280 凶獣の記憶、月下の誓い
ランダの憎悪が俺の心を浸食し、意識は彼女の牙で串刺しにされた。辛うじて自我を失わずにいることしかできない。
必死にランダの意識に飲み込まれまいと歯を食いしばり、目を開く。そこにはリューハに一方的に殴られる俺がいた。
理由は分からない。だが、リューハと俺――二人が戦う様子を頭上から見下ろしている。漆黒の獣神と化した俺の動きは荒々しいが、聖獣神化したときより鋭く早かった。
だが、それすらリューハに通じていなかった。防御の構えこそ取らせたが、完璧に防がれ、俺の拳が彼の体に触れることはなかった。
やがて、俺の単調な攻撃は完全に読まれ、余裕であしらわれるようになる。そして、再びリューハの鋭い蹴りが俺の右下の腕を折った。
――このままでは負けてしまう。
焦る俺は、どうにか意識を奪い返そうと、漆黒の獣神と化した俺の体に向かって飛び込んだ。
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漆黒の獣神に触れた瞬間、視界が暗転し、再び俺は心の中に戻っていた。周囲を見渡すと、暴れ狂うランダが見えた。
右後ろ足を折られ、苦痛の雄叫びを上げている。近づきたいが、再び飲み込まれると思うと、二の足を踏む。
すぐに意識を奪い返さなければ、ランダに乗っ取られた俺はリューハに敗れ、ライデンひとりが戦うことになる。
そんなことは決して許されない。いくらライデンが不死鳥を内に宿しているとはいえ、リューハに勝てる可能性は皆無だ。
なんとか意識を取り戻して、二人で戦う。これしかリューハに勝てる方法はない。俺は意を決し、ランダに近づき声をかけた。
「おい、ランダ。悪いが、今だけでいい。俺に意識を返してくれ! 仲間が危ないんだ!」
だが、ランダは俺の声が聞こえていないのか、怨嗟の雄叫びを上げ、暴れ回るだけだ。途方に暮れる俺に、聞き覚えのある声が届く。
<すまない、ガリュウ。我が妻の魂を救ってやってほしい>
振り向くと白銀の鎧を纏った白獅子――バロンが立っていた。
先ほどまでは、まったく気配すら感じることができなかったバロン。おかげで聖獣神化もできず、ランダに飲み込まれた。思わず、バロンを睨む。
<すまない、ガリュウ。もしかしたら、お前に会えば、妻も正気を取り戻すと思った。その邪魔をするわけにはいかなかった>
その言葉に首を捻る。ランダのことをまったく知らない俺が会ったところで、何かが変わるわけがない。
何を言っているのか分からず、じっと見つめると、バロンが勢いよく、こちらへと駆け出した。
さきほどのランダに襲われた記憶が蘇り、とっさに身構えたが、バロンは躊躇することなく俺に飛びかかった。
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眩い光に覆われて目を閉じた俺は、ゆっくりと瞼を上げる。そこには艶やかな黒髪を垂らした色白の美しい女性が赤子を抱いていた。
その美女の頭には獣耳があり、獣人だと気づく。じっと見つめていると、彼女もこちらに気づいて微笑む。
「今日はもうお仕事は終わったの、バロン?」
その名を聞いて、息を呑む。彼女は俺を見て、バロンと言った。何が起きたのか分からず、混乱する俺に彼女は言葉を続ける。
「何を驚いているの? 久しぶりに見たガリュウが大きくなっていて、ビックリした?」
彼女は朗らかな表情で今度は俺の名を告げ、胸に抱く赤子を愛おしそうに見つめた。もはや言葉が見つからず、混乱を深める。
そんな俺を無視して、口が勝手に動く。その声は俺のはずだが、俺じゃない誰かの言葉だった。
「あぁ、最近ずっと夜遅くまで仕事だったから、久しぶりに会う息子に驚いているよ、ランダ。ガリュウと家のこと、守ってくれてありがとう」
自分の意思とは関係なく出た言葉。その中に「ランダ」の名があった。もしや目の前に座る、この美女がランダと言うのか。
目の前の美女と異形の黒獅子――二人が同一人物だとは、想像できない。思考が止まる。だが、再び俺の意思とは関係なく、言葉は勝手に紡がれる。
「……悪いが、ランダ。しばらくガリュウを連れて田舎に帰ってくれないか? どうやら戦争が起きそうなんだ。間違いなく、敵国との国境近くにあるこの町が戦場になる。ここの防衛隊長である俺は、ここから離れることができない」
その言葉に彼女は眉を曇らせ、首を横に振る。
「いいえ、私もここに残ります。バロン、あなたを置いて田舎に帰るなんて、できません」
先ほどまでの柔和な笑みは消え、力強く真っすぐ俺を射抜き、彼女は言い切った。その態度に説得は無駄だと悟る。
「……わかった、ランダ。君は一度決めたら、絶対に曲げない性格だったことを思い出したよ。だけど、危険だと分かれば、すぐにガリュウを連れて逃げてくれ」
俺は黒髪の美女――ランダの肩に手を置き、彼女の視線を正面から受け止めた。そして、笑顔を浮かべると、そっと彼女と息子のガリュウを抱き寄せた。
腕の中にある温かな二つの大切な命。これだけは必ず守ってみせる。そう決意した俺は、窓から見える満月を見やる。
静まり返った夜気の中で、月だけがすべてを見透かしているかのように、冷ややかにこちらを見下ろしていた。
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