239 静寂の迷宮、薄霧の道標
薄霧が流れるほうへ進む。マッピングを続けながら、四王のもとへ向かえていると確信する。
すでに十以上の分かれ道を通ったが、一度も行き止まりはなく、同じ場所に戻ることもなかった。
順調すぎて、逆に不安になる。湿度が増した通路には苔が生え、カビ臭が鼻を突く。次の瞬間、足元に違和感を覚え、視線を落とす。
石床の一部だけがわずかに突起している。罠のスイッチだ。周囲を見渡すと、右の壁がかすかに膨らんでいる。
ゴーレムを呼び、罠を起動させると、膨らんだ壁が崩れた。突如、巨大な鉄球が現れ、ゆっくりと転がって迫ってくる。
速さはないが、途轍もなく大きい。狭い通路では避ける隙間がない。とっさにゴーレムへ魔力を込めて強化する。
動き始めたばかりの鉄球にはまだ勢いがない。ゴーレムでも受け止められた。だが、その維持のあいだ、魔力は吸われ続ける。
打開策を探るが、すぐには思いつかない。消費を抑えたかった俺は、万物変化魔法で砂に還すべく鉄球へ近づこうとした――その瞬間。
何かが横切り、ゴーレムに風穴を空けて、鉄球に直撃した。振り返ると、フォルテが神銃を構えていた。
視線を戻すと、鉄球は赤黒く変わり、やがて崩れ落ちた。周囲に熱がこもり、血のような匂いが漂う。
魔法を解いてゴーレムを土に戻すと、フォルテたちが近づいてきた。
「大丈夫でしたか、アーク?」
心配そうに声をかけるフォルテへ笑顔で頷く。
「問題ないよ。それより、さっきの魔弾は何だったんだい?」
その問いに彼女は口元を綻ばせる。実験が成功したときのサタナルと面影が重なる。
「水と雷の魔法を付与しました。<電食>という現象を利用して、一気に鉄球を錆びさせました。雷魔法が得意な私なら可能だとサタナルが教えてくれて――結果、大成功です♪」
満面の笑みを浮かべるフォルテ。サタナルとの知識共有は進んでいるようだ。<電食>は深淵文殿の書に記された『未来の知識』。
ようやく科学が広まり始めた人界には、まだ存在しない。あまり人前で使うのは控えてほしい。
だが、窮地を救ってくれたのも事実だ。今は素直に礼を述べる。
「なるほど、助かったよ。けど、あまり大勢の前では使わないでほしい。それは人間の文明が発展を重ねた先にあるものだから」
念のため注意すると、彼女は真剣な顔に戻って深く頷いた。安堵の息を吐く。
気持ちを切り替え、探索を再開しようとした――そのとき、ライデンさんに呼び止められる。
「待て、アーク。さっきフォルテが発砲したとき、注意したが、お前が反応しなかったのはなぜだ? それに銃声も聞こえていなかったようだが――」
目を見開く。たしかに、銃弾が頬を掠めるまで何も気づかなかった。あんなぎりぎりを狙うなら、声をかけるはずだが、それもなかった。
しかし実際には、銃声は鳴り、ライデンさんも声を上げていたらしい。――ここは、ただの迷宮ではない。背中を冷たい汗が細く伝った。
◆
驚愕するアーク。たしかにあのとき、銃声はした。それに私が銃を構えた瞬間、射線に重なる彼へライデンさんは大声で注意した。
だが今思えば、大きな音も声も響き渡らなかった。空気に包まれるような不思議な感覚。わずかに鼓膜の張りを覚え、胸骨の奥に圧がかかった。
思考を巡らす。先ほどは声が届き、会話ができた。いったい何が違うのか。顎に手を当てて考え込んでいたアークが、突然歩き出した。
声をかけようとするが、彼は手を上げて制する。錆びて崩れた鉄球を越えて進み、十分な距離を取ると振り返り、口を開いた。
仕草から大声ではない。意味は分からないが聞こえた。隣のライデンさんが手を振る。何も言わずとも二人は互いの考えが分かっているらしい。
少しだけライデンさんに嫉妬しつつ、アークへ視線を戻すと、彼は両手を思い切り叩いた。――何も聞こえない。さっきの声より明らかに大きいはずなのに。
首を傾げる私たちのもとへ彼が戻ってくると、再び手を激しく叩いた。パンッ、と乾いた音が耳を突いた。だが、通路に木霊することはなかった。
素早く条件を照らし合わせ、答えを導く。
「アーク、この迷宮には特別な仕掛けがあるみたいですね。距離と音量――この二つが密接に関係している。大きな音は遠くまで届かず、一定の距離でかき消される。……そう考えます」
見渡すと全員が頷く。だけど、これにどのような意味があるのか分からない。近くにいれば聞こえるし、大きな音が届かなくても問題はない気がする。
仕掛けは分かったが狙いが掴めず、混乱する。そんな中、ライデンさんが声を上げた。
「フォルテの言う通り、ここは大きな音を抑えるようだ。そのことは頭に入れておけ。ただし、それに捉われるな。本当に意味がないかもしれない。深く考えさせ、迷わせるのが目的かもしれん。今は先を急ぐぞ」
アークは小さく頷き、再び先頭に立つと、慎重に歩き始めた。彼の背中を見つめていると、ライデンさんに肩を叩かれ促される。
軽く頭を下げ、前を向いて彼の後を追った。
――――――――――――
それからもアークを先頭に探索は続いた。多くの罠はあったが、魔物に遭うことはなかった。孤独の王――そんな言葉がよぎった。
結局、アークは一度も道を間違えることなく、四王の玉座に続く門の前へ辿り着いた。音による罠もなく、あの仕掛けで苦労することはなかった。
――心配し過ぎたのか。混乱させることが目的だったのかもしれない。
そんなことを考えつつ通路を抜けると、広大な部屋があった。奥には二王――双眼のサイクロプスを思い出すほどの巨大な門がそびえ立っている。
思わず見上げる。色はなく鋼のまま。だが、それが荘厳さを帯びていた。無骨で力強く、過度な装飾がないゆえに圧が凄まじい。
全員が言葉を失う中、感情を映さない鋼鉄の門の奥から、冷酷な沈黙が滲み出て、私たちの喉元を締めつけた。
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