217 春の中庭、月冴ゆる夜
久しぶりに長いです<(_ _)>
目を覚ますと、眼前にサラの寝顔。朝からライバルと向き合うはめになり、少しだけ気分が沈む。昨夜は長旅で疲れたアークを癒やそうと添い寝したはずだ。
――ベッドに入ると、アークはすぐ眠りに落ちた。私はそっと頬をつつく。だが、まったく起きる気配がない。
サラも髪を撫でたり、鼻筋をなぞったりしたが、それでも目は開かない。
いっこうに目覚めないアークを眺めながら、ふと脳裏をよぎる。このままミザリーに穢された唇を清めてしまうのも、ありでは――。
けれど、目の前のサラが許すはずもない。それに、できればアークからしてほしい。そう思い直し、彼の腕を取って自分の頭の下に敷く。
程よく鍛えられた腕は、今までのどの枕より心地よかった。そのまま眠りに落ちかけたとき、サラの腕がするりと彼の胸元へ回り込む。
どうやら、サラはアークを抱き枕にする気らしい。それも捨てがたい――逡巡していると、胸の内からサタナルが囁いた。
『両方やればよかろう。夜はまだ長い。足らぬなら、我が力で夜明けを遅らせてもよい。……だから、頼む。途中で代わってほしい!』
魔界の王の切実な願いを断れるはずもない。私は頷き、アークの腕の温もりを感じながら目を閉じた。
――あの至福の時間を思い返しつつ、サラの寝顔から視線を外して天井を見ると、窓の外から歓声が上がった。
ベッドを抜け出して外を覗く。そこには上半身を脱ぎ、汗を拭うアークとスカイの姿があった。
その周囲では、町娘たちが柵から身を乗り出さんばかりに凝視している。
相変わらず無自覚な二人に、自然とため息をつく。
私は手早く身支度を整え、鞄から拭き布を取り出すと、急いで中庭へ降りた。
◆
いきなり上着を脱いで汗を拭うアークさんとスカイさんに、思わず息を呑んだ。周囲には、すでに大勢の人だかりができていた。
――ほとんどが女性。二人の無防備な姿に、熱い視線が注がれている。
当の本人たちは周囲の異様な雰囲気を気にも留めずに談笑している。私は意を決して声をかけた。
「あの〜、すみません。もう鍛錬が終わったなら、宿にお戻りいただいたほうがいいかもです。……その、目に毒といいますか」
スカイさんがぐるりと中庭を囲む女性たちを見やる。小さな悲鳴が上がり、彼は肩をすくめた。言いたいことが伝わって、私は眉を下げる。
「たしかに、アークのこの姿は女たちには毒だな。しかも猛毒だ」
そう言ってアークさんの肩に手を置く。また歓声が起きた。私は困惑しながらも心の中でつぶやく。
――いえ、あなたも十分に猛毒です。
私の視線から何かを察したのか、スカイさんは苦笑した。彼はアークさんの上着を取り上げ、自分のと重ねると――
瞬間、視界が真っ白になった。頭に柔らかな感触。ほんのり汗の匂いが鼻をかすめる。
耳を劈くような歓声に、ようやく気づく。スカイさんが、私の頭に二人の上着をすっぽり被せたのだ。
慌てて上着を下ろすと、いたずらっぽく笑うスカイさんと目が合う。
「それも洗っておいてくれ。明日また使うからな」
その言葉に耳まで熱くなった私は、黙ってうなずくしかなかった。
◆
私が中庭に着くと、スカイがこの宿の娘――カルルに自分の上着を被せていた。よく見ると、それは二枚だった。足早くアークたちのもとへ向かう。
「おはようございます、アーク。スカイも元気そうね。あと、カルルだったかしら? おはよう」
私の声に三人は振り返る。カルルは耳まで真っ赤に染め、二人の上着を大事そうに抱えていた。
そんな彼女を見て、苦笑する。上半身裸の美丈夫二人に囲まれ、しかも彼らの汗が染みた上着まで渡されたら、誰だってそうなる。
――卒倒する者だっているかもしれない。
それに気づいていないのはアークだけ。スカイは知っていて、からかっている節がある。談笑する二人を見ていると、既視感が胸をよぎった。
私ではないサタナルの記憶――どこかで似た光景を見た気がする。もしかして、スカイも天使か堕天使を内に秘めているのかもしれない。
「どうしたの、フォルテ? ぼーっとして、何かあった?」
つい記憶のほうに意識を向けすぎていた。挨拶をしてから、無言で見つめてしまっていたらしい。心配そうなアークに穏やかに微笑む。
