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輝理と影臣  作者: 在江
終 章 移譲の儀
29/30

日々の終わり

 「兄たん見つけ」


 「見つかっちゃった」


 輝聡(てるさと)嗣宣(つぎのぶ)が、隠れ鬼で遊んでいる。輝聡は、もうすぐ小学校へ上がる。利発な性質で、年子の弟の面倒見も良い。

 順当に、藤野家の当主を任せられる、と輝理は思った。


 そこに、影臣はいない。

 甥の影克(かげかつ)が、小学校から帰宅するのに合わせ、青柳家へ戻っていた。


 将来の守護人として、仕込まねばならない事が、山のようにあるらしい。差し支えない時には、輝理の子供達も連れて行ってくれるが、段々それも減っていった。


 子供達がここまで成長すれば、影臣の助けがなくとも、何とかやっていけそうである。輝理に不満はない。


 何を教えているのかは、知らない。時折、怪我をしたと布を巻いたり、具合が悪いと伏せったりする噂を人伝てに聞くばかりである。顔を合わせても影臣は甥の話をしないし、輝理も問わない。


 藤野家の方では、代々の歴史や、当主としての心得を、折に触れて教える程度だ。学校に上がるまでは、大方他の子と同じであった。


 輝理は結婚後も、妊娠が判明して出産間近になるぎりぎりまで、教師の職にあった。それには、影臣の尽力が大きな力となった。


 高等師範学校へ通う夫の巳喜八郎の承諾の下、時に根も葉もない噂が立とうが構わず、輝理のために働いた。もちろん、後ろ暗いところは何もない。

 守護人のおかげで、輝理は安心して仕事に集中することができたのである。


 影臣は、郷里へ戻るに当たり、職を辞して輝理に付き従ったのだが、その経歴を惜しんだ人に請われ、顧問のような形で新たな職に就いていた。日々の出勤が不要であったことも、要請を受け入れた理由であった。


 実家へ戻り出産した後は、先に生まれていた影克と合わせて、輝聡を預かり世話をした。翌年に嗣宣が生まれると、これも共に世話をした。


 檜一朗(ひいちろう)の妻から、乳をもらったこともしばしばあったらしい。輝理は、随分後になって知り、青柳家へ改めて礼を言ったものである。


 当時は、そのような事にまで気が回らなかった。

 後から思い返し、あれもこれもしてもらった、と気付いた次第である。


 手のかかる赤子のうちから、気兼ねなく預ける先があったことは、輝理にとって真に助けとなった。母に預けることもできたが、母が駄目でも影臣に任せられる、と思うだけで気の持ちようが違った。


 輝理は実家へ戻って以来、父に代行を頼んでいた当主の仕事も、手がけるようになっていた。こちらも、影臣はできる範囲で手伝った。


 夫の巳喜八郎は、高等師範学校を出た後、文部省の命に従い、全国を渡り歩いていた。十年は長い。

 郷里の学校に空きがないか、絶えず問い合わせても、指定の学校で奉職する五年で下手に職歴がついてしまった分、どこでも良いと言う訳に行かず、なかなか戻れなかった。


 輝理の結婚に合わせたように、向坂清可が帰郷したのは、意外だった。輝理の後任に臨時教師として雇われた清可は、新年度から正式に採用された。


 そして便宜上、という理由で、影臣と籍を入れたのである。当然ながら、輝理と、青柳家、向坂家から了承を得ている。

 入籍まで認められたのは、婚約期間中、全く二人がそれらしい動きを見せなかったことに加え、今度も同様であると周囲に納得させたからであった。


 輝理の出産以来、影臣は青柳家と藤野家を往復しながら三人の赤ん坊を世話する生活で、一方の清可は別の土地で教師を続け、滅多に帰らない。


 帰省した折りには、向坂家よりも輝理の側にいることが多かった。彼女もまた、輝理の子供を可愛がって相手になってくれた。


 「男の子の相手は、難しいな」


 とこぼしつつ、影臣と一緒に世話をする場面を切り取れば、一つの家族に見えなくもないが、その実、戸籍上の夫である影臣との間には、恋愛感情も家族的な情緒も見当たらないのであった。


 輝理の周囲では、清可と影臣の結婚が、書類上だけのものであることは、周知の事実であった。


 清可の妹である澪に、その事実が届いていたかどうかは、わからない。澪は、輝理の卒業後に高等師範へ復学し、無事卒業した後、奉職期間を勤め上げ、そのままその地へ教師として残っていた。彼女には、結婚したという話もなく、盆暮れにも帰省の姿を見なかった。


 未だ、影臣に心を寄せているのか、それもわからない。例えば影臣に手紙を出していたとして、輝理は知るよしもない。

 澪のことは、ほんの時たま頭に浮かぶだけである。そのような気まぐれな思いつきで消息を尋ねるには、重い存在であった。


 弟の次春は、予備校から私立の大学へ進み、帝都で就職した後、女学校出のお嬢さんと結婚した。そのまま帝都に新居を構えている。子供も生まれた。郷里へ戻るつもりは、ないようだ。


