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輝理と影臣  作者: 在江
第三章
20/30

新参の洗礼

 帝都から、ほぼ一日中汽車に乗る旅の末に、降りた先には、雪があった。


 郷里でも、この時期ならば雪が残っているのは普通である。

 但し、ここ数年来、帝都に住んでいた輝理には、初めての土地ということもあって、目新しく感じられた。


 空腹である。駅弁も持参の食料も、暇に飽かせ食い尽くしてしまった。


 「早々に下宿が決まって、良かった」


 「そうですね。着けば、何か食べさせてくれるでしょう」


 郷里から遠く離れた地で、色々と伝手(つて)を辿った末、影臣の知り合いから紹介してもらった先に、落ち着いた。


 高校の撃剣部(げきけんぶ)の後輩である。父親が駅前でホテルを経営しており、その他にも土地を買って運用しているとのことだった。


 直接の大家ではないのだが、輝理も影臣も、その伝手でそれぞれ下宿に部屋を取ることができた。特に輝理には、婦女子専用の家とあって、郷里の家族も安堵(あんど)したところである。


 帝都から遠く離れた北の地ではあるが、女子の私学校がいくつもあり、それで女子のみの下宿も成り立つようであった。


 もちろん、男子の私学校も数がある。私学校は男女問わず、(おおむ)基督教(キリストきょう)の信者によって作られていた。

 その他に、輝理の赴任する師範学校や、全国に数校しかない高等学校も同じ地にある。


 北の都とも言うべき地であった。



 人力車で下宿に至り、下車すると、影臣も後ろで降りた。


 「歩ける距離なのか」


 「いえ。初めてなので、何とも」


 輝理の人力車は戻ってしまったが、気付けば影臣の方は、空身のまま待っている。


 「保護者として、ご挨拶(あいさつ)を、と思いまして」


 郷里を離れた地で、輝理と影臣の関係を逐一(ちくいち)周囲に説明するのは、現実的でない。

 今後、二人が会うに当たり、下世話な噂とならないよう、年上でもある影臣が保護者、という建前(たてまえ)に、申し合わせていた。


 輝理としては面白くない部分もあるが、理のあることである。


 帝都では、女子は独立して師範学校を成していたが、ここでは男子の師範学校の女子部に過ぎず、給金も男教師より大分低く設定されていた。

 全体に、男優位の世情である。この地に限ったことではない。


 下宿の管理人は、大家に雇われた婦人とのことで、どことなく師範学校の舎監(しゃかん)に雰囲気が似ていた。


 「井角(いすみ)さんのご紹介だそうで。そちらが、洋太郎(ようたろう)さんの先輩かしら」


 影臣を見て言った。彼女は、紹介者の親戚に当たるらしかった。

 ついてきてもらって正解だった。輝理は、洋太郎なる人物を知らない。


 挨拶を終えて影臣が辞去すると、管理人は旅館を改装したという建物を案内しながら、手際(てぎわ)よく規則を説明した。


 「夕飯がいらない日は、朝に教えてね」


 「風呂場から出るときは、湯船の蓋を閉めること。すぐに湯が冷めるからね」


 「干し場は共用だから、腰巻きでも足袋でも名前を縫い付けるのよ。一度取り(まぎ)れると、戻らないわよ」


 最後に部屋へ案内された。西洋式の扉がついた、個室だった。

 寮で相部屋だった輝理には、嬉しい驚きであった。


 中は畳敷きで、机と本棚があるだけの、狭い部屋である。布団を敷いたら端が折れそうだ。先に送りつけた荷物が、さらに部屋を狭くしていた。

 だが、鍵をかけられる。郷里の自室でさえ、和室の(ふすま)で仕切られるばかりだったのだ。


 「夕食は、今日からいただけますか」


 「いいわよ。すぐ食べるなら、いらっしゃい」


 輝理は喜んで従った。



 影臣の下宿先は、輝理の近くにあった。道に慣れれば、歩いて行き来できる距離である。そのように、頼んでおいたのだった。


 学校にも(ほど)近い。影臣の職場にもまずまず近く、紹介してくれた井角には、改めて感謝しなければなるまい。

 夕食を取っていると、男が一人帰ってきた。


 「あら玖埜(くの)さん。お帰りなさい」


 (まかな)いの婦人が声で出迎える。こちらは、輝理の方の管理人より、大分歳がいっていた。彼女は管理人ではなく、純粋に賄いのために雇われており、通いの身である。


 「お(かつ)さん、飯を頼む。やあ、新入り君。ちょっと支度をしてくるよ」


 自室へ上がる背中を見送り、婦人は食器を棚から取り出した。


 「玖埜さんは、師範学校の教頭先生でいらっしゃいますのよ。元は静岡のご出身から、東京の高等師範をお出になったとか。お若いのに、大したことで」


 (ぜん)の支度をてきぱきとこなしつつ、玖埜の紹介をする。この分では、影臣の身上も下宿中に知れ渡っていそうである。


 玖埜はすぐに戻ってきた。洋装から、綿入れに着替えていた。

 (こよみ)の上では綿抜きの時期だが、雪も残る寒さである。まだまだ冬物が手放せない。

 食堂にも火鉢(ひばち)はあるものの、座敷全体を温めるには足りなかった。


 「青柳さんは、東京から来たんだってね。僕も、高等師範を出てここへ来たんだ。懐かしいなあ」


 影臣より、五つ六つほど年上のようである。玖埜は旺盛(おうせい)な食欲と共に、年初めに発足した第三次内閣の評判やら、去年創刊された当地の新聞記事やら、話題の豊富なことを披露した。


