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輝理と影臣  作者: 在江
第三章
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面倒な絡み

 今日も、玖埜(くの)と帰っている。


 影臣は、主と背中を並べて歩く男を、恨めしい思いで見つめた。


 輝理によると、下宿が近いことから、自ら護衛を買って出たとのことだった。

 近い筈である。玖埜と影臣は同じ下宿にいる。


 「婿養子となる婚約者があることは、最初に伝えてある。影臣も仕事で忙しいだろう。私も少しは武道の心得がある。心配ない」


 休みに落ち合った際、輝理は言っていたが、影臣には心配ばかりである。

 未だ影臣は、玖埜に輝理の関係を、打ち明けていなかった。


 玖埜は、食事で一緒になる度に、東京から新しく来た女先生が、どうしたこうした、とやたら話をする癖に、決して名前を口にしなかった。


 初めに機を(いっ)したのが、悔やまれる。もしや、輝理に手をつけた後、知らぬ存ぜぬを通すため、全て承知の上で(とぼ)けているのか、と疑心(ぎしん)()られる程であった。


 確かに、影臣も仕事の都合で、毎日送迎できないが、輝理が一言命じてくれさえすれば、退職して付き添うつもりはあった。それどころか主は、影臣の表立った送迎を控えるよう、命じたのだった。


 「一応、私も一人前の教師であるからな」


 自嘲(じちょう)気味に言われると、反論できなかった。一人前であろうがなかろうが、少しでも身分のある女人は、一人で出歩かないものである。玖埜が自称護衛を名乗れるのも、その流れだ。


 他の女教師はどうしているのか、と見張りついでに観察すれば、確かに一人で退勤していた。

 ただ彼女らは、地元出身であり、それぞれ知り合いや親戚の家に寄宿する、と聞く。顔見知りも多く、庭を歩くようなものである。

 主と一緒にはできない。


 現在のところ、明るく人目(ひとめ)のあるうちに往復している。陰ながら見守るしかない。


 心配は尽きないものの、密かに嬉しく思うこともあった。


 輝理と影臣が共に過ごす時間が、格段に増えたのである。

 帝都にいた頃は、寮へ(こも)りきりだった(あるじ)が、何故休み毎に出歩くのか。影臣は尋ねてみた。


 「下宿には、昼餉(ひるげ)の用意がないからだ」


 言われてみれば、その通りである。己も出歩くため、失念していた。

 すると大概(たいがい)、駅前の方へ足が向く。以前は、師範学校の奥の方が栄えていたのだが、鉄道駅が開通して以降、(にぎ)わいが移動した。


 ただし、(さび)れているというほどではない。元々、大藩のお膝元である。人も店もある。

 今日も、駅前の食堂で昼食にした。


 「巳喜(みき)さんから写真を送られた」


 婚約者の鈴木巳喜八郎(みきはちろう)は、郷里の師範学校へ入学していた。


 「影臣は、清可(きよか)さんの写真を持っているだろう。会社の机に飾るのか」


 「いえ、まさか。財布へ入れて、常に持ち歩いております。いつでも見せられるように」


 向坂(こうさか)清可を溺愛する風に受け取られるのを恐れて、付け加えた。影臣と清可もまた主従関係にあるが、互いに恋情はない。婚約は、縁談を断るための偽装である。


 写真は、輝理の撮影に同行した際、主から半ば無理矢理持たされたものだが、会社で婚約者の存在を示す証拠として、重宝していた。


 「財布に入れるのは、良い案だな。しかし、できれば同僚には見せたくないのだ」


 「何故です」


 「師範学校の制服で写っている。ここの生徒ではないとはいえ、問題にされることもあろう」


 「確かに」


 影臣にしてみれば、巳喜八郎は遠い郷里で卒業まで寮に詰め込まれており、当面意識する必要のない存在だった。

 輝理の場合、女子部とはいえ、師範学校の教師を務める身で、生徒と婚約を結んでいるとなると、要らぬ憶測を生む恐れはある。


 「しかし事実ですし、いずれ分かることです。校長の耳には、入れておいた方が良いでしょう。その際、ご先代様のお勧めであったことも付け加えるとよろしいかと」


 「あれは、自薦(じせん)だ」


 「承知しております。色恋ではなく、見合いによる縁組と申し上げたいだけです」


 「それは、そうだな」


 何気ない相槌(あいづち)であった。それでも影臣は、輝理が巳喜八郎に恋をしている訳ではない、と感じ、心の底で安堵した。

 食堂を出て、商店街を歩く。


 「しろさん、しろさん」


 呼び込みの声がする。と思ったら、客を一人捕まえただけで中へ入ってしまった。通りすがりに覗くと、やたらもてなしている。坊主頭で晴れやかに笑うふくよかな男は、その店の上客なのだろう。

 影臣は、輝理に付き従い、菓子舗で和菓子を土産にした。



 「どんな人なの。お写真見せてくださいな」


 「見せるほどのものでもありません」


 職員室で、輝理は弱っていた。隣席の同僚が、婚約者の話を振ってきたのである。

 彼女は、ここの師範の卒業生でもあり、来年奉職(ほうしょく)期限を迎えた後、親の決めた婚約者と祝言を挙げるために退職する予定だった。もう、半分方、心は嫁に行っている。