 父の代にあったような、当主簒奪(さんだつ)の恐れはない、と思う。


 当時を生き延びた父の輝晃は健在で、母と共に隠居生活を楽しむ風である。昔、学費を援助した子供たちが立派に成長して訪ねてきたり、帝都へ出かけて孫の顔を見るついでにあちこち見物したり、と忙しく暮らしていた。



 「‥‥長きに亘る勤め、大儀であった。本日を以て、青柳影臣には、隠退を申しつける」


 輝理は、儀式に臨んでいた。長子の輝聡が十歳の正月を迎え、彼を当主と指名するため、青柳家と向坂家を集めたものである。


 己の守護人に、隠退を言い渡すことが、とても重く感じられた。これまで苦労をかけた分、ゆっくり休んで欲しい気持ちよりも、今後、影臣には頼れない不安の方が大きいのかもしれない。


 しかし、輝理もまた本日をもって隠退する身であった。


 「次の藤野家当主として、当家長子の輝聡を指名する。なお、輝聡の就任を以て、私は隠退する」


 輝理が就任した儀式と異なり、誰からも異議は申し立てられなかった。


 藤野家の当主は輝聡、その守護人は影克である。向坂家からは、影克の配下として、(こう)丙吾(へいご)が玄丈から遣わされた。


 玄哲の後を継いだ玄丈は、すっかり向坂の当主らしい貫禄を身につけていた。儀式の際、初め影臣の隠退辺りまでは落ち着かなかったが、後は鷹揚に構えていた。


 向坂医院も、西洋風に建て替えた建物が評判で、遠くから患者が診察を受けに来るらしい。


 香は女であるが、既に十九で電話交換手の職にあり、近々同級生と結婚する予定である。澪のような心配はない。

 尤も、影克は十一であった。そして、丙吾は十五である。

 年上の者を配下として使う苦労はあろうが、その分頼りにもなりそうだ。その辺りの事は、影克の問題である。


 儀式を終えた後は、会食するしきたりである。

 奉公人に膳を運ばせると、輝聡が箸を取ったのを見すまし、他の者も食事を始めた。


 「清可さんにも、お世話になりました」


 輝理は、礼を言った。清可も、影臣の隠退を受けて、配下を辞している。


 「何、大したことはしていない。必要なことは全て、臣がやった」


 役目を降りた途端に、影臣に対する言葉遣いが、元へ戻った。清可は、影臣の二つ上である。清可の希望で供した冷やの酒を、手酌(てじゃく)で次々空けていく。銚子(ちょうし)が数本、あっという間に中身を失った。


 「これからも、輝理さんのところへ、遊びに行くが、いいかい」


 上目遣いの目が、少しばかり(うる)んで(つや)っぽい。輝理は、同性ながら、どきりとする。


 「もちろん、歓迎するわ」


 「ありがとう」


 清可の手が、玄丈の前にある熱燗(あつかん)に伸びる。


 「清可、やっぱり私は」


 「おっと、異議は儀式で言う決まりだ。もう遅い」


 熱燗は、清可の手に渡り、たちまち空にされた。

 輝理は、台所へ追加を頼みに立った。



 清可は、儀式から二週間も経たないうちに、早速藤野家へ顔を出した。


 「ちょっと、顔を貸してくれないか、輝理さん」


 「いいわよ」


 輝聡と嗣宣は、学校へ行っていた。ということは、清可の勤める高等女学校も開校中の筈である。


 「お勤めは、どうしたの」


 「休みを取った」


 清可の足は、青柳家へ向かっている。輝理は、(ばく)とした不安を感じた。

 思いを言葉に出せないまま、敷地内へ足を踏み入れた。


 二人は玄関を横目に過ぎ、庭を通って奥へ向かう。その先には、道場があった。


 「臣、来たぞ」


 引き戸をやや乱暴に叩いた後、清可は返事を待たず、戸を引いて上がり込んだ。輝理は後に続いた。


 何故か、道場に布団が敷いてあった。


 そこに仰向けに寝ているのは、影臣である。輝理の元守護人だった男は、元主の姿を見、慌てて半身を起こした。小さな腕が背を支える。


 「寝ておけ。見苦しくなる」


 口を開いたのは、清可であった。輝理も、急いで寝ているように言い添えた。影臣は、すぐに元へ戻されたが、目を忙しく動かした。


 「お前、たち」


 呂律(ろれつ)が怪しかった。病気なのだ、と輝理は思った。

 影臣の姿形は、二週間前に見たのと、さして変わりなかった。病人らしいところが、まるでない。ただ布団にあるところと、話し方の違和感だけである。


 「無理せず、養生してくれ」


 改めて声をかけると、目の合った影臣が、ふうっと力を抜いた。


 「いえ、もう。幸せ、でした」


 「輝理さん。臣は、もう死ぬ。最期に、何か言ってやれ。臣、お前もだ」


 「な」


 反論しようとしたが、それより影臣から目が離せなかった。ただ寝ているだけなのに、どこか様子がおかしかった。

 清可の言葉が()に落ちた。


 「っき、りさ」


 「影臣、言うな。わかっている」


 輝理は、唇に指を当て、その手を影臣の頬に伸ばした。触れた肌から、ほんのり体温が伝わった。影臣の目が見開かれる。


 「お前は、よくやった。共に過ごした日々は、楽しかった」


 輝理は、精一杯微笑んだ。

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