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輝理と影臣  作者: 在江
第三章
26/30

破棄の波紋

 門を出る前から、辺りを見回していた輝理が、急にこちらへ向かってきた。まっしぐらである。

 影臣は、常にない(あるじ)の勢いに、(きびす)を返しそうになった。


 「ちょうど良いところへ来てくれた。相談がある。どこか、話のできる場所へ連れて行ってくれ」


 「良いのですか」


 と尋ねたのは、門の辺りで、同僚らしい女性たちが、こちらを(うかが)っていたからである。


 「何がだ」


 影臣の視線を追って、ちらとそちらを見やった主は、(うと)ましげに目を細めただけで、会釈(えしゃく)もしなかった。


 「構わん。駅の方へ行くか」


 結局のところ、輝理を先導に、駅前通りの甘味処へ落ち着いた。


 「電話が通じていれば、夕食を断って外で食べて帰れるのだが」


 「そんな贅沢(ぜいたく)な」


 電話線は、まだこの地まで延びていなかったが、帝都にあっても、電話を備えた下宿があるとは思えない。

 皿に盛った団子と茶を前に、用向きを拝聴した。


 「巳喜(みき)さんから、電報が届いた。週末に汽車で来るとのことだ」


 「職場宛に打ったのですか。よほど急ぎの用ですね。見せてください」


 輝理は、年頃の娘らしく顔を赤くした。これも、主には(まれ)な反応であった。


 「え。嫌だ」


 その態度が、何となく影臣の(かん)に障った。


 「お見せください」


 冷ややかに、手を差し伸べた。怖い顔には、自信がある。

 輝理は、守護人の表情に動揺しつつも、しばらくは抵抗した。

 影臣は、主の強さに内心で感嘆する半面、その強さを与えた婚約者に、嫉妬を覚える。


 「笑うなよ」


 遂には輝理が折れた。夕食のため、下宿へ戻らねばならないのだ。時間を無駄にできない。影臣は、渡された紙片に目を落とす。


 『アイシテイマス』


 うっかり読み下し、今度は影臣の顔が熱くなった。周囲に自身の言葉と取られなかったか不安に思いつつ、様子を窺う勇気はなく、そのまま電報に目を通した。主の顔など、更に見られない。


 残りは、巳喜八郎が乗った汽車の到着日時であった。変哲(へんてつ)もない電報用紙である。影臣は、心を落ち着けるため、無駄に紙を裏返したりなどした後、どうにか顔を上げた。


 「これが、職場に届いた、と」


 「授業中だったのだ」


 輝理の言葉を聞き、先ほど主が顔を赤くした意味を、取り違えていたことに、気付く。

 婚約者への思慕(しぼ)からというよりも、むしろ、


 「配達人が、本部の方へ持って行って、校長が教頭に女子部へ持たせて、机の上に置いたのだ。戻った時には、学校中に知れ渡っていた」


 「職員だけでしょう」


 羞恥であった。影臣は、口元が(ゆる)まないよう注意しながら、慰めの言葉を探す。


 「いや。その後、学生にも揶揄(からか)われた。お喋りめ」


 輝理は、出所に心当たりがある様子であった。大方、門で様子を窺っていた女教師のいずれかであろう。影臣は、先ほどの主の態度に腑が落ちた。


 「災難でした。それにしても、急な話ですね。思い当たる節は、ございますか」


 本題へ切り替えた。

 そこで初めて、輝理が婚約破棄の手紙を、巳喜八郎と藤野家へ送っていたことを知った。


 「そのような重大事、投函(とうかん)前に、お知らせくださるべきでした」


 己にも意外なことに、主の婚約がなくなったことで、喜びは感じなかった。(もっと)も、正確には、まだ婚約中である。家同士の契約を、手紙一つで取り消しにはできない。


 それに、電報から察するに、巳喜八郎も、恐らくは主の父輝晃(てるあきら)も、婚約を取り下げるつもりはなさそうであった。


 「巳喜さんが、休業開けで戻る前に方針を定めねば、次にいつ連絡が取れるか分からない、と思ったのだ。もう、翌週には学期が始まるだろう」


 「輝理様。他の土地では、月終わりまで、夏期休業が続きますよ。ですから、平日から汽車に乗って、週末に合わせてこちらへ来ることが出来るのです」


 輝理が、あっと言った。そうなのだ。今いる土地は、冬が長く寒いため、学校では夏期休みを短くした分、冬期休みに回すことになっていた。

 巳喜八郎が通う師範学校も、帝都同様、当面の間休業中である。


 「そうか。焦って判断を誤ったか。しかし、影臣。お前に相談したとて、文の内容は変わらないと思うのだが。私は、巳喜さんの進路を断ちたくないし、さりとて子を産む時期を遅らせたくもない」