 女性教師のほぼ全員が、婚姻か妊娠、あるいは出産を機に退職しており、それが若い女性教師しか存在しない理由でもあり、歳を重ねるにつれ、周囲から結婚または退職の圧力が増す理由でもあった。


 婚約者の話も避けたいが、何より話しかけられることで、仕事が(はかど)らないのが困る。


 「棚家(たないえ)先生。試験問題の作成は終わったんですか。お手隙なら、こちらの仕事を手伝ってもらいますよ」


 いつの間にか、笠元(かさもと)が二人の背後に立っていた。


 「すみません。今しています」


 ぺこりと頭を下げると、殊更(ことさら)音を立て机に向かい、ガリガリと書き物を始めた。しかし、笠元が離れたと見るや、ペロリと舌を出した。


 「笠元先生、婚約者がいないから、私たちに()いているんだわ」


 「そんなこと」


 いいかけた輝理は、その笠元と目が合ってしまい、気まずく口を閉じた。


 笠元に婚約者がいないのは、本当らしい。

 ただ、教師歴の長い彼女も、年齢は輝理や棚家と同じくらいである。今、婚約相手がなくとも、焦るほどではない、と輝理は思っていた。


 輝理は婚約こそしているものの、結婚は五年後である。その間に、巳喜八郎が心変わりすることも、大いにあり得る。


 「‥‥これを、丁度可知差異(ちょうどかちさい)、Just Noticeable Differenceと言います」


説明しながらチョークで板書すると、輝理は脇へ寄って教室を見渡した。そのまま巡回に入る。


 生徒達は、真面目にノートへ書きつけている。最初の頃は、筆を使う者もいたが、今では全員鉛筆を使っている。墨を()って筆を浸す手間が、惜しいくらい、輝理の授業は板書が多い。


 本当を言うと、板書は少なめにして、生徒達の顔を見て話す方に重点を置きたいのだが、それだと彼女らの頭に残らないような気がして、方向転換したのだ。


 やる気がない訳ではなく、輝理の求める学習法に慣れていないのと、後は経済の問題である。


 学費は無料と言っても、筆記具などの消耗品は自弁である。女子で師範学校まで上がることを許されたのだから、日々の(かて)に困るような家庭の出自の者はほぼいない。それなりの家から来ている。


 とはいえ、どこから見ても富裕な家の娘は、市内にいくつもある私立の女学校へ通っていた。こちらは開学の精神からして基督(キリスト)教の伝道も兼ねており、信者で援助を得て通う娘がいるとしても、少数派であろう。


 筆、あるいは鉛筆と帳面の消耗を減らす方に意識が行く生徒が、まあまあの数で存在する。輝理が使い終えた短い鉛筆をまとめ、ご自由にお持ちください、と添えて教室へ置いておくと、翌朝にはきれいさっぱり消えている。

 書かずに覚えられるものなら、それでも構わないが、試しに質問してみた結果は散々であった。


 ただ、何でも書けば良いと言うものでもなく、これでも輝理は、板書を少なくしようと努めている。それでいて最低限、板書さえ覚えれば試験に通るよう考慮するので、調整に気を遣う。


 輝理の授業内容を十分に理解するには、板書を全て書き取った上で、輝理の話す内容を書き留めるぐらいの余裕が必要である。そこまでできる生徒は、あまりいない。


 その稀な生徒が、松葉谷瑛(まつばやえい)である。今は板書を書き取っているが、既に半分以上写し終えている。そのほかに広げてある帳面には、輝理の話の要点が書き留められていた。


 素晴らしい。輝理は、自ら求めておきながら、舌を巻く。是非とも、高等師範学校へ進学して欲しい逸材である。


 玖埜との帰り道、話題に困ると、輝理は松葉谷を持ち出した。


 「当人も勉学を好むようですし、進学できれば良いと思います」


 「松葉谷くんは、操行も良いと聞いています。まず、合格するでしょう。高等師範への進学率は、校長の実績に数えられますが、僕らの点にもなりますからね。楽しみです」


 他の目がない時の教頭は、時折野心を覗かせる。同じ高等師範の出ということで、輝理に仲間意識を持っているようだった。


 すっかり、玖埜と帰るのが習慣となっていた。たまに残業せねばならない時も、ともすると職員室で待とうとする。

 同僚への手前も具合が悪い。


 櫛家などは、


 「教頭と婚約してしまえば良いわ」


 などと揶揄(からか)う始末である。輝理が婚約者の話をしたがらないのを、相手を気に入らないと解釈したらしい。


 影臣には心配ないと言ったものの、実のところ、輝理はどうにかしてこの教頭を遠ざけたく思っていた。


 「ところで藤野先生。かき氷でも食べに寄りませんか。近頃は、日も長くなって、この時間でも暑い」


 ちょうど、辻に差し掛かっていた。あちらへ曲がるか、こちらへ進むか、分かれ道である。玖埜が立ち止まった。輝理は上司への礼儀上、行き過ぎたいのを堪えてやはり足を止める。


 「では、こちらでお別れですね。私は下宿へ帰ります」


 会釈して、返事を待たず歩き始めた。


 「待ってください」

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