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輝理と影臣  作者: 在江
第三章
25/30

偵察

 盆休みの間に、向坂清可(こうさかきよか)が、東京からはるばるやってきた。

 駅前のホテルに宿を取っている。


 影臣は料亭を予約し、遠慮する(あるじ)を連れて、会いに行った。清可との婚約は便宜上のことであり、何より当人が、輝理の顔を見たがっていた。


 「やあ、輝理さん。久しぶり。会えて嬉しいよ」


 長旅の疲れも見せず、清可は満面の笑みで出迎えた。その笑顔は、婚約者たる影臣でなく、輝理に向けられている。


 「私も会えて嬉しいのだけれど、お邪魔して悪いわ」


 「何、影臣様とは始終文でやり取りしている。一泊旅行の話も聞いた。お変わりなくて何よりですわ、影臣様」


 取ってつけたように言う。

 盆に帰省もせず、二人きりで泊まりがけの旅行までしたと聞いて、様子を見に来たものであろう。


 一応の婚約者である清可自身に加えて、藤野家と青柳家、もしかしたら梨畑の鈴木家の意向も受けているかもしれない。梨畑は、輝理の婚約者、巳喜八郎の生家の屋号である。

 影臣は、探られて困ることは、何もしていない。


 「しかし、遠かった。帝都からこれでは、盆休み中の帰省を取りやめるのも仕方ない。年末年始も、積雪を考えると、無理だろうな」


 料理が運ばれてきた。清可のために、とりあえず地元の酒を注文しておいた。


 「おっ。地酒か。いいねえ」


 ひとしきり飲み食いする。合間に、帝都の流行(はや)(すた)りを聞き、こちらの風物を話した。

 郷里の人々からの要請があったかどうかはともかくとして、清可自身は、輝理の顔を見たいのと、ついでに旅行を楽しむのが主目的に見えた。

 影臣とは、偽装婚約の間柄である。輝理さえ無事ならば、婚約者がたとえ浮気しようが、嫉妬で騒ぐ心配はない。


 「次春(つぎはる)くんも、元気でやっているよ。予備校の仲間と遊びに行ったりしているみたいだが、息抜きも必要だ。勉学を続ければ、どこかしらには受かるだろう」


 「まあ。気にかけてくださって、ありがとうございます」


 主が思わず礼を言った後、影臣を見た。影臣は頭を振る。命じた覚えはない。


 次春は、輝理の(そなえ)である。見守る義務もなく、正直なところ、どうなろうと知ったことではない。

 先代には家督争いで死人を出したが、当代は、姉弟の間に世間並みの情が通っているらしい。


 「それで、いずれ当人から便りがあると思うが、巳喜八郎(みきはちろう)くんの置かれた状況について、次春くんから聞いた話をしよう」


 料理が出揃って、酒の追加をすると、清可が切り出した。五(ごう)をほぼ一人で空けて、平気な顔をしている。

 師範学校へ進学した巳喜八郎は、やはり寮の生活が厳しい、とのことであった。手紙はいちいち先輩から検閲(けんえつ)を受けるため、次春宛にもはっきりとは書けないようだ。


 輝晃(てるあきら)宛の手紙が無事なのは、学資援助元でもあり、当たり(さわ)りのない文ばかり書き記すためであった。

 たとえ婚約者であろうと、女との文通などもってのほか、らしい。


 「授業も物足りないみたいだよ。検閲を通すための方便かもしれないが」


 「顔を見て、お話しできれば良いのだけれど。帝都で落ち合えば、何とかなるかしら」


 「夏期は収穫に忙しく、帝都まで出るのは難しいでしょう」


 影臣は輝理の案に、水を差す。実際、梨農家である巳喜八郎の実家は、夏期休業中が出荷期と重なり、人手が必要な時期である。

 以前、かなり無理をして一日捻出(ねんしゅつ)した時には、同じ県内への外出が精一杯であった。まず、輝理の日程に合わせられるかが疑問である。当時は学生だった主も、今は勤め人、そうそう休めない。