「いいえ、何でもありません。少し考えごとをしていただけです。
それより、カルルにお願いがあります。私に洗濯を教えていただけませんか。短い間ですが冒険者として活動します。できる限り、身の回りのことは自分でできるようにしておきたいのです」
突然の申し出にカルルは固まった。一国の王女が洗濯の指導を求めたら、驚いて当然だ。
言葉を失っている彼女に、アークが優しく添える。
「ごめん、カルル。俺からもお願いするよ。王女といっても、今は一人の冒険者だ。ちょっと怖く感じるかもしれないけど、すごく優しいから安心して」
左目を指さしながら、いたずらっぽく言う。その言葉に戸惑いながらも、彼女は小さく会釈した。
……たしかに、この眼帯はどうしても威圧感が出る。気に入ってはいるが、これを機に外すのもいい。
最初は不安だった。けれど、オッドアイはそう珍しいものでもないとすぐに分かった。――ただ、格好いいと思って外さずにいただけだ。
小さく息を吐き、後ろに手を回す。冷たい金属を感じ、力を込めると、パチンとかすかに音がした。
直後、はらりと眼帯が落ちると、アークたちが目を見張った。露わになった白金の瞳に視線が集まる。少し恥ずかしくなって俯く。
「……うん、外したほうがいいよ、フォルテ。すごく綺麗だ」
心臓が跳ね上がった。本当にアークは人の心を乱すのが好きらしい。鼓動が速まり、顔の熱が引かない。
――アークの顔が見られない。
「おい、アーク。そろそろ部屋に戻ろう。温まった体が冷えてきた。じゃあ、悪いがカルル、殿下のことは任せたからな」
いまだ俯いたままの私を気遣って、スカイがアークを連れ出そうとしてくれる。
「ああ、そうだね。少し寒くなってきた。じゃあ、悪いけど、二人とも洗濯は頼むよ。それとこれはもらっていくよ」
そう言ってアークは、私が持っていた拭き布を奪い、颯爽と去っていった。
春風が中庭を抜け、彼の残り香まで連れ去っていった。
◆
「おい、もう発つつもりか、ガリュウ」
城の者が寝静まった夜更け。誰にも悟られぬよう部屋を出ると、扉の前に親父が立っていた。
漆黒のガウンを羽織り、獰猛に笑いかけてくる。ただそれだけで圧倒される。俺には、まだあれほどの覇気は纏えない。
自嘲めいた笑みを浮かべる俺に、親父は再び問いかけた。
「それで、こんな時間に一人で出発するのか?」
「ああ。大勢に見送られるのは好きじゃないんでな。それに――十王すべてを倒したときこそ、盛大に祝ってほしいんだ」
親父は深く頷き、遠くを見つめた。獣王神令の儀にベアモンドたちと挑んだときのことを思い出しているのだろう。
当時、二人ともS級冒険者として名を馳せていた。誰もが、いまだ成し遂げられていない十王討伐の偉業を達成すると信じていた。
だが、結果は中層の六王にすら届かず。それでも、過去最高の討伐数だった。
――十王の遺跡に君臨する王たちは絶えず争い、覇権を奪い合っている。
だから挑むたびに王は変わり、対策は立てられない。ただ一つ確かなのは、いつの時代も「王」と呼ばれるにふさわしい力を持つということだ。
目の前の親父ですら五王までしか倒せなかった。二人の親友で、ベアモンドの妻だったあの人の命を犠牲にしても……。
――果たして俺に、十王すべてを討ち果たせるのだろうか。
胸の内を見透かしたのか、親父が近づき肩に手を置く。射抜くような眼差しに息を呑んだ。珍しく穏やかな口調で告げられる。
「ガリュウ、一人で何でもしようと思うな。なぜ試練が一人ではなく六人なのか、よく考えろ。……俺が言えるのはここまでだ」
瞳の奥に後悔の色が滲んでいた。その理由は分からない。ただ、その声には願いを託す響きがあった。
俺はまっすぐに見返し、静かに頷いた。新春の夜更け。星は凍てつき、月は冴える――まるで父の想いのように鋭く澄んでいた。
背嚢を背負い直し、深く息を吐く。それは白く煌めき、覚悟の証のように夜気に溶けた。
背後から親父の気配を感じながら、俺は振り返らずに大きく一歩を踏み出した。
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