290 深海の女王と十翼の聖女
樹木が焼け焦げた匂いが、かすかに漂う玉座の間。また、ステンドグラスの色が変わり始める。
すでに赤、橙、黄、緑と四色の変身を終えたエリザベート――八光の屍姫は、残り四色となり、今まさに変化しようとしていた。
色が変わるたびに別人となり、戦い方が変わる彼女をじっと見据える。老女から妙齢の女性へと若返ったが、緑色のローブを纏い、木の杖を持つ姿は変わっていない。
私がエリザベートを見つめていると、ステンドグラスは青みを増していき、青と藍の二色に分かれた。その瞬間、部屋の様子が一変する。
すべてを紺碧に染め上げるステンドグラスの光は、荘厳な雰囲気が漂う大聖堂のような部屋を、暗く冷たい深海へと塗りつぶした。
眉をひそめ、周囲を見渡した――そのとき、背後から殺気を感じて咄嗟に剣を構える。ガキンッと金属音が上がり、目の前に迫る三又の矛を止める。
足音は聞こえず、近づく気配もなかった。矛を飛ばしたのかと思ったが、いまだに三つの刃は私を貫かんと押し込んでくる。
最大出力の身体強化を施し、矛を弾き返した。その瞬間、エリザベートの姿を捉え、息を呑んだ。
彼女は紺碧のドレスを纏い、優雅に部屋の中を泳いでいた。足はなくなり、下半身は鱗に覆われた魚の尾に変わっていた。
青く染まった部屋の中を、あたかも本物の深海のように自由に泳ぎ回る姿は、深海の女王そのものだった。
「ふふ、よくさっきの攻撃を防いだわね、サラ。貴女は戦士としてもそこそこ戦えるのね。本当に聖女とは思えないわ」
その言葉に肩をすくめる。余程、彼女のほうが聖女らしくなかった。だが、まだ本人は自らを聖女とは名乗っていない。私は苦笑しながら答える。
「ええ、最近は物騒なの。聖女も守られるだけじゃ駄目なのよ。私を守る神聖騎士――アッくんに勝てる相手はいないけど、私もそれなりに戦えないと、婚約者として彼を支えてあげられないの。あっ、ごめんなさい。独り身の貴女には、分からない悩みだったわね」
軽い挑発だった。だが、効果はてきめんだった。鬼のような形相を浮かべ、エリザベートが突っ込んできた。
その姿を見て、ほくそ笑む。足元に燻る聖火に聖魔法と火魔法を施した。その瞬間、白き火柱が迸った。
それは白銀の輝きを放ち、真っすぐにエリザベートを目がけて突き進む。完璧に捉えたと思った刹那、彼女の背後から青い壁が現れる。
それは大量の魚の魔物だった。エリザベートを守らんと、白き火柱に突っ込んでいく。樹木を一瞬で燃やし尽くした聖火だったが、魔魚には効果が薄かった。
中級の火魔法ほどに威力が落ちた聖火だったが、それでも魔魚の群れを燃やし尽くし、安堵の息を吐く。
「ふふ、さっきまでの余裕が消えたわね、サラ。いくら聖火といえど、その属性は『火』でしょう。この水の結界の中では威力も落ちるようね」
余裕の笑みを見せ、優雅に部屋の中を泳ぐエリザベート。改めて青く染まった部屋を見渡す。床には珊瑚やヒトデ、カニの姿があった。
息苦しくもなく、水の冷たさも感じない。だが、ここは深海――それに近い場所だと分かった。足元に生えた珊瑚を剣で突くと、少しだけ崩れた。
手応えがあった。幻ではないようだが、本物でもない。作り物のような感じ――ただ、たしかに存在していた。
部屋の中を注意深く見渡し、ふと視線を落とす。聖火はすべて消えていた。水の結界――彼女の言葉に間違いはなかった。
右手の人差し指に付けたサファイアの指輪を見つめる。湖の女騎士――ヴィヴィアンも水の精霊だ。この部屋の中なら、十分に能力を発揮できるはず。
そこで思考を止め、首を横に振った。先ほどの戦いで彼女は消耗していることを思い出す。これ以上、戦わせるわけにはいかない。
私は覚悟を決めて神気を纏う。次の瞬間、金色のオーラを放ち、私はミゲイルと一体化して天使の姿へと変わる。
その背中には金色の十翼がはためき、深海の部屋に黄金の羽が舞う。『真の一体化』は、着実に進んでいると実感する。
私とミゲイルの意識は溶け合い、神経が研ぎ澄まされていく。以前は、二人の意識ははっきりと別れ、思考が衝突して混乱することがあったが、今はない。
あと少しでアッくんと同じ『真の一体化』を遂げ、『神性体』に至るかもしれない。思わず口元が綻んでしまう。
訝しげにこちらを見つめるエリザベートに気づき、笑顔を消す。そっと左手を掲げると、深紅の火柱が迸り紅蓮の神剣――レーヴァテインが手に収まる。
白竜の剣と神剣レーヴァテインを両手に持つ私を、深海の女王――エリザベートがじっと見つめる。
「本当に今代の聖女は常軌を逸しているわね。まさか天使の力まで使えるなんて。あのお方から聞いてはいたけど、目の前で見せられると驚きも、ひとしおだわ」
三又の矛をこちらに向け、目を見開く彼女の頬に一筋の汗が伝う。
「これが愛の力よ、エリザベート。愛するアッくんのために求めた力がこれよ。それに『あの方』と言っていたけど、誰? ……そういえば、なぜ貴女はアッくんのことを知っていたの」
『あの方』という言葉をきっかけに様々な疑問が湧いてきた。
彼女からアッくんを貰うと告げられたときは、頭に血が上り、気づけなかったが、私は一言も彼のことは話してなかった。
十王の遺跡と獣王の試練――太古から続くこの儀式の裏で何者かが暗躍しているようだ。鋭く視線をエリザベートに向ける。
「あら、私、そんなこと言ったかしら? もし言ったとしても、教えるわけないけど。最初に言ったでしょ、知りたかったら、私に勝ちなさい!」
その瞬間、彼女は矛を天に突き上げた。三又の刃は空間を穿ち、巨大な奈落を創ると、そこから異形の魔物たちが、ぼとりぼとりと落ちる。
やがて紺碧に染まった部屋の中は、深海の女王に付き従う海の魔物で溢れかえった。
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