283 黒獅子の慟哭、母を抱き締めて
俺は地下室で泣き続けた。どれほどの時間が経ったか分からない。すでに涙は枯れ、何も出ない。それでも悲しみが消えることはなかった。
やがて喉も潰れ、声も出なくなった。もはや生きている意味はない。俺はランダとガリュウを貫く剣をそっと抜いた。
それでも彼女は、胸の中の冷たくなった息子を離そうとはしなかった。その姿に胸が抉られるようで、気が狂いそうになる。
俺は切っ先を喉に向け、目を閉じた。そのとき、ランダの声が届く。
「……バロン、あなたなの?」
息絶えたはずの彼女が、目を開き、俺を見つめていた。驚愕しながらも、俺は喉が潰れて掠れた声で答えた。
「あ゛ぁ、俺だ、ランダ。君は無事なのか?」
俺の問いかけに彼女は儚げに微笑み、首を横に振る。聴覚を強化して心音を確かめるが、小さく、今にも消えそうだ。
一時的に息を吹き返しただけだ。溢れ出しそうな悲しみを、無理矢理浮かべた笑顔で覆い隠す俺に、彼女は静かに告げた。
「……私は無理みたい。痛みも何も感じないの。それよりバロン、ガリュウは無事なの?」
彼女の問いかけに息を呑む。彼女は記憶が混濁していた。それに、本当に感覚もないようだ。腕に抱くガリュウに気づいていない。
言葉が見つからず、つい視線を落としてしまう。その瞬間、耳を劈く悲鳴が地下室に響き渡った。
ランダは胸の中で息絶えたガリュウを見つめ、血の涙を流し、絶叫していた。頭の獣耳はピンと立ち、口からは巨大な牙が生える。
さらに艶やかな黒髪は伸び始めて全身を覆い、ガリュウごと隠した。黒き獅子へと変身したランダは、再び雄叫びを上げた。
俺は彼女に駆け寄ろうとしたが、この世のすべてを憎む紅蓮の瞳に射抜かれ、足が止まってしまった。
それどころか、最愛の妻から向けられた果てしない憎悪に後ろへ下がってしまった。そのとき、彼女の瞳が一瞬揺らいだ。
それは最後の理性が断たれた瞬間だった。
ランダは、三度咆哮すると、漆黒の疾風となり、地下室から出ていった。
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突然、現在の意識に引き戻された俺は、いまだに睨みつける黒獅子――ランダの前に立っていた。すぐに、ここが俺の心の中だと察する。
気づくと、俺の目には涙が流れ、バロンの悲しみが全身を満たしていた。
彼が見せた記憶。それは俺の中で現実として昇華されていた。唸り声を上げる悲しき凶獣――ランダを見つめ、再び涙が溢れた。
<お前は、俺とランダの息子――『ガリュウ』の生まれ変わりだ。あの悲劇のあと、俺は妻と息子を救う方法を求めて旅に出た。その旅で修行を積み、聖獣となったのだ>
俺の中でバロンは静かに告げた。彼は聖獣となり、永遠の命を得たあともランダとガリュウを探し、世界中を駆け巡っていた。やがて俺が生まれ、その中に彼女の気配を見つけた。
バロンは迷うことなく俺の中に入り、ランダを救おうとした。
だが、すでに自我が崩壊した彼女には言葉は通じず、その凶悪な力を抑え、見守ることしか彼にはできなかった。
そして、次第に彼自身も記憶が曖昧になり、目的を忘れていった。だが、ランダの気配が強くなり、思い出した。妻と子を救う――そのことを。
俺が若くして獣化できた原因の一つは、バロンとランダ――二人の力を借りていたからだと察する。
バロンの想いを知り、ランダの悲しみを理解した。ならば俺がすることは決まっている。俺は目を閉じて、静かに語りかける。
「おい、今からランダを助ける。力を貸せ、バロン!」
その瞬間、聖獣神化を果たし、白銀の獣神へと変身する。その姿を見たランダは、いきなり襲いかかってきた。
だが、俺は構えることなく、彼女を受け止める。鋭い牙が右肩に食い込み、激痛が走る。だが、それでも俺は彼女を離すことはない。
抱きしめたままの俺に向かって、彼女は雄叫びを上げた。その悲しき声に、俺はランダを抱き締める手に力を込める。
一向に離さない俺に、彼女は爪を立て、前足で背中を引き裂く。白銀の体毛は赤く染まり、血が滴り落ちる。それでも俺は手を離すことはない。
彼女は再び絶叫する。だが、俺は優しく笑みを浮かべる。彼女が受けた苦痛と悲しみを思えば、痛くも痒くもなかった。
そのとき、肩に食い込んだ牙が抜かれる。目を開くと、巨大な口が目の前に迫っていた。ランダは俺の頭を食いちぎろうとしていた。
どうすべきか、逡巡する。彼女を攻撃することはできない。だが、このままランダに飲み込まれれば、リューハに勝つことができない。
なによりライデンの命が危うくなる。そんなことは許されない。俺はランダを真っすぐ見つめ、言い放った。
「ランダ、いや、母さん! 俺と親父はここにいる。だから、もういいんだ。昔の優しかったころの母さんに戻ってくれ!」
その瞬間、深紅の瞳が揺れた。頭を食いちぎろうとした口は軌道を変えて、左肩に食い込んだ。再び激痛が走るが、すぐに消えていく。
どうやらバロンが痛みを引き受けてくれたようだ。一緒にランダを救う――その気持ちが、はっきりと伝わってきた。
満身創痍だったが、笑みが零れた。俺は四腕に力を入れて、ぎゅっと黒獅子のランダを抱き締めた。
「ありがとう、母さん。ずっと守ってくれて。だが、もう大丈夫。今度は俺が母さんを守る。父さんと一緒に、俺の中で休んでくれ」
目を閉じて、静かに親愛を込めて呟いた。ランダは死ぬときまで、ずっと俺のことを想い守ってくれた。その感謝を伝えたかった。
そのとき、ランダは三度、咆哮を上げた。直後、腕から伝わる彼女の気配がすっと消えた。目を開けると、ランダの姿はなかった。
代わりに胸の中に温かな存在を感じる。俺は目を閉じ、内側へと意識を向ける。そこには艶やかな黒髪をなびかせ、優しく微笑む美女――ランダの姿があった。
そして、その隣では、彼女の肩に手を回し、寄り添う男性――バロンが立っていた。俺は二人を見て、涙を浮かべながらも笑みを深めた。
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