 影臣は、早々に立ち去るのも失礼かと、食べる速さを調整しつつ、(もっぱ)ら聞き手に回った。それに、確認しておきたいこともあった。


 「先生の先生だけあって、学識豊かでないと務まりませんね。お若いようですが、ご結婚は」


 「いやあ、それが。仕事が忙しくて、なかなか」


 「何を仰る。縁談を()っているのは、先生の方でしょう。この間だって、呉服屋のお嬢さんに見そめられたそうじゃありませんか」


 給仕に(はべ)っていた克が暴露(ばくろ)する。玖埜は照れついでに、飯をお代わりした。

 呉服屋の娘なら、なかなかの資産家であろう。やり取りからは、婚約者がいるようでもなし、誰か好いた相手でもあるものか。


 「そう言えば、今度、うちの学校へも東京から先生が来るんですよ。青柳さんは、会社へお勤めでしたっけ」


 「はい」


 影臣は、短く応じた。輝理の話を持ち出すなら、ここだろうとは思ったものの、知らぬ間にあれこれ触れ回られることの(かす)かな不快を先ほど自ら体験しただけに、(あるじ)に同じ思いを味わせるには、忍びなかった。


 郷里も含め、地方ではありふれた話ではあったが、長く帝都で暮らすうちに、その感覚を置き忘れてしまった。それに、郷里では詮索(せんさく)されるよりも、する側であった。


 後に知れても、気まずいのは影臣だけである。沈黙を守ることにして、これ以上聞かれぬうちに、退散(たいさん)を決めた。



 正門にかかる看板が、(すみ)の跡も瑞々(みずみず)しいほど、真新しかった。


 この春から名称が変更されるのに合わせて、書き換えたものである。その木板がかかる門柱もまた、新築十年も経たない新しさであり、校舎なども同様であった。


 「とは言っても、当校は御一新後間もなくの創立で、元は藩校(はんこう)の敷地にあったのを移転する際、新たに全て建て直したのだよ。彼らの教育にかける意気込みもさることながら、実行を容易(ようい)にする資力も見逃せないね」


 校長への挨拶後、校内を一通り案内されていた。案内役の教頭は、三十路(みそじ)に入ったばかりとのことであった。校長が、聞かぬ先に、出自や学歴やらと一緒に紹介したのである。


 最後に独身と付け加えたので、輝理は、自分には婚約者がいて、奉職(ほうしょく)期間終了後、相手は婿養子となる予定だ、と笑顔で返しておいた。


 以降、校長と教頭の熱が下がったのを感じたが、輝理の知ったことではない。


 既に教頭を案内役につけると宣言した手前、そのまま二人で校長室を出た。その教頭、玖埜只三郎(くのたださぶろう)は、切り替えの早い(たち)で、快活(かいかつ)に説明役を務めた。


 「藤野先生も高等師範まで行かれたなら、東京でお会いしたことがあったかも知れませんね」


 「東京も広うございますからね」


 在籍年も違うし、校舎の敷地も違う。まず、今日が初対面である。


 「女先生は、結婚して辞めてしまうから、長い人がいないんですよ。詳しいのは、白路(しらじ)先生くらいかな。あの人は地元出身ですし」


 最後に職員室で、同僚と対面した。

 白路は、四十路(よそじ)の男教師だった。校長と同年代の筈であるが、貫禄(かんろく)の代わりに若々しさを身につけていた。

 彼が教師の最年長で、女子部創立以来の奉職とのことだった。校長よりも勤務歴が長い。生き字引のようなものである。


 女子部であっても、半分以上が男の教師で占められていた。玖埜の言うように、女の教師は、男性よりも随分と若い人ばかりが揃っていた。それでも教師としては、輝理より先輩に当たる。


 白路に輝理を引き渡して玖埜が引き上げると、他の教師も何となく寄ってきた。学生時代は囲む方の立場であった輝理は、久々に囲まれる側に立ち、緊張する。


 「そんなに緊張しないでください。白路斉加年(まさかね)と申します。博物、化学、物理と、理科全般を受け持っております。校長から話があったと思いますが、藤野先生には、教育学全般を受け持ってもらいます。先生の机はこちらです。荷物入れは更衣室にあります。女の先生、笠元(かさもと)先生に案内してもらいましょう。先生」


 「はい。承ります」


 笠元は、既に輝理の側にいた。同年代に見えるが、態度に落ち着きがあった。


 「藤野先生は、婚約なさっているのかしら」


 更衣室で二人きりになると、荷物入れを教えるのも早々に、質問された。


 「はい。国許(くにもと)におります」


 「あらそう。では、なかなか会えないわねえ」


 そう言った笠元の声に安堵と懸念の色を感じ、輝理は漠然と不安を覚えた。

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