 「年末年始は、どうかしら」


 「運休で、帰れなくなるかもしれない。輝理さんも、巳喜八郎くんが恋しくなったか。梨畑へ、文をやるといい。喜ぶぞ」


 清可が温かい笑みを浮かべ、ごく真面目に勧めた。輝理も、照れずに受け止めたが、恋しさよりも義務感からと、影臣には思われた。

 輝理が(かわや)へ立つと、清可が表情を改めた。


 「(おみ)が、真摯(しんし)に務めを果たしているようで、安心したよ」


 「当たり前だ。誰が疑っているんだ」


 己が最も危ういとわかっている。影臣は、殊更(ことさら)強く言い切った。


 「誰も疑いやしない。()いて言えば、私か。臣を、よく知っているからな」


 清可は、残った杯を干した。偽装婚約を持ちかけた張本人は、影臣の心を見通していた。

 この配下もまた、影臣とは別の意味で輝理に想いをかけており、ある意味二人は、輝理を巡り(ちょう)を競う関係でもあった。いずれも当人は、預かり知らぬ事である。


 今日は、輝理に遠慮して、煙草を置いてきたようだ。白い指が、無意識に箱を探すところを見ると、そろそろ宿へ返した方が良さそうだった。


 「(みお)の様子は、どうだ」


 輝理は口に出さないが、澪に休学させた責任を感じている。影臣は、それとは別に、主の安全を(おもんぱか)って、馘首(くび)にした配下を気にかけていた。


 「留年したが、問題はない。学業にも、素行にも。新しい男には、興味なさそうだな。兄様も、やっと縁談を諦めてくれた。これで別荘にも行けるというものだ」


 「そうか。玄丈(げんじょう)さんにも、気苦労をかけたな」


 「臣のせいではない」


 翌日は、やはり輝理と三人で土産を買うのに付き合い、影臣と清可、清可と輝理の写真を撮り、互いに持たされた。清可は当然、輝理との写真を手に入れた。



 婚約者の鈴木巳喜八郎から、分厚い封書が届いたのは、清可が旅立った後である。

 輝理は、食事もそこそこに、自室へ戻ると早速開封した。


 「輝理様 返事が遅れて申し訳ありません」


 ()びから始まった手紙には、寮内事情によって文通が(かな)わないこと、必要があれば、この度のように藤野家を通じて知らせて欲しいことが、簡潔に記してあった。


 授業が物足りないことも先輩方の理不尽な仕打ちも、努めて明るい調子で書かれており、輝理が読んで笑ってしまうほどであった。心配をかけまいとする気持ちが伝わる。


 そして最後に、高等学校へ転学するには及ばないが、高等師範へ進みたい(むね)(したた)めてあった。


 「重ねてご負担をおかけする上に、輝理様をお待たせしてしまうことが心苦しく、これまで秘めておりましたが、転校を勧めてくださったことに力を得て、思い切って打ち明けました。お許しを得られるとまでは期待しておりません。ただいま後顧(こうこ)(うれ)いなく師範学校で勉強に打ち込めるのも、輝理様と、輝晃様のお陰です。いずれになりましても、卒業後は、自ら学ぶことで、学を深くしたいと思います」


 という意味のことが、師範を目指す学生らしく、綺麗(きれい)候文(そうろうぶん)で書いてある。筆書きであった。


 読み終えて、輝理は考えに沈んだ。


 男子の高等師範学校は、四年制である。そして、男子師範学校の奉職(ほうしょく)義務は、十年間であった。

 奉職して何年か後には、勤務地を選べるであろうが、それも空席があっての話である。そこまで先を考えずとも、巳喜八郎が進学すれば、少なくとも五年以上は待たされることを、覚悟しなければならない。


 その時、輝理は三十路(みそじ)である。さすがに受け入れ難かった。


 一方で、彼の向学心も理解できた。輝理自身、学を求めて上京した身である。婿入りのために進学を諦めさせることは、嫁入りするから学問は不要、と言われることと同義である。

 己がされて嫌なことを、夫となる相手に強いるのは、不公平に思われた。


 婿の話がなければ、心置きなく進学させることができるのに。学費を出す父も、巳喜八郎の望みを喜んで叶えるだろう。

 と考えた輝理は、婚約を破棄すれば済むことに、思い至った。


 もうすぐ夏期休業も終了し、学生たちが戻ってくる。

 帝都よりも、少しだけ休みが短いのは、冬が寒いからと聞いている。その分、冬休みは長いそうだが、輝理には大して変わらないように思えた。


 巳喜八郎には、是非(ぜひ)進学するように、輝理からも父に頼むと返信を出し、父宛にも手紙を書いた。

 子を産む関係上、輝理との婚約は解消することになるが、援助を続けて欲しい。何なら父の個人財産ではなく、藤野家から学費を出しても良い、と書き添えた。


 これで、婿選びは振り出しに戻る。

 次に縁談を受けるのは、奉職期間を終えてからにしよう、と輝理は決めた。ただでさえ郷里から遠い地にいる。

 すぐに祝言を挙げるのなら、今から婚約する必要はない。また、途中でどんな不都合が出来(しゅったい)するか、わかったものではない。



 新学期に向けて、教室を回り最終的な点検をする。雑用は、新人教師輝理の役割である。掃除の仕上がり、チョークがなければ補充、掲示物の入れ替え、机や椅子のがたつきを見る、など確認しつつ、順番にこなしていく。


 通常の教室以外にも、図工室や理科室といった、教科専用の部屋も、一通り見回る。

 音楽室に入ろうとすると、戸が開かなかった。建て付けが悪いのか、と揺すってみたが、どうも内側から鍵がかかっている。


 「すみません、点検に来ました」


 怪しまれないよう、声をかけたが、中からは返答がない。布が擦れるような、人のいる気配だけが伝わる。作業中に、怪我(けが)でもしたものか。音楽担当と言えば、笠元(かさもと)である。

 輝理は、控えめに戸を叩いた。


 「大丈夫ですか。人を呼んで来ます」


 「だ、大丈夫。ここは、やっておくから、他へ行ってっ」


 まさに、笠元の声で返事があった。息が乱れている。集中を要する作業中で、邪魔をされたくないようだ。


 「わかりました。よろしくお願いします」


 輝理は声を励まして言うと、次の部屋へ移った。

 その辺りの部屋を全て見終わって、最後に音楽室へ、もう一度寄ってみた。

 内側は、ひっそりとして気配がない。輝理は念の為、戸を叩いてみた。


 「失礼します。何かお手伝いしましょうか」


 戸を引いてみる。すんなり開いた。


 中には誰もいなかった。熱気で空気が(よど)んでいる気がして、輝理は窓を開けた。

 習慣で、一通り消耗品などを確認し、不足については補充するよう手配した。


 笠元が中で何の作業をしていたものか、音楽を通り一遍(いっぺん)習っただけの輝理には、見当もつかなかった。

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