んだ。十王も予測していたかのようにハルバードを振り上げる。だが、一手遅かった。
スカイは速度を殺さずに戦鎚を構え、全体重を乗せて薙いだ。ガキンッと硬く冷たい音が響き渡り、戦鎚ゴズは十王の脇腹を粉々に砕いた。
その光景に口角が上がる。さきほどのスカイの攻撃。それは俺が五腕の阿修羅像を討伐したときに使った原理と同じだった。
――熱衝撃。金属を熱し、一気に凍らせて砕く。熱の膨張差を利用した攻撃だ。
やはりスカイも神界のころの記憶が戻ってきている。そう確信して戦況を見守る。そのとき、脇腹を大きく穿たれた十王は、苦悶の表情を浮かべた。
鋼鉄と化した肉体だが、再生する速度は緩やかだった。スカイの攻撃を防ぐために進化したはずの鋼鉄の十王。だが、それが仇となった。
脇腹を押さえ、必死に回復を待つ十王。直後、紺碧の戦鎚ゴズが輝き出し、周囲を急激に冷やす。絶対零度となった鎚頭は、青白く煌めく。
もはや再生を待つ余裕は、やつにはなかった。
脇腹を砕かれ、重心を崩すベヒーモス。それでも必死に体勢を保ち、ハルバードを突き出した。
だが、その一撃はスカイには届かなかった。
スカイは巨大な金属の穂先を軽々と片手で受け止めた。すると、深紅の籠手に包まれた右手は竜の咢へと変わり、それを握りつぶした。
その瞬間、紅蓮の炎が迸った。黒炭と化し、崩れていくハルバード。その破片は呪鎖へと戻り、かすかに紫電を帯びていた。
超高熱が電離し、紫電となって呪鎖の精密さを壊したのだろう。機構そのものが悲鳴を上げ、継ぎ目が解けていく。
ハルバードを持つ十王の手も焼き爛れ、焦げた匂いが鼻をかすめた。直後、スカイは絶対零度の戦鎚を両手に持ち直した。
周囲を凍らせる戦鎚。だが、神衣バハムートを纏うスカイには関係なかった。目の前に立つ十王だけが凍っていく。
音まで凍てつき、沈黙が満ちる。一拍の空白。スカイが戦鎚を薙いだ。
耳を劈くほどの甲高い金属音が草原を駆け抜ける。十全の十王――完全なる魔物の王は、純白の氷像となり、屹立する。
だが、それもすぐに崩れ始め、瞬く間に草原を白く塗りつぶした。
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