 「なるほど」


 影臣は、団子に手を伸ばした輝理を眺めた。

 主が、鈴木巳喜八郎を気に入っていることは、明らかであった。だからこそ、彼の将来を(おもんぱか)って解放しようとしたのである。


 「ご婚約がなくなったとして、その後、輝理様はどうなさるおつもりですか」


 「奉職(ほうしょく)義務を終えたら、適当な相手を見繕(みつくろ)う。待たせる必要もないし、こちらが選ばなければ、誰かしら見つかるだろう」


 何でもないように言い、お茶に口をつける。

 その頃には、行き遅れの歳である。郷里では、後妻か妾の口しかかからない。藤野家の格をもってしても、満足の行く相手は見つからないであろう。

 主は、それも見越した上で、選択している。


 今になると、年老いて骨ばった、或いは脂ぎった手に、輝理を(ゆだ)ねると想像するだに、耐え難かった。

 身の程知らずの若造の方が、まだ許せる。その彼に、影臣が女の扱いを手解(てほど)きするよう、主が頼んだ。なれば、巳喜八郎は、影臣の手のようなものである。


 影臣もまた、いつの間にか、彼を主の婿として、受け入れていた。


 「両取りで如何ですか」


 「何を」


 団子を食べ終えた輝理が尋ねる。影臣は、手付かずだった己の皿を差し出した。


 「巳喜君は、高等師範へ進学する。輝理様は、巳喜君と夫婦になる」


 「だが」


 戸惑う輝理を前に、考えた端から、するすると言葉が流れ出る。


 「先に結婚して仕舞えば良いのですよ。もし、在学中や遠隔地へ赴任中にご出産となりましたら、ご次代(じだい)様が後を継がれるまでは、私がお側でお支えします」


 「しかし、影臣にも勤めがあるだろう」


 「次代の守護人候補が生まれたら、私は勤めを辞して、彼の教育に当たります。代々そのような決まりになっております。赤子の時分の世話は、他家の子とさして変わりませんよ」


 「ですから一時的に、ご次代様を預かって、お世話することもできます。ご次代様が学校へ通われるようになれば、その間、輝理様のお仕事を手伝うこともできます。常にお世話が叶わないとして、それは巳喜君が家にいても同じことではありませんか。ご実家には奉公人もおります。人手が足りなければ、増やせば良いのです」


 輝理は、影臣の提案に聞き入り、話し終えてもなお、目を()らさずにいた。

 影臣は、主と見つめ合う形になった。決めるのは、主である。己の思いを漏らさないよう、なるべく穏やかな表情を保つことに努めた。


 「それは、ありがたいことだ」


 輝理は、影臣を見つめたまま、呟くように言った。それから、さりげなく視線を外した。団子の皿を押し戻す。


 「残るは、巳喜さんが承知するかどうかだな」


 「しますとも」


 巳喜八郎は、輝理に思いを寄せている。始めは学資援助の恩返しや、藤野家の婿という安定を求める気持ちが大きかったかもしれないが、今は違う。

 郷里で彼と対峙(たいじ)した影臣は、断言できた。


 「違約金と慰謝料の取り立てに来るのかもしれないぞ」


 「まさか」


 影臣は、冗談だろう、と思って主を見た。

 輝理は、真面目な顔つきであった。



 当日、汽車の到着予定時刻に、影臣は輝理にお(とも)して駅まで行った。

 汽車の到着が遅れていた。


 「眠れただろうか。今夜の宿は、どうするのだろうか」


 心配を口にする主は、金の取り立て相手よりは、婚約者を迎える態度である。元々、嫌ったり瑕疵(かし)があったりして、破談を申し入れたのではない。


 「到着した後、本人に聞くより他ないでしょう。お盆も過ぎましたし、一人分の部屋なら、今からでも取れると思います」


 汽車が駅へ入ってきた。ブレーキの金属音が構内に響く。


 客車から、次々と人が吐き出されてきた。

 巳喜八郎がどの車両から降りるか知らない二人は、他の出迎え客の邪魔とならないよう、少し離れた場所から改札を見守っていた。


 目指す人らしき姿は、なかなか見えない。輝理は、電報を取り出して時刻を確認する。


 「あれですね」


 影臣は、注意を(うなが)した。

 よろめくように降り立った青年は、記憶にあるより大きいようだが、見覚えのある姿形であった。師範学校の制服姿で、荷物はほとんどない。


 「ああ。あれだな」


 輝理も顔を上げて、巳喜八郎を認める。心配した割には、駆け寄ったり手を振ったりもせず、黙してその場に留まった。

 婚約者の方も、待ち人を探す風でもなく、とぼとぼと出口へ向かう。その顔は暗い。

 そのまま行き過ぎようとするのを、どういう訳か主も止めないので、つい影臣が声を出した。


 「巳喜君」


 はっ、と声の方を見た巳喜八郎が、まず目を合わせたのは輝理の方であった。その瞳にみるみる涙が盛り上がる。


 「迎えに、来てくださるとは」


 膝から崩れ落ちるようにして、そのまま土下座した。


 「進学したいなんて二度と言いません。破談にしないでください。輝理さんが好きなんです。お願いします」


 視線を感じる。見回すと、思っていたより乗客が残っていて、衆目(しゅうもく)を集めていた。

 影臣は、巳喜八郎に寄り添い、力ない体を無理に立たせた。床にぽたぽたと涙が落ちた。主に目をやって、固まった。


 輝理は、頬を染めていた。影臣は、巳喜八郎を引き上げたばかりの穴へ、代わりに自ら落ち込む心持ちがした。足に力を入れないと、主の婚約者共々崩れそうだ。


 「輝理様」


 (ささや)くような声しか出なかった。しかし、主の注意を引くには十分だった。

 我に返った輝理は、支えられてどうにか立つ、年下の婚約者に向かって歩を進めた。


 「どうも、行き違いがあるようだ。ひとつ、膝を交えて話をしようではないか